J・エドガー



★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

人生も黄昏を迎えていたFBI長官エドガー・フーヴァーレオナルド・ディカプリオ)は、部下に自らの伝記を口述筆記させる事にする。厳格司法省に勤務していた若きフーヴァーは、新設された急進派対策課の責任者に抜擢された。プロポーズするも断られた秘書のヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)を個人秘書として雇い、やがてFBIの前身である司法省捜査局の長官代行となったフーヴァーは、科学捜査を導入して捜査の近代化を図ると同時に、自らの権限集中も着々と進めて行く。そんな中、後に公私共にパートナーとなるクライド・トルソン(アーミー・ハマー)と出会うが。


フーヴァーというと、近代アメリカ史のすっかり悪役というイメージになってしまっています。それにイーストウッドがどう向かったのか。私自身の最大の興味はそこでした。映画が始まった序盤こそ、アメリカ史を描くように見えなくもないのですが、個人の物語に収れんされていくのが、いかにもイーストウッドらしい。題名だって『フーヴァー』ではなく、ファースト・ネームの『J・エドガー』なのですから。思い出してみましょう。イーストウッドの視線は常に個人に向いていました。彼にしては大作だった『父親たちの星条旗』(2006)でさえ、時代を描きつつも、時代に翻弄される男たちを描いていました。いつもそうですが、イーストウッドは登場人物達を断罪するのでもなく、称賛するのでもなく、行動を描き、内面に踏み込み過ぎずに見つめています。付かず離れずという言葉がありますが、対象となる人物と適切な距離と保ちながら、裁く事をせずに見つめているのです。この傾向は近年になって益々強くなり、ゆえに作風が淡々と枯れた味わいになって行くのでしょう。しかし枯れただけの映画では娯楽志向は薄れがちな場合が多いし、驚きが無ければ面白くはありません。本作は脚本に秀作『ミルク』(2008/これが日本ではBlu-ray Discが出ないとは、何たる文化的損失だ、と嘆きたくなるくらいに良い作品でした)のダスティン・ランス・ブラック。自身ゲイを表明しているブラックが、本作もゲイとしてのフーヴァーを描いており、その描き方がまた興味深かったです。


フーヴァーは恐らくゲイなのですが、それを自分では認める事が出来ませんでした。あるがままの自分を受け入れられなかったのは、母の存在が大きかったのです。ジュディ・デンチ演ずる母親は愛情たっぷりなものの厳格で、「男らしくあれ」と同性愛を認めていません。彼女が死ぬまでの自分が42歳になるまで同居していたというフーヴァーは、母の影響を強く受けて抑圧的な性格となっていきます。世を混乱に陥れる者、犯罪を犯す者にはあらゆる手段を用いて鉄槌を下し、またそれを成すのは己だけだとばかりに突き進むのです。その為には確固として地位を守らねばならず、歴代大統領やその家族の情事を盗聴し、その機密書類を盾に保身する。決して愉快な人物ではありませんが、非常に奥行きのある、面白い映画となっていました。一方、その美しさに一目惚れしたクライドとは公私共にパートナーになり、肉体関係こそ無かったものの、数十年にも渡って愛を育んで行きます。ゲイかどうかといった以前にそれは飽くまでも純愛なのです。また、フーヴァーの求愛を断った秘書ヘレンも、言動や一生独身を守った事から恐らくはゲイなのでしょうが、フーヴァーとは強い繋がりを持っています。このフーヴァー、トルソン、ヘレンのトライアングルが非常に面白い。彼らは秘めやかな想いとアメリカの極秘裏面史の共有もあり、強固な絆を作り上げて行くのです。クリント・イーストウッドというマッチョな映画スターとは対照的に、クリント・イーストウッドというマチズモとは対照的な映画監督らしい、緩やかな作品に仕上がっていました。


ディカプリオは出ずっぱりで、全編の殆どを特殊メイクに覆われながらの演技で大熱演。しかし眉間に皺寄せる彼の演技が苦手な私でも、嫌味無く観られました。老人演技も『アビエイター』等に比べて自然になったと思います。一方、『ソーシャル・ネットワーク』(2010)の美形ウィンクルボス兄弟役が記憶に新しいアーミー・ハマーは、老け演技も含めて大好演。これは意外な収穫で、私はすっかり嬉しくなってしまいました。むしろ老け演技ではディカプリオよりも上手いくらいです。良い役者が出て来たものだし、楽しみです。ナオミ・ワッツは老け演技も含めて全体に抑えていますが、こちらも素晴らしい。この3人の演技が間違いなく作品の屋台骨となっています。無論、ジュディ・デンチも強烈だったと言い添えておきましょう。


イーストウッドのタッチは急がず慌てず、複雑に入り組んだ時制も堂々たる語り口で進め、物語を語る、人物を語るのに徹します。FBI史でも重要なチャールズ・リンドバーグ事件の捜査にも時間を割き、ミステリ的な興味でも引っ張りながら、プラトニックなラヴ・ストーリーにまとめ上げてしまう手腕には唸らされました。全体に色味が抜けたような渋い映像で通し、時代によって色で描き分ける手段を放棄しつつ、美術や衣装で分からせる方針も面白い。アメリカでは余り好評でなかったというのが信じられないくらい、これはイーストウッドの優れた個人史映画なのです。


J・エドガー
J. Edgar

  • 2011年 / アメリカ / 137分 / 画面比:2.35:1
  • 映倫(日本):G
  • MPAA(USA):Rated R for brief strong language.
  • 劇場公開日:2009.5.15.
  • 鑑賞日時:2009.5.23.
  • 劇場:2012.1.28./ワーナーマイカルシネマズ港北7/デジタル上映。公開初日の土曜15時00分からの回、116席の劇場は7割程度の入り。
  • パンフレットは800円。フーヴァーの年表など資料としても面白い。
  • 公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/hoover/ びっくりするほど簡素なサイト。イーストウッド×レオ映画でも、公開規模が小さいというのと併せて、ワーナーのこの映画に対する力の入れようが分かろうというもの。