ノーカントリー


★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1980年代、メキシコ国境沿いのテキサス。ベトナム帰還兵モス(ジョシュ・ブローリン)は、銃撃戦が行われたらしい現場に出くわし、大金入りスーツケースを見付けて持ち去る。スーツケースの持ち主であるギャングたちは、冷酷非情な凄腕の殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)を差し向ける。事件の捜査を担当することになった初老の保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)もまた、彼ら2人を追跡するが。


ジョエルとイーサンのコーエン兄弟による脚本、監督、編集(ロデリック・ジェインズ名義)作品は、予想以上に凄い出来でした。見終えた直後の衝撃だけではなく、後から思い出しても素晴らしい描写や場面の宝庫です。台詞は少なく、本編にいわゆる劇伴と呼ばれるスコアは一切無い、寡黙な映画。饒舌とは対極のスタイルであっても、内容は豊穣です。


映画はコーエン兄弟作品としては、一見、間口の広い作品のように見えます。既にあちこちで書かれているように、往年のTVシリーズ『冒険野郎マクガイバー』もかくやという、日用品を駆使しての冒険劇にわくわくしますし、逃走・追撃のサスペンス・アクションとしての出来も素晴らしい。例えば水に濡れた銃器の扱いなど、いちいち描写も細かく、現実味も満点です。


追われる身となったタフで知的な男モスは、この手のクライム・アクションの主人公に相応しい人物です。無骨でいながらさりげない優しさを持ち合わせた男(それによって追われる羽目になりますが)。銃器の扱いに慣れ、危険な境遇を潜り抜ける術を持っている理由は、映画の後半で明らかにされますが、登場してすぐに次々と危機を乗り越える姿も違和感がありません。ジョシュ・ブローリンは好演で、彼にとって大当たりの役となりました。


トミー・リー・ジョーンズ演ずる保安官ベルは、世の理不尽な暴力に疲れ、引退を考えています。「最近の犯罪は理解出来ない」、と。この嘆きは、彼だけではなく映画を観る多くの人々が共鳴するものでしょう。疲れているものの、ベルは頭脳明晰で温情家、しかもどこか飄々としていて、長年連れ添っているらしい妻とも平穏な結婚生活を送っているようです。シガーの存在に気付いた彼は、モスをシガーから救おうとします。ジョーンズの演技は、演技そのものを感じさせるというよりも、ベルの存在自体を温かく感じさせるもの。それに老保安官夫妻の場面は、映画に数少ない、ほっと一息付ける空気が流れています。


映画を観た誰もが強烈な印象を抱くのが、ハビエル・バルデムが怪演する殺し屋シガーでしょう。鬼太郎ヘアスタイルの風貌もさることながら、コイントスで生死を決め、屠殺用圧搾空気銃で相手の額を撃ち抜き、消音機付きライフルで容赦無く射殺する。シガーの通った後にはおびただしい血が流れ、幾多もの死体が転がります。彼の行動には一切の感情がありません。シガーの存在感は物語が進むに連れて増し、暗雲は映画の後半を覆い尽くしていきます。存在自体が観客に怖気さえ感じさせます。


122分のこの映画、90分くらいまでは近年稀に見る密度の濃い追撃サスペンス・アクションとして出色の出来栄えです。息を呑むどころか、息を潜めたくなる緊張感。追う者・追われる者の度胸比べ・知恵比べや、危機また危機の展開、迫力満点の撃ち合いも含めて、画面から目も耳も離せません。まず大方の観客は、娯楽作品として十分に楽しめたのではないでしょうか。


特筆したいのは、名手ロジャー・ディーキンスによる撮影。アクション映画に相応しく、荒涼たる土地を荒々しく切り取っています。


ところが映画は、終幕30分になって予想外の展開を見せます。映画を観ている最中に、「それまでの意味や展開は何だったの?」という問いが、頭の中を駆け巡りました。そしてとある人物による長台詞の後に、唐突にエンドクレジット。呆気に取られそうですが、この捻った味わいもコーエン兄弟らしい。元々理不尽な展開の映画の方が面白い場合が多い兄弟ですし、理に落ちないこの映画はその中でも抜群の出来です。


テーマとなる象徴がシガーという男。彼こそが映画の核となる存在です。死とは、理不尽にいつ誰にでも訪れるもの。


真の主人公が誰だったか分かるラスト・シーンに、この映画のメッセージが込められているように思えました。世の中はつらく厳しく、ときに人生もまたしかり。疲れるのも、絶望するのも、ある意味当然でしょう。しかし最後に至って希望を見出し、心の平穏を得た主人公の姿は、傑作に相応しく美しいと思いました。これはある種の寓話劇なのです。


ノーカントリー
No Country for Old Men

  • 2007年 / アメリカ / カラー / 122分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):R-15指定
  • MPAA(USA):Rated R for violent and disturbing images.
  • 劇場公開日:2008.3.15.
  • 鑑賞日:2008.3.20./TOHOシネマズららぽーと横浜5 ドルビーデジタルでの上映。春分の日である木曜12時40分からの回、126席の劇場は5割の入り。
  • 公式サイト:http://www.nocountry.jp/ 予告編、キャスト&スタッフ紹介、プロダクション・ノート、コーエン兄弟&主演3人へのインタヴューなど。