ウォッチメン


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1985年のアメリカ。ウォーターゲート事件は発覚せず、ヴェトナム戦争に勝利したニクソン大統領が3期目を務め、米ソ冷戦は緊張度を増し、全面核戦争の危機が近付いていた。かつてのヒーローたちは自警団を取り締まる条例により活動が出来なくなり、引退して一般市民として生活していた。ある日、エドワード・ブレイク(ジェフリー・ディーン・モーガン)という男が、ニューヨークの高層マンションから突き落とされて殺される。条例を無視して街のダニ退治を行っているロールシャッハジャッキー・アール・ヘイリー)は、ブレイクはかつてコメディアンというヒーローだったことを突き止めた。これは俺たちヒーローを狙った事件の始まりなのではないか。ロールシャッハはかつての仲間を訪ね回って警告すると共に、事件の真相を探ろうとする。だが事件の裏には、巨大で恐るべき計画が隠されていたのだ。


アラン・ムーア作、デイヴ・ギボンズ画のグラフィック・ノヴェルの名作『ウォッチメン』の映画化は、テリー・ギリアムら幾人もの監督たちが挫折した企画としても有名です。今回果敢にも挑んだのは、デヴュー作『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)でいきなりヒットを飛ばし、続く『300<スリー・ハンドレッド>』(2007)を大当たりさせたザック・スナイダー。単純なプロットに視覚的な刺激を満載した手法を得意とする監督です。原作の大ファンだという彼が、「飽くまでも原作に忠実に」映像化したというので、興味津々で観て来ました。


実際に観てみると、原作そっくりな映像が氾濫するものの、かなり脚色がされていました。特にクライマクスのネタはかなり違ったものとなっていましたが、これはテーマも含めて映画向けに上手く脚色したと言えます。原作は元々アダルト向けコミックでしたが、要所のセックス&ヴァイオレンス描写は映画版の方が割増し。これもスナイダーの嗜好である「画面映え」させる為の改変でしょう。実際、映像とサウンドは刺激的だし、展開は早くて退屈させることなく、個人的には楽しめた映画です。『「300」』でも見せてくれた、スローモーションとコマ落としを併用したアクション描写は迫力がありました。秀逸だったのがボブ・ディランの『時代は変わる』が流れるタイトルバック。原作にあった場面、原作に無かった創作場面を交え、ウォッチメンという存在を端的に描いています。このシークェンスは完全に映画のオリジナルです。まぁそもそも、原作ではウォッチメンという存在は無く、古代ローマの弁護士・詩人ユウェナリス(「健全なる精神は健全なる肉体に宿れかし」が有名)の詩の一部「誰が見張りを見張るのか?(Who will watch the watchmen?)」から取られたタイトルなのですが、映画版ではウォッチメンというヒーローグループがあったことになっています。


そのウォッチメンたち、各ヒーロー像の元ネタは、キャプテン・アメリカバットマンのパロディになっているくらいしか僕には分かりませんでしたが、妙にリアルな存在として描かれていました。


パトリック・ウィルソン演ずるバットマンならぬナイト・オウル(フクロウ)II世は、遺産を相続した金持ちで秘密兵器も自作、地下に秘密基地も持っていますが、素顔は冴えない風采。週に1度のナイト・オウルI世との酒の席を持って、昔話に花を咲かせています。ヒーローにも暖簾わけがあるんだ、などと妙なところに感心してしまいました。マリン・アッカーマン演ずるシルク・スペクターII世は、I世である母の英才教育によって若くしてヒーロー(ヒロインか)になった身を呪っています。マシュー・グード演ずるオジマンディアスは、条例施行前に自分の正体を世間に明かし、優秀な頭脳を駆使して大企業を設立。自らのキャラクター・グッズを作って販売しているという抜け目無さ。冒頭で殺されるコメディアンは、自らの暴力衝動の為にヒーローとなっており、戦争の裏で合衆国工作員となっていた人物。一方、信仰心に厚い面もあります。


僕が一番気に入ったヒーローはロールシャッハでした。条例施行後も違法に独自の活動を続けている彼は、ソフト帽にトレンチコート、真っ白な全頭マスクを被っていて、普段は素顔が見えません。マスク上では常に左右対称に動く黒い染みがランダムに動き、それが彼の感情を表すロールシャッハ模様となっています。全ては黒か白か、善か悪かで割り切り、彼にとって灰色は無く、一切の妥協を許さない。自己を正義の使者と定義して、この腐った大都市にへばりついている人間どもを監視し、必要とあらば成敗する。現代アメリカの縮図を体現し、歪んでいるにも関わらず、理想主義の行き過ぎという純粋さも持ち合わせているのが面白い。この極端な性格は、『タクシードライバー』(1976)の主人公トラヴィスや、『セブン』(1995)の犯人ジョン・ドウを思い出させました。特に偏執狂的に日記を付けているところなど、ドウを思わせます。好演しているジャッキー・アール・ヘイリーは、『リトル・チルドレン』(2006)以来のパトリック・ウィルソンとの再共演。思えばあちらも病んだ現代アメリカを描いていました。


視覚面で一番強烈なのは、Dr.マンハッタンでしょう。世界唯一の超人である彼は、元々は核実験事故に巻き込まれた物理学者ジョン・オスターマン博士。肉体が分解された後に自らを再構成し、青白く発光する無毛の男性となって蘇ります。あらゆる原子を操作し、伸縮自在。テレポーテーション、テレキネシスを自由に操る。アメリカがヴェトナム戦争に勝利したのは彼の力であり、対ソ連の核抑止力ともなっている。ギリシャ彫刻のような彼の肉体はほぼ常に全裸ゆえ目のやり場に困りますが、人間性を喪失しつつある彼の無表情で無感情な様は、文字通りの超人のイメージそのものです。


このように個性的な登場人物が物語を彩るというのに、肝心のドラマ部分は薄味です。ザック・スナイダーはひたすら原作の絵を再現する作業に没頭したと見え、その成果で「動くコミック」としては見応えがあるものの、映画としての彫りが浅いものとなっています。本作の肝は、「スーパーヒーローが現実に存在したら、彼らは人類を救う為に何をするだろうか」、という思索を壮大に描いたことにあります。原作者たちの解答が明示される、情け容赦無いクライマクスにおけるヒーローたちの決断も、もっと各人のドラマが掘り下げられていれば凄みを増しただろうに。そもそもは、心理描写よりも即物的描写を信じている監督に期待したのが間違っていたのか。


映画の構成にも問題があります。ヒーローの1人コメディアンが殺害されるところから物語は始まり、かつてのヒーローたちがコメディアンを回想する展開になる序盤は、物語の進行が無いのでやや冗長気味。また、物語自体は結構回り道したり、不必要に複雑だったりして、映画向けに整理されていません。これらは読む分には面白いのですが、もっと大胆に脚色しても良かったでしょう。


さらに問題なのは、原作が出版された1980年代当時の時代設定そのままで、現代の視点がまるで入っていないこと。ソ連は自壊し、アメリカも経済的な大打撃を受けている現在からすると、2超大国の全面核戦争危機という設定はかなり古臭い。現実やヒーローものを脱構築した原作があるのであれば、その原作をさらに脱構築して映画版を作れば良かった。また、上映時間が2時間40分以上もありながら、1本の映画というフォーマットにこだわったからか、枝葉を切り落とし、残した幹を再現することに専念したせいで、随分と窮屈な印象を受けました。加えて核戦争の恐怖の盛り上がりも余り無く、ザック・スナイダーは複雑な物語を語る術を持ち合わせていないのが分かってしまいます。前2作は物語が単純だったゆえ、彼の視覚感覚のみが前面に押し出されており、それが成功していたということなのでしょう。どうせならば先に述べたタイトルバックのように、原作から離れて視覚面も自分の個性に塗り替え、物語も換骨奪胎しても良かったのではないでしょうか。


尚、劇中には何気なくアンディ・ウォーホールデヴィッド・ボウイ、保守派論客パット・ブキャナン、リー・アイアコッカなどのそっくりさんも出て来てちょっと可笑しい。特に存命中のアイアコッカの扱いが相当にキツい。東部エリート嫌いも台詞で分かるニクソンの台詞もらしくて笑えます。米軍の作戦司令室が『博士の異常な愛情』(1963)そっくりだったりで、小ネタ系は結構面白かったのでした。


ウォッチメン
Watchmen

  • 2009年 / イギリス、アメリカ、カナダ / カラー / 163分 / 画面比:2.35:1
  • 映倫(日本):R-15
  • MPAA(USA):Rated R for strong graphic violence, sexuality, nudity and language.
  • 劇場公開日:2009.3.28.
  • 鑑賞日:2009.4.4./ワーナーマイカル・シネマズ港北ニュータウン10 ドルビーデジタルでの上映。1週間後の土曜日20時35分からの回、99席の劇場は6割程の入り。
  • 公式サイト:http://watchmen-movie.jp/ 予告編(欧米の原作ファンの間で大好評だったもの)、キャスト&スタッフ紹介、プロダクション・ノート、インタヴュー動画など。