ベンジャミン・バトン 数奇な人生


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1918年のニューオーリンズ。80歳の老人としてこの世に生を受けたベンジャミン(ブラッド・ピット)は、成長するに従って若返っていった。捨て子だった自分を拾ってくれた黒人女性クイニー(タラジ・P・ヘンスン)の愛情を一身に受け、壮年になってからは家を出て、見聞を広めるようになる。第二次大戦では仲間を失い、富豪夫人(ティルダ・スウィントン)と恋に落ちながらも、彼の心の中心にはいつも幼馴染みのデイジーケイト・ブランシェット)が居た。2人の人生はときに交錯し、ときに離れていく。


私にとってデヴィッド・フィンチャーは、1作おきに成功作を発表する監督です。イマイチな『エイリアン3』(1992)でデヴューし、次に秀作『セブン』(1995)を発表、期待作『ゲーム』(1997)で実は一発屋か!?と落胆させてから、『ファイト・クラブ』(1999)という傑作を送り出し、凡作スリラーの『パニック・ルーム』(2002)で再びガッカリさせられました。その後に『ゾディアック』(2007)という佳作を送り出したのですから、今回は順番からするとハズレの筈。不安になるというものです。


がしかし、これは彼のフィルモグラフィの中でも上出来の部類に入ります。


老人として産まれて赤子として死ぬ主人公の数奇な人生を描く、というのは既に宣伝で広まっています。じゃぁ如何に奇想天外な人生を見せてくれるのだろうとの期待を、恐らくは大方の人同様に持って鑑賞に臨みました。しかし映画を観終えてまず最初に持った感想は、「案外、平凡な人生ではないか」。つまり主人公ベンジャミンの生涯は、我々一般人と同じようなもの。記憶の無い状態で生まれ、記憶を無くして死んでいく。そして人が長らく生きていくということは、周囲の老いを、死を目撃すること。ベンジャミンが若返っていこうが、老いていこうが、それは不変なのです。


映画の冒頭には、戦争で息子を亡くした時計職人が時を逆さに刻む大時計を作るエピソードが登場します。しかし息子は戻りません。誰の人生であっても、過去には戻れないのです。人はいずれ死ぬ。だからこそ生きて行く。誰にとっても愉快とは言えない、しかし避けて通れない厳しいテーマを持ちつつも、優しくも物悲しい法螺話というオブラートで包んだエリック・ロスの脚本と、細を凝らしたフィンチャーの演出は、素晴らしいものとなっています。


映画は死の床にあるデイジーが、ベンジャミンの日記を娘に朗読させ、過去を回想するという凝った構成になっています。主に過去が語られながら、途中に現代が挿入される。このやり方が全て上手く行っている訳ではありません。面白い過去の場面から突如現代に呼び戻されると、観ている方のリズムが乱されます。しかし映画のペースも落ち着き、観客の側も徐々に慣れてくると、作品世界に没入して行くことが出来ます。


優しい映画は残酷にも死の匂いに包まれています。徐々に若返える主人公は、老人、壮年、中年、青年と変貌していきます。やがて赤子となって死ぬのは予想出来ること。だがこれは、誰もが老いて死ぬことと同じなのです。劇中には幾つもの別れの場面がありますが、デヴィッド・フィンチャーは感傷的にならず、静かで落ち着いたタッチで物語を進めて行きます。


映画の語り口同様に、ベンジャミンその人も淡々としています。来るもの拒まず、去るもの追わず。脚本家エリック・ロスの代表作『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)の主人公のように、ベンジャミンもその時その時の人との触れ合いを大切にします。世界で只一人若返っていく孤独ゆえ、人と人との繋がりは、残念ながらいつかは切れていくもの、いつかは必ず別れが来ることを知っているからでしょうか。出会いも別れも、受け入れて行きます。一方で深くは他人に立ち入りません。それでもベンジャミンが冷淡ではない善良なる人間なのは、打算の上での付き合いをしないからです。他人との時間を純粋に大切にする彼の姿は、清々しく感じられました。


しかし映画の終盤、ベンジャミンは他人に取っても重大な決断を下します。かなり身勝手とも取れる決断ですが、僕自身は肉体だけではなく、彼が精神的にも若返ってしまったからではないか、と思いました。


個性的なのは主人公だけではありません。バレリーナを目指すヒロイン。人種差別の激しかった筈の時代に、拾った白人の老人赤子をひたむきに愛する黒人女性。アーティストと名乗るタグボート船長。やりたいことをやめてしまって後悔する富豪女性。7回も雷に打たれた老人。彼らの個性を個性として、時に欠点すら受け止めるベンジャミンの寛容さが、この映画の主題でしょう。人それぞれで良いのだ。これはラストシーンにもはっきりと打ち出されています。


映画で際立つのは凝った映像の美しさ。寓話や過去の挿話場面によっては、わざとフィルム傷が目立つセピア調モノクロ映像になります。また、海の場面では最初は如何にもCG特撮っぽいのですが、時代が進むに連れて徐々にリアリズムを増していきます。微妙に陰影を付けてあるライティング等も含めた撮影自体、一級品。ヴィデオ撮影ならではの生々しさを塗布することなく、フィンチャーは『ゾディアック』同様に完璧にハイビジョンキャメラを使いこなしています。私が観たハイビジョン撮影映画の中で、これは間違いなく最も美しい映画と言えます。また、主な舞台となるニューオーリンズという町の持つ、独特な陽気と妖気が、映画に大きな影響を与えているように思えました。


美しいのは映像だけではなく、共に役者としても好演しているブラッド・ピットケイト・ブランシェットもそう。彼らの登場場面の殆どが、それとなく微妙な効果を上げているCGやメイクアップで加工されたものです。実際のピットやブランシェットの現在の素顔を知っていると、現実味があるのにどこか不自然さを感じます。それが映画に幻夢的雰囲気を与えているように感じました。


これらは全て精巧な技術力によるものですが、そのどれもが自己主張をしていません。映画全体を美しく彩っています。映像や仕掛けだけに走らず、全て語ることに徹したフィンチャーの演出は、観客を挑発するかつての振りからは想像も出来ません。見応えのあるものとなっています。


ゆったりとしたテンポを心地良いか、退屈と見るかで、随分と評価も変わりそうです。そもそも内容からして好き嫌いが分かれる可能性が高そう。しかし3時間弱もの上映時間、暗闇の中で人生や生き方について含蓄に富んだ法螺話に付き合うのも、一興ではないでしょうか。僕自身は内容にも芸術的なルックにも、感銘を受けました。


[[ベンジャミン・バトン 数奇な人生]]
The Curious Case of Benjamin Button