インビクタス/負けざる者たち



★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1994年。アパルトヘイト反対でかつて30年近くも投獄されていたネルソン・マンデラモーガン・フリーマン)が、初めて全国民が参加した総選挙にて、南アフリカ共和国初の黒人大統領に選ばれる。この結果に、少数派である白人たちは自らへの迫害に怯えるが、マンデラは融和政策を唱える。寛容の精神からだけではなく、経済面では白人たちが実権を握っているので、手を握った方が得策だと判断したのだ。しかし国は人種間の分断状態が深刻だ。マンデラは1995年に自国にて初めて開催されるラグビー・ワールドカップを絶好の機会と捉える。弱小チームである自国チームを強化し、優勝を狙うことにより、国民の心を1つにしようとするのだ。彼はキャプテンのフランソワ・ピナール(マット・デイモン)を呼び出す。


ラテン語の「invictus」は英語の「invincivble」の語源だとか。無敵の、不屈の、揺ぎ無い、といった意味になります。


概して根暗と言われるクリント・イーストウッド映画ですが、本作は吹っ切れた作風になっています。過去の落とし前は前作『グラン・トリノ』(2008)で付けた、ということなのでしょう。ポスターからして白を基調とし、微笑を浮かべるモーガン・フリーマンの背中で、ブロンドのマット・デイモンが爽やかに笑っているデザイン。内容だって死人も悪人も出て来ないし、イーストウッドに珍しく勝利で終わる内容です。しかし過去を振り替えつつも未来を志向するのは前作の延長線上とも言えますし、負け犬を主人公としている点、そして何よりも揺るぎ無い信念を持った人物を主人公に据えている点において、紛れも無いイーストウッド映画になっています。


イーストウッド映画をイーストウッド映画たらしめているのは、あの独特のペースにあります。例えば『ダーティハリー』(1971)の序盤でマグナム44を持って銀行強盗に歩み寄って見せる、あの足取りと同じです。ゆったりと大股に歩くあの歩調が、彼の演出にも味として出ているのは周知の事実ですが、本作も然り。焦らず急がず、ゆったりと歩を進め、じっくりとしかし簡潔に、これ見よがしさを排除した演出は健在です。間延びせず、思わず頬を緩めてしまうユーモアを配し、自信を持って「語るべきこと」と「語るべきでないこと」を選別し、飽くまでも物語と人物を描くことに徹する姿勢。例えば本作での選別は、マンデラと妻子の不和を描いて人物像を理想化せず、しかしメインプロットに不要とばかりにその理由に触れない点が挙げられます。そしてナレーションや台詞に頼らない、淡い色調と陰影が目立つ的確な映像。1本の道路を隔てて黒人と白人がそれぞれスポーツに興じる様子を描き、その道路をマンデラを乗せた車が走るときの彼らの対照的な反応を示して、南アフリカの現状をさらりと映像だけで見せてしまう冒頭の演出などがそれです。あるいはクライマクスのニュージーランドとの決勝戦で、スタンドの大観衆、テレビ観戦やラジオ観戦に興じる人々を、フィールド内のプレイとカットバックさせ、人々の融和を描き出す視点はどうでしょう。この場面において、主眼は対ニュージーランドとの激烈極める戦いがメインではない、ゲームを観る人々がメインなのだと明確です。


マンデラを演じるフリーマンは全く素晴らしい。観ている間、モーガン・フリーマンという名優の存在を忘れさせ、マンデラのカリスマティックで心なごむ言動に、僕の耳目は行きました。目元のみメイクアップで実在のマンデラに似せていますが、それ以上に演技でなりきっている。マンデラが憑依したかのようなどと書くと何やらオカルトめいた禍々しさを感じますが、マンデラに包み込まれているかのようと書くと、少しは雰囲気は伝わるでしょうか。そこに居るのは、内面の欠点や悲しみ、苦しみを想像させつつ、他者に強要させない寛容で包容力のある人物なのです。見逃せないのは、単なる人道主義者ではなく抜け目のない政治家であり、また必要なときに力のある自分の言葉で語ることのできる言語センスの持ち主でもある、とされていることです。立体的な演技と描写により、マンデラという人物が浮き上がってきました。


マット・デイモンも好演です。鍛え抜かれた白い肌に映えるブロンドと、日焼けした顔。肉体的な表情と真摯に物事に取り組む内面的な姿により、ピナールというキャプテンの存在を感じさせます。しかも邪魔にならない、デイモンの控え目な演技に注目したい。マンデラとピナールという2人のリーダーの描き分けもされていますが、同時に共通する点も描かれています。皆が幸せになるべくヴィジョンを備え、それに対する戦略を持ち、明確な戦術を提示する。優れたリーダーシップを持った主人公たちを描いた意図は、混乱した現実世界に対するイーストウッドのメッセージなのかも知れません。そしてまた、復讐よりも寛容や許しを主人公に託したのも、また最近のイーストウッドらしいと言えます。


本作は決して大傑作ではありません。緩やかな語り口を心地良く感じた僕のような観客もいれば、かったるいと感じた観客もいることでしょう。また、ティームの強化プロセスの過程や時間の流れが殆ど省かれているので、弱体ティームがメンタル面だけでいきなり強豪になってしまったかのような印象を受けます。それでもそれらは、映画の持つ豊かさに比べれば瑕疵にしか過ぎません。


日本国内において、最近はイーストウッドを神格化する向きも増えて来ましたし、逆に神格化を嫌悪するだけの無意味な作品批判も見かけるようにもなりました。しかしこれは肩の力を抜いた人間イーストウッド同様に、我々観客もリラックスして楽しみたい映画なのです。


インビクタス 負けざる者たち
Invictus