ワルキューレ


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1944年。北アフリカ戦線で右目と右手の指全部、左手の薬指と小指を失ったフォン・シュタフェンベルク大佐(トム・クルーズ)は、優秀な軍人にして熱心な愛国者だった。狂信的独裁者ヒトラーによって混乱と暗黒に包まれた祖国ドイツを救うため、彼は陸軍上層部・政治家らで密かに結成された反ナチ活動グループに入る。グループはヒトラー暗殺に失敗していた。シュタウフェンベルクは、ドイツ国内で発生したクーデターを封じ込める反乱鎮圧作戦「ワルキューレヴァルキューレ)」に目を付ける。この作戦を利用して、ヒトラー暗殺の罪をSS(親衛隊)に被せてSSを鎮圧、国内で軍事の実権を握り、連合国軍と和平交渉に入るのだ。昇進によってヒトラーに近付けることになったシュタウフェンベルクは、プラスティック爆薬を鞄に入れて総統大本営「狼の巣」に向かう。


43回あったと言われている内、最後にして最大のヒトラー暗殺計画を映画化。ヒトラーの最期は誰でも知っているのですから、計画が失敗するのは分かっています。では、破滅へのプロセスをどう描くか。分かりきっている結末まで、どう見せるか。その点において、ドゴール大統領暗殺計画を描いた、フレッド・ジンネマン監督の名作『ジャッカルの日』(1973)と同じハードルが課せられています。この映画に関して言えば、監督ブライアン・シンガーの力量は発揮されています。近年は『X-MEN』(2000)、『X-MEN2』(2003)、『スーパーマン リターンズ』(2006)とアメコミ・ヒーロー映画が続いていましたが、今回の作品は徹頭徹尾リアルなスリラーであろうとします。出世作ユージュアル・サスペクツ』(1995)のような、観ている者をギリギリと締め上げる、息苦しくなる緊張の連続に満ちたスリラーを。序盤のトレスコウ少将(ケネス・ブラナー)による暗殺失敗、シュタイフェンベルクによる暗殺失敗、そして運命の7月20日の暗殺計画実行の様など、冒頭から中盤に掛けて手に汗握るとはこのこと。緊張感溢れるスリラーなのは間違いありません。


ユージュアル・サスペクツ』がそうであったように、徹頭徹尾スリラーであろうとすると、ドラマ性が希薄になってしまうのは必然です。しかしあちらは個性的で味のあるクセ者役者を揃えて、人物が描かれていました。いや、少なくとも描かれているように思わせてくれました。『ワルキューレ』も同様。何故か主にイギリス人俳優によって演じられるドイツ軍反乱メンバーは、出番の多かれ少なかれに違わず、人間味を印象付けます。しかしこちらには、大きな欠陥がありました。それは主役であるシュタイフェンベルク大佐の造形です。


演じるトム・クルーズは熱演していますが、周囲の老練な役者たちに比べると、人物像が希薄に感じられます。スターの存在感はあっても、掘りが浅い。豪華脇役陣に比べ、熱いものの単調にさえ思えてしまいます。熱烈な愛国者で、家族を、ドイツ国民を想っていたのは伝わりますが、それ以上のものは感じられない。これはいつまで経っても青二才演技から抜け切れない彼の演技に問題があるのではないでしょうか。いつもならばさして問題にならない筈だったのに、比較の対象のレヴェルが高過ぎ、また対象が多過ぎました。徹頭徹尾スリラーであると同時に、近年の彼の主演作同様に「トム・クルーズ映画」でもあっただけに、余計に欠点が目立ちます。「トム・クルーズ映画」なのに、主人公が描けていないことによるドラマ感の希薄さ。強烈なサスペンスは印象に残っても、物足りなさが残るのはこの為です。


では贅沢な脇役達に目をやってみましょう。前述したケネス・ブラナーは序盤と終幕にしか登場しませんが、間違いなく作品に格をもたらしています。終幕で見せる哀しげな表情は名優ならでは。シュタウフェンベルクの上司となるオルブリヒト少将役ビル・ナイは、空白の3時間を作り出してしまう逡巡と悲哀を、説得力をもって演じています。日和見で虎視眈々と自らの出世を狙うフロム大将役トム・ウィルキンソンは、狡猾さと卑劣さを大物の中に滲ませました。グループのリーダー、ベック元帥役テレンス・スタンプは、貫禄だけではない高潔さを体現しています。クイルンハイム大佐役クリスチャン・ベルケルは、内に秘めた鋼のような強靭さを出し切っています。レーマー大佐は体制に対しての立場が今一つ明確になっていないように見える描き方になっていましたが(実際にはナチ親派)、これは映画の緊張を高める為なのでしょうか。ともあれ演ずるトーマス・クレッチマンが印象に残るのは、演技で冷徹さを表現出来たからです。彼ら男優陣によって、厚みのある優れた集団劇にさえなった可能性がありました。


シュタウフェンベルク夫人役カリス・ファン・ハウテンは、『ブラックブック』(2006)での主役と違って出番は少ない。それでも光っています。若いながらも既に大女優の風格と品位を醸し出しており、今後も要注目の女優です。


映画は暗殺決行後の大規模な軍事クーデターの模様と、その崩壊までを描き出します。後半は緩やかな破滅への道のりを描いている為に、観ているこちらも気勢は上がりません。しかし文書で読むのと、こうやって映像化されるのとでは、イメージが全く違いました。総本山や軍の都市部制圧など、スケールの大きな描写は大作ハリウッド映画ならでは。ここまでの規模だったとは、と個人的には大きな発見でした。それだけに登場人物の末路を字幕で説明するだけではなく、200人以上が処刑された事実も説明してもらいたかったところです。


実は映画で一番慄然とさせられるのは、日本版独自のヒトラーについての解説文の冒頭です。こんなことさえも書かないと分からない観客がいるのかと思うと、暗澹たる気分にさせられました。そもそも子供が観に行く映画ではなかろうに。大人でさえ知らないということなのでしょうか?


ワルキューレ
Valkyrie