ザ・マジックアワー


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ギャングの親分天塩(西田敏行)の愛人マリ(深津絵里)と関係を持ってしまった、天塩の子分の備後(妻夫木聡)。窮地に陥った彼は、ボスの指令で伝説の殺し屋デラ富樫を連れて来なければならなくなった。連れて来なければ命は無い。備後は売れない俳優の村田(佐藤浩市)を映画の撮影だと騙してデラ富樫に仕立て、ボスに引き合わせようとする。


三谷幸喜脚本&監督作品『ザ・マジックアワー』は、三谷作品初のスコープ画面映画でもあります。映画ならではの2.35:1の横長映像を、さてどのように使いこなすか。朝日新聞の連載エッセイにあったように画面作りを意識していたようなので、興味が沸きます。演劇的過ぎた過去の作品も、これで映画的雰囲気を追加することが出来るのでは。そのような期待も込めての興味です。


画面の使い方は、これ見よがしの構図は無くとも、内容の邪魔にならない程度に構図に気を配っていたように思います。人物の配置などそう。但し、これぞワイドという広がり感のある構図は殆どありませんでした。


それ以上に私が物足りなく感じたのは、いつもの三谷作品につきまとう舞台劇臭さが濃く、映画的な広がりに欠ける点にあります。


三谷幸喜脚本&監督作品は全て劇場で観ていて、処女作である『ラヂオの時間』(1997)は大爆笑したものでした。特に、帳尻合わせの為に皆が知恵を絞って強引にその場しのぎをしてしまうという終盤の滅茶苦茶ぶりは、コメディ映画ならではの醍醐味・高揚感さえありました。しかしながら、続く『みんなのいえ』(2001)、『ザ・有頂天ホテル』(2005)と、作為の窮屈さばかりが目立つようになるに連れて、笑いも薄まって来たように思えます。


いやいや、三谷作品は舞台作品も含めて、元々作りこんだ笑いが特長なのは理解しています。役者の個性を生かし、あるいは新たな個性を引き出し、彼らが演ずる登場人物の台詞や行動が笑いを巻き起こし、てんやわんやしつつも、最後は綺麗にまとめる。細部まで作り込んだ脚本で役者の力を出してもらう点ではどれも首尾一貫していて、それが彼の作品の強みでもあります。しかし監督作品を観ていると、どうも「舞台劇」の世界から抜け切れていない、「映画」の世界に入りきれていない恨みがあります。


彼の映画が舞台臭から逃れられないのは、どこか映像を信用していないからではないか、と今回の映画を観て思いました。舞台劇っぽいのは、それは限定された空間やセット撮影が目立つからだけではありません。


映画とは、当然ながら映像と音から成り立つもの。台詞で説明せずとも、役者の表情や仕草、あるいは音楽や効果音で観客に作者の意図を伝えることの出来るメディアです。言い換えれば、どんな手段を用いても良いから、如何に観客を説得するかに掛かっています。しかし全てを台詞で説明してしまう『ザ・マジックアワー』は、舞台劇の単なる映像版に見えてしまいました。三谷作品に共通する舞台劇調の演技もそう。役者の繊細な表情に気付きにくい舞台と違って、映画は監督の視点・キャメラの視点により、役者の演技が切り取られます。映画が舞台劇調ということは、監督の視点が舞台監督のままであるということとも言えます。三谷幸喜は、まだまだ映画というメディアを理解していないのではないか。信用していないのではないか。あるいは映画監督として、映画脚本家として、自信が無いのではないか。色々な過去の映画への目配せ、オマージュは観ていて楽しいものでありますが、そういった場面が単なる三谷の憧憬にしか過ぎない、まだ映画の世界に浸かっていないような気になりました。


映画自体は三谷ルールとでも言うべき規定に則ったもので、リアリズムとは遠い内容です。時代も現代と昔の間のような、不思議な舞台設定。どんなにギャングをコケにしようとも殺されず、悠長なもの。その意味では緊張感に欠ける出だしです。ですから観客側にも「これはこういうルールの映画なんだ」と自分を納得させる、あるいは想像力を使う義務があります。特に序盤の妻夫木聡深津絵里の、単なる空騒ぎに終わりかねない騒々しい演技には、観ていて痛々しくさえありました。


しかしながら佐藤浩市が登場してから、この映画は待ってましたとばかりに、走り出します。特に中盤からは可笑しくて可笑しくて涙が出そう、という爆笑場面が続出します。映画の爆笑ポイントの殆どが佐藤浩市絡み。普段は抑え目の演技をする彼が、カメラが回るとクサい芝居をする売れない役者という設定なので、その大袈裟な演技がいちいち可笑しい。しかも同じ設定でもパターンを変えて笑わせてくれます。この人にこんな喜劇センスがあったとは大発見です。いや、その才能を見出した三谷幸喜の大手柄。加えて三谷作品ならではの「強引なその場しのぎ」場面が頻出するので、観ているこちらも笑いも止まらなくなります。


佐藤だけではなく、寺島進の演技も評価したい。ダンディなヤクザ役の彼の、コメディ演技をしないコメディ演技の可笑しさ。作品の邪魔をしない控え目で品の良い演技は、脇役として記憶に残るものです。


達者な役者たちが登場してからは調子も良いので、このまま『ラヂオの時間』のように最後まで盛り上がってくれれば、と期待していたのですが、最後はちょっと尻すぼみでした。そのクライマクス前、映画業界用語と最後の見せ場としての「魔法のような時間」を掛けて期待させるのですが、実際にはそこまでは行かず。ギャングたちを騙す手口が、観客をも騙す手口になっているような捻りが欲しかった。これで観客をころりと騙してくれ、且つ大爆笑だったなら、多少の演劇調を差し引いても素晴らしいコメディになったのに。単に登場人物がびっくりしてスタコラ、はいハッピーエンドでは子供騙しです。また、深津絵里の人物が余り描き込みがされていないので、最後の行動も説得力に欠けてしまっていて、笑いもほどほどにしか起きません。綾瀬はるかの使い方も勿体無い。彼女の役柄をもう少し膨らませることで、エンディングに上手いこと味付けがされたことでしょう。


テレビで言っているような「傑作」では間違ってもありませんが、娯楽喜劇としては十分に楽しめる出来栄え。その意味では、劇場で他の観客と笑いを共有するのも楽しい映画です。


ザ・マジックアワー
The Magic Hour

  • 2008年 / 日本 / カラー / 136分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):(未公開)
  • 劇場公開日:2008.6.7.
  • 鑑賞日:2008.6.7./ワーナーマイカルシネマズ港北ニュータウン1 ドルビーデジタル上映での上映。公開初日の土曜21時25分からの回、539席の劇場は4割程度の入り。
  • 公式サイト:http://www.magic-hour.jp/ 予告編、キャスト&スタッフ紹介、プロダクション・ノート、三谷幸喜の期間限定blogなど。