レスラー



★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1980年代に絶大な人気を誇ったプロレスラーのランディ・”ザ・ラム”・ロビンソン(ミッキー・ローク)は、今やステロイドを使って老体に鞭打ち、地方興行で小金を稼ぐ身だ。リングを降りると眼鏡と補聴器を付け、スーパーマーケットで力仕事をして生活費を稼ぎ、稼ぎが足りないと賃貸のトレーラーハウスから締め出しを食らう。ある日、試合後に心臓発作で倒れた彼は、「再びリングに上がると命の保証は無い」と医師に宣告され、引退を余儀なくされる。馴染みの中年ストリップ・ダンサー、キャシディ(マリサ・トメイ)の助言に従い、長年疎遠になっていた娘ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)との関係も修復したいと思うのだが。


整形手術のし過ぎですっかりご面相の変わったミッキー・ロークですが、僕はこの映画では彼の顔はまるで印象に無く、むしろ彼の肉体の表情が強い記憶として残っています。彼の初登場、試合後の控え室で椅子に座っている後姿から数分、顔を見せません。長いブロンドヘアに隠れたり、後姿だったり。特殊メイクによる傷跡ではなく、ロークの肉体そのものに刻まれている年輪が、中年レスラーの役に重ね合わせられます。激しい浮き沈みを経験してきたミッキー・ローク自身と、このランディ・ザ・ラム役を重ね合わせないで見るのは、もはや難しい。しかしローク自身のキャリアを知らずとも、実在感のある肉体をスクリーンを通して感じるのは、た易いのではないでしょうか。


ランディは人生の敗残者なのかも知れませんが、奇妙な魅力があります。人懐っこく、近所の子供たちに人気があり、試合前後の控え室でも他のレスラー達から尊敬を受けています。威張らず、気優しい男。行き着けのストリップバーで、40半ばのキャシディともお互いに憎からず。この役を大げさにすることなく真っ直ぐ受け止め、あくどさや媚びなどの愚かしい小技を排し、力まず演じたミッキー・ロークは、賞賛に値します。


小さな秘密を抱えていたキャシディ役のマリサ・トメイも素晴らしい。人生の酸いも甘いも経験してきた分別ある彼女が、ランディとの関係を一歩前に進められないためらいを感じている様を、トメイは好演しています。一方、今売り出し中のエヴァン・レイチェル・ウッドが、実父に対する苛立ちと受容、そして怒りを感じる娘役を演じており、難しい役でありながら、説得力のある演技を見せてくれます。この女優2人の好演が、ロークを一層引き立てているとも言えます。


ダーレン・アロノフスキーはデヴュー作の『π』(1997)は見逃し、第2作目『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)に圧倒され、次の『ファウンテン 永遠につづく愛』(2006)はまた見逃していますが、本作は『レクイエム〜』とはかなり違った作風でした。薬物地獄に堕ちて行く人々を描いた冷徹なホラーとも呼べるあちらに対し、こちらは一見すると人情ドラマ風です。中盤に用意された美しくも至福の時間、つまりランディとキャシディが良い感じになるバーの場面や、ランディが娘と廃屋で踊る場面を観るに付け、映画はくたびれた男に幸せを贈るかのようにさえ思わせます。スーパーでも接客業を担当し始め、客相手にも危なっかしくも愛想良く、仕事も上り調子。しかし結局は暗転し、ランディはリングに戻るしかないのです。アロノフスキーは冷徹さや安易な同情に溺れることなく、1人の男に微温を感じさせる視線を送ります。


格闘技自体にまるで興味が無い僕にとっても、映画は非常に興味深い世界を描いていました。控え室でハグして談笑、試合の打ち合わせをし、リングに上がったら血塗れの乱闘。試合後はまた声を掛け合ったり、談笑したりする。アメリカのプロレス界を扱ったドキュメンタリ『ビヨンド・ザ・マット』(1999)を残念ながら見逃しているのですが、本作はあの映画にも結構影響を受けているそうです。ともあれ、ここではプロレスは八百長だ、などと御託を並べるのはどうでも良い。プロレスはショウです。ただ彼らが観客を楽しませようと、文字通りに身体を酷使しているのは事実なのですから。事前に打ち合わをせしたショウであっても、建築用ホチキスを身体に打ち込み、板ガラスに突っ込み、鉄条網の上に転がる。隠してあったカミソリでわざと傷付け、出血を演出する。己の肉体を保持する為に、トレーニングを積むだけではなく自分の尻に薬物を注射する。観ていて痛くなってくる数々の場面は、同時に滑稽さと紙一重でもあります。映画が不必要に重くならなかったのは、こういったプロレス界の裏側を誇張無く描いているからでしょう。ランディ・ザ・ラムが、ここを自分の居場所だと思わせる説得力があるのです。


幸福になれそうだったのに、がらがらと崩れ落ちる世界。現実社会がつらいからリングに生きるしかない。全てが上手く行かなくなったとき、観客のいるリングに自分の生き/死に場所を求める。16mm撮影を35mmにブローアップしたザラついた映像が、主人公の生き様を表わしています。プロットだけ取ると、昔のヤクザ映画とか、あるいはブライアン・デ・パルマアル・パチーノの佳作『カリートの道』に似たもの。そう、結局は自分の生き方を変えられない、不器用な男の物語なのです。


映画のラスト、必殺技の”ラム・ジャム”をかけるべくリングコーナーからジャンプする姿、暗転、そしてその後に流れるブルース・スプリングスティーンが歌う『The Wrestler』が後を引きます。心に残る真摯な映画として、一見をお勧めします。


レスラー
The Wrestler

  • 2008年 / アメリカ / カラー / 109分 / 画面比:2.35:1
  • 映倫(日本):R-15
  • MPAA(USA):Rated R for violence, sexuality/nudity, language and some drug use.
  • 劇場公開日:2009.6.13.
  • 劇場公開日:2009.6.13.
  • 劇場:TOHOシネマズ横浜ららぽーと5/ドルビーデジタルでの上映。土曜13時からの回、126席の劇場は20人程度の入り。
  • 公式サイト:http://www.wrestler.jp/ 予告編、キャスト&スタッフ紹介、プロダクション・ノートなど。