カリートの道



★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1970年代のニューヨーク。シャバに戻って来たプエルトリカンの元大物ギャングのカリート・ブリガンテ(アル・パチーノ)は、堅気に戻って真っ当な人生を送ると誓う。街はすっかり様変わりし、知らないチンピラが跋扈して仁義も何も無く、コカインが蔓延していた。弁護士で親友のクラインフェルド(ショーン・ペン)のつてでクラブ経営を始めたカリートは、バハマでのレンタカー屋経営資金を貯めていく。踊り子であるかつての恋人ゲイル(ペネロープ・アン・ミラー)とも再会してよりを戻し、全てが順調に進んでいるように見えたが、義理人情が彼に足かせをはめていく。


久々にBlu-ray Discにて『カリートの道』を鑑賞した。買っておいたものの、随分とほったらかしにしておいたソフトの1本だ。急に何故この映画を観たくなったかと言うと、ジョー・コッカーが歌う『ユー・アー・ソー・ビューティフル』が、ここ何日か脳裏を離れなかったからだ。ビリー・プレストンビートルズの「5番目のメンバー」であり、ローリング・ストーンズのツアーやセッションにも参加していた、あのキーボーディストだ)が書いた曲を、くどくてしわがれた声のジョー・コッカーがカヴァーした名曲の歌詞全文は、次のようなものである。

You are so beautiful to me
You are so beautiful to me
Can't you see

You're everything I hope for
You're everything I need
You are so beautiful to me

歌詞はたったこれだけだ。そしてこの曲と歌詞は、この映画で1番記憶に残る音でもある。イントロの美しいピアノの旋律と共に。


ブライアン・デ・パルマは大好きな監督だった。世間的には、大ヒットした『アンタッチャブル』あるいは『ミッション:インポッシブル』の監督、という扱いだろう。あるいはカルト映画となった『スカーフェイス』の監督か。私自身はそれらの大作よりも、ひょっとしたらこの映画が1番好きかも知れない。他には『キャリー』『フューリー』『殺しのドレス』『ミッドナイトクロス』等を特に好む。特に最高傑作は『殺しのドレス』だろう。独特の暗さとエロティシズム、ロマンティシズム、緊張と恐怖といったデ・パルマの個性が良く出ていたように思う。それ故、近年の、例えば『ブラック・ダリア』等の体たらくは残念だった。


デ・パルマは後悔と妄執を抱き、夢を見続けようとする監督だ。主人公がミスを犯して自責の念にかられ、罪を償おうとし、そこから妄執が生まれる。主人公が償える場合もあれば、償えない場合もある。デ・パルマ映画はロマンティシズムそのものだ。デ・パルマ自身、ひょっとしたら映画史上最もロマンティストの監督かも知れない。最高にロマンティックなのは、それが成就しない事。ロマンはロマンのままでい続け、いつまでも消えない。デ・パルマ映画では度々そのような結末を迎える場合がある。


本作『カリートの道』(1993)は、そのデ・パルマの特長が良い意味で出た、今のところ最後の、そして最高の作品だ。パトリック・ドイルの悲しみを湛えた美しい弦楽曲が流れる中での、モノクロ映像での超スローモーションと宙を舞うカメラ。冒頭からデ・パルマは映像テクニックで観客を映画に引き込む。ヤクザが堅気に戻ろうとしてあがくも、結局は元の木阿弥という古典的プロット、いや手垢が付いたプロットを、デ・パルマはらしくない落ち着いたタッチで、しかし要所はらしいケレンでもって描き出す。


主人公カリートが余りに真面目、余りに律儀、余りに自分の掟に忠実な為に、私はこの映画を観る度に、彼に好感を抱きながらハラハラし、応援してしまう。かつての大物ギャングだったカリートは仁義を知っており、恩義を返そうとする男だ。口を割らず、仲間を売らず、借りた借りは返し、自分で落とし前をつける。言わば昔気質のヤクザ。出所した彼は引退を決め、街に戻って時代の変化を肌で感じ取る。演ずるアル・パチーノはいつもの大袈裟演技を抑え気味にし、やや疲れを自覚している中年ヤクザを好演している。度胸があり、ユーモアを忘れないカリートは、パチーノあっての魅力的な男だ。だがシャバに戻って早々に、カリートはトラブルに巻き込まれてしまう。親戚の青年グアヒロ(演ずるのは若きジョン・オーティス。今まで全く気付かなかった)はチンピラの使いっ走りをしており、伝説の大物を皆に自慢しようと、カリートその人を麻薬取引の場に連れて行くのだ。そして予想通りトラブルが起きる。映画で最初のスリリングなアクション場面は、デ・パルマらしい華麗なる映像集となっている。複数の人物の中心に置かれて周囲を見回すカメラ。ゆったりしたズーム。これから起こる惨劇を映し出す小悪党がかけたミラーグラスという、分割画面の変種。時間と緊張はギリギリと引き伸ばされ、極限で爆発し、アクションへと雪崩れ込む。うん、手慣れたものだ。


緊張と暴力の後は、映画は更生へと進もうとするカリートとその周囲を描き出す。目立たず、資金を貯めようとする彼そのもののように、ここから暫くは抑え目のタッチだ。もっとも、ときたま昔ながらのやり方が顔を出してしまうのがヤクザの性。カリートは新興のチンピラ、ブルックリンのベニー・ブランコがどうにも気に入らない様子だ。かつての自分に重ね合わせて気に食わないからなのか。店でトラブルを起こした彼を手荒な方法で追い出してしまう。ベニーを演じるジョン・レグイザモは素晴らしい。キラ星のように突然この映画で私の目の前に現れて以来(『ダイ・ハード2』にも出ていたようだが記憶に無い)、贔屓の役者となった。この映画のレグイザモは若さと勢い、それに執念深い蛇のような悪を感じさせる。演技と忘れさせる演技で。


トラブルを起こしたギャングを追い払った場合、本来ならば返り討ちを防ぐ為に消すのが掟だ。しかし己の歳を自覚するカリートは、ベニーを殺さずに裏道に叩き出しておしまいとしてしまう。後から災難の芽となる可能性と知っていながら。


自分を出所させてくれた弁護士で親友のクラインフェルドは、コカインの影響で徐々に目付きも言動も怪しくなってくる。しかも雇い主であるマフィアの資金に手を付けたらしい。彼もトラブルの芽だ。珍しく小悪党を演ずるショーン・ペンは、ルックスも裏返った声も、それと分からぬ変貌振りで、卑小で屈折した悪を文字通り怪演している。自身の監督作品の資金繰りの為だけに出演したそうだが、それでもこれだけの演技を見せてくれるのだから、プロの役者とはこの事だ。このクラインフェルドの危なっかしさは映画の面白みの1つにもなっている。どう見てもトラブルメイカーにも関わらず、付き合って義理を果たそうとするカリートを、我々は観客席から見守る仕掛けになっているのだ。


こういったうま味に比べると、かつての恋人ゲイルとのエピソードは、脚本の安直さ、底の浅さを感じてしまう。かつては舞台でのスターを夢見ながら、今は場末のストリップ小屋でも踊るダンサーというやや紋切型の人物像は、ハリウッド御用達脚本家デヴィッド・コープらしい薄っぺらさだ。夢が破れつつあるゲイルと、夢を実現させようとするカリートカップル、というつもりなのだろう。ゲイル役のペネロープ・アン・ミラーは美しいし、肌も露わに情感も精一杯表現しようと熱演しているが、人物像の弱さをカバーし切れていない。もっともデ・パルマ自身も、2人の関係は映画のごく一部と割り切っている節さえある。それでもジョー・コッカーが歌う『ユー・アー・ソー・ビューティフル』を使ったラブシーンは、デ・パルマらしく2人の周りを回るカメラワークもあって、めくるめく陶酔が忘れがたい場面となっている。


この映画でカリートに降りかかる災難は、深く根を張って後から顔を出す。緊張を引き伸ばし、盛り上げるデ・パルマの手腕は、この映画では健在だ。比較的静かに、しかし不穏な気配を忍ばせつつも手堅いタッチで描かれる映画は、しかし終幕にはカメラ小僧の血を抑えられない。絶体絶命、のっぴきならない状況となったカリートは、ゲイルと共に街を出る決意をする。ゲイルと駅で待ち合わせて、深夜11時半発マイアミ行きの列車に乗るのだ。だがその前に己のやり方で決着せねば。このカリートの単純明快な行動原理と、時限爆弾のような状況で、デ・パルマは素晴らしくも冴えに冴えた手腕を見せてくれる。カリートの「ある落とし前」を付けるくだりでの、カメラアングルの傾きでもって緊張を盛り上げ、弾丸を放る「決め」のスローモーション・ショットの挿入のタイミングは、膝を叩いてしまう出来栄えだ。そして最大の見せ場となっているクライマクスはいつ観ても楽しい。『アンタッチャブル』での伝説的な駅の階段での撃ち合いに対し、こちらはエスカレーターだ。クラブでのマフィアとの腹の探り合いから緊張はいや増し、地下鉄での追跡戦に移ると、カメラは活き活きとし、映像が踊る。一般的に緊張や迫力を増す為には、細かいショットを素早く繋げるのが常套手段だ。しかしデ・パルマの特徴は、ゆったりした編集でねちっこく緊張を盛り上げる手法にある。クラブ、駅、地下鉄、グランド・セントラル駅と場所を移動しての追撃場面では、スリルを盛り上げるパトリック・ドイルの音楽の効果もあいまって、素晴らしい見ものとなっている。またここでは、アル・パチーノというスターの体躯を生かした場面設計になっているのも見逃せないだろう。小柄ですばしっこい彼が走り回り、隠れ、裏を書こうとする。スターを輝かせつつも、台詞ではなく映像で描き切ろうとする辺りが、デ・パルマらしい楽しさだ。


緊張が限界まで引き伸ばされてからの銃撃戦でカタルシスを味わせてから、映画は静かに、小さく、結末を迎える。前述のジョー・コッカーの歌声を再度、今度はフルコーラスでたっぷり聴かせる美しいラストだ。『カリートの道』は、使い古されたプロットも才能豊かなヴェテラン監督と役者達の手に掛かると、記憶に残る映画になり得るという見本だ。そして映像と演技という、映画でしか表現できない映画らしい映画を楽しんでほしい。


カリートの道
Carlito's Way

  • 1993年|アメリカ|モノクロ、カラー|145分|画面比:2.35:1
  • 映倫:-
  • MPAA (USA): Rated R for strong violence, drug content, sexuality and language.
  • 劇場公開日:1994.4.23.
  • 鑑賞日:2013.5.27. 自宅ホームシアターにてBlu-ray Disc鑑賞