チェンジリング


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1928年L.A.。シングル・マザーのクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は、10歳の愛する1人息子ウォルターと共に幸せに暮らしていた。だがある日、休日出勤したクリスティンが帰宅すると、ウォルターが消えていた。数ヶ月後、警察からウォルターが遠く離れたイリノイ州で見つかったとの連絡が入る。喜びに満ちて駅まで迎えに行ったクリスティンを待っていたのは、ウォルターとは別人の少年だった。だが少年は自分をウォルターだと言い、クリスティンをお母さんと呼ぶ。警察に人違いだと訴えるものの、あなたの勘違いだと付き返されてしまう。数ヶ月の間に成長したので見分けが付かなくなったのだ、と。やがて事件は大きな展開を見せて行く。


単純な感動路線を期待していた向きは、無論そういった感動、涙を流すことの出来る映画という点で満足したかも知れません。しかし予備知識無く観た観客の多くは、恐らく予想もしていなかった展開にびっくりした事でしょう。イーストウッドらしく闇を描いた作品になっているからです。


映画には2人に象徴される闇が登場します。1つはジェフリー・ドノヴァンが演ずる、L.A.市警の警部に象徴される、権力の闇。もう1つはジェイソン・バトラー・ハーナーが演ずる、養鶏場を営んでいる男に象徴される、心の闇。それぞれの俳優の好演もあって、この一筋縄ではいかない闇が並行してヒロインら登場人物の心に絡み付き、傷跡を残します。希望というキーワードに代表される、明るさを持つエンディングであってさえも、観客の心にも強烈な印象を植え付けました。10年前、20年前のイーストウッドだったら、個人的な闇、つまり後者のみを描いた可能性があります。しかしイラク戦争後、保守の立場から映画を通してアメリカ批判を行ってきたイーストウッドだけに、権力の腐敗を描かずにいられなかったのでしょう。80年前を描きながらも、現代に映画化する意味があった映画となっています。


事件の解明自体も非常にスリリングなものとなっていますが、それ以外にも映画としての見所は多い。セットや衣装、精巧な特撮で描かれた80年前のL.A.の町並み、ヒロインが監督している電話交換台の様子(彼女はローラースケートを履いて、部下たちの間を移動しながら的確な指示を与えていくのです)など、再現された風俗を眺める楽しみもあります。そのような蘇った過去の世界の中で、経済的に自立しているヒロインの存在が特に目を引きます。


クリスティンは強い意志を持った女性ですが、いわゆる好戦的な人物ではありません。警察に楯突こうという気もなく、出来れば穏便な形で幸せな結末を望んでいる市井の人です。しかし権力の闇が彼女を引きずり込もうとすると、そこに警察の腐敗を追及する牧師ブリーグレブが現れます。ジョン・マルコヴィッチ演ずる彼は、教会で説教をするだけではなく、ラジオ番組も持っており、クリスティンに自分の番組=メディアで警察からの仕打ちを告発するよう、勧めます。そこに乗っかるクリスティンは、打算的というよりも本能的にどうすれば状況を打開して行くのか知っていた、と思わせるのが面白い。その後の展開からしても、一見すると彼女は主体的なヒロインではなく、受動的な人物のように見えます。しかし周囲に流される一方にならず、粘り強く自分の主張を続けて行きます。「自分の息子を返して欲しい」と。弱々しいのでもなく、マッチョでもない。か弱く見えながら、実際にはしなやかで強靭なヒロイン像を、アンジェリーナ・ジョリーはやや大袈裟ながらも、説得力と求心力のある渾身の演技で見せてくれます。波乱に満ちた体験をするヒロインに対してだけではなく、観客の心を落ち着かせる役目を十分に果たしていたジョン・マルコヴィッチの演技も良かった。その他出演している役者全てが好演するという、イーストウッド作品ならではのささやかな奇跡も見られます。


一方、映画としては大きな欠点を持っています。実話を元にしているだけに、J・マイケル・ストラジンスキーの脚本は、特に後半が内容を盛り込み過ぎて、どこに主眼を置いているのか分からないきらいがあります。逆にフィクションだったならば、そぎ落とされていた大きな要素も幾つかあった筈。しかし重心の低いイーストウッドの演出は決して雑にならず、落ち着き払い、自信を持ってゆったりを歩を進めます。そう、ダーティ・ハリーが道を歩くときのように。歳を取ると映画のテンポはゆったり、下手すると冗長・退屈な作品を発表する監督が多い中、この人の老練でありながら老いていない技術力は素晴らしい。緊張と感情の盛り上げも見事。観客の同情を必要以上に誘うようなものではなく、そっと登場人物に寄り添うスタンス。突き放さず、寄り添う訳でもなく、仄かに温かく見つめる。社会的弱者や少数者に対する、いつものイーストウッドの視点です。老練でありながら、自己満足と老醜を見せない溌剌とした演出は、切れ味も鋭いものとなっています。


登場人物の感情は台詞のみに頼らず、演技や映像で見せるべきだ、というイーストウッドの映画論はこの映画でも顕在です。映画に描かれる幾つもの死の描写の中、特に強烈なのがとある人物の死に様でしょう。イーストウッドは復讐は許されるべきと考えている人でもあります。この場面では、死に対して観客もいて、まるで西部劇のよう。そこで流される涙の意味は。ここに保守的なイーストウッドらしさも見えました。


チェンジリング
Changeling

  • 2008年 / アメリカ / カラー / 141分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for some violent and disturbing content, and language.
  • 劇場公開日:2009.2.20.
  • 鑑賞日:2009.2.21./ワーナーマイカルシネマズ港北ニュータウン3 ドルビーデジタルでの上映。公開2日目の土曜21時00分からの回、120席の劇場はチケットほぼ完売。
  • 公式サイト:http://www.changeling.jp/ 予告編、キャスト&スタッフ紹介、プロダクション・ノート、L.A.タイムズの実際の新聞記事(英文)など。