そして父になる



★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

大手建設会社で大型プロジェクトを任され、仕事で多忙を極めるエリート社員の野々宮良多(福山雅治)。ある日、産院からの連絡により、6歳になる息子・慶多(二宮慶多)が取り違えによる他人の子だと判明する。相手方は群馬で小さな電気店を営む、斎木雄大リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)の夫婦。良多は斎木夫妻を下品だとばかりに気に入らないが、夫妻は賑やかながらも温かな家庭を築いていた。交換するのか、元のままで良いのか。子供に愛情を注いできた妻のみどり(尾野真千子)と斎木夫妻は心を痛めるが、良多は早く交換した方が良いと言う。


カンヌ映画祭で審査員賞を受賞したと大騒ぎの映画で、審査員長だったスティーヴン・スピルバーグによるリメイクも決定したとの報もある話題作です(監督は未定)。是枝裕和の演出と脚本も、優れたキャストらによる演技も、お涙頂戴に陥らず、大袈裟になりません。どちらかと言えば観客の感性を信用して訴えかけるアプローチを取っています。もっとも、図式的とさえ言える作為が目立つ箇所も目立ちます。だから言葉の壁を越えて分かり易く、海外で受け入れられやすかったのもあったのでしょう。例えば都心の高層高級マンションに住むエリート一家と、地方の小さな散らかって狭苦しい家に住む、温もりのある一家。良多の両親(風吹ジュン、故・夏八木勲)の存在と言動。優しく大人しい慶多と、明るくもやや乱暴な斎木琉晴(黄升げん(ファン・ショウゲン))。余りにも対象的な配置が目立つものの、それらはこの映画の微かな傷程度のものです。


役者としての福山は私にはお初。傲慢で自ら何でもコントロール出来ると思っていながら、実は何一つコントロールできない男・良多を好演していました。実に嫌な男なのですが、福山に品があるので汚らしくありません。良多が嫌悪を抱く小汚いリリー・フランキーは、下品で粗野な言動でありながら、温もりのある好演。「おかえり。電球?それとも凧揚げ?」の台詞が温かい。尾野真千子真木よう子の女性らも立体的で良かったです。


是枝の脚本は緊張感のある設定と展開を用意し、印象的な台詞を配置しています。監督としては淡々としていならも求心力のある演出で、役者達から素晴らしい演技を引き出していました。映像を使った「間」の演出も素敵です。また特筆すべきは、これが撮影監督としては長編初という写真家・瀧本幹也の映像。あからさまに凝った映像を持ち出す事なく、フィルム撮りで映画に微かな湿り気と温かみを与えていました。この質感は映画の印象を左右さえしたのではないでしょうか。要所では役者の顔を見せない手法も効果的です。疲れたみどりが慶多と電車に乗っていて、「2人でどこか行ってしまおうか」と言う場面。電車は駅に停まり、彼らは陰に隠れてしまう。あるいは終幕で、良多が慶多を歩いて追う場面。良多は背中を向けて先を進む慶多に呼びかけますが、慶多はこちらを振り向きません。このような映像の使い方によって、観客に想像力を喚起させて、より人物の感情を意識させます。何でもかんでも演技と台詞で説明するTV的な映画が多い中、こういう映画らしい手法は大歓迎です。


昭和40年代までは取り違え事件はたまにあったらしく、殆どの場合が育てた子よりも血の繋がった子を選んだといいます。父権の強かった時代に、子育てに殆どタッチしてこなかった父親主導で決められた、という事情もあったのでしょう。このような題材を扱っているにも関わらず、映画は取り違えそのものを主眼に置いてはいません。子供とは何か、父親とは何か、家族の在り方とは何かを、観客に問うています。映画では結論めいたものを一応は出してはいるものの、野々宮家と斎木家の物語はまだまだ続く筈。観客はエンドクレジットが流れる間、自らの胸の内で問いを反芻する事になるでしょう。


そして父になる
Like Father, Like Son

  • 2013年|日本|カラー|120分|画面比:1.85:1
  • 映倫:G
  • MPAA (USA): -
  • 劇場公開日:2013.9.28.
  • 鑑賞日:2013.10.18.
  • 劇場:TOHOシネマズ ららぽーと横浜6/金曜ミッドナイトショウ、23時30分からの回は20人弱の入り。
  • 公式サイト:http://soshitechichininaru.gaga.ne.jp/ 映画紹介、予告編、著名人コメントなど。