アイム・ノット・ゼア


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

アルチュール・ランボーに傾倒する、アルチュールと名乗る青年(ベン・ウィショー)へのインタビュー。ウディ・ガスリーと名乗る黒人少年(マーカス・カール・フランクリン)のブルースの旅。プロテスト・フォークで一躍時代の寵児となるシンガー、ジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベイル)。フランス人妻(シャルロット・ゲンズブール)との結婚生活が破綻する映画スター、ロビー・クラーク(ヒース・レジャー)。フォークからロックに激変し、罵声を浴びるスター、ジュード・クイン(ケイト・ブランシェット)。田舎で隠遁生活を送るアウトロービリー・ザ・キッドリチャード・ギア)。幾多もの人物、幾多ものエピソードが交錯しながら、ボブ・ディランでないボブ・ディランを描く。


「I(私)」、「he(彼)」、「I(私)」、「Not her(彼女でない)」、「here(ここ)」、「There(そこ)」。そして「I'm Not There.(私はそこにいない)」。部分部分の表示から始まるタイトルも鮮やかなトッド・ヘインズ監督作品『アイム・ノット・ゼア』は、タイトルデザイン同様に1つの人物を多面的に見た独特の映画です。


話題になっているボブ・ディランを6人の俳優が演じている手法は、視覚的にも意味的にも面白い。ディランという偶像の分割化は徹底していて、場面によっては黒人の少年、女優、がっしりした体躯の男優、細い男優が演じていたりで、人種・性別さえも飛び越えます。これは映画のキュビズムと言えます。つまりはディランという1人の人物を、様々な性格・事件ごとにそれぞれ別の俳優に演じさせることによって、立体的に描こうという試みなのです。


個人的に一番ドキリとしたのは、やはりケイト・ブランシェット。登場した瞬間は、「あぁ、ブランシェットだなぁ」と思ったのに、動き出し、喋りだした途端に、仕草や言い回しが本物そっくりに見えてしまいました。いやいや、アクセントの天才の彼女らしい。


つい先日亡くなったヒース・レジャーが登場すると、この若く才能豊かな俳優との別れを残念に思いました。興味深い偶然ですが、彼との間に女児をもうけた元パートナーのミシェル・ウィリアムズが、ブランシェット編に出ているのです。他にもクリスチャン・ベイルなどご贔屓の役者が出ているので、どのディランが似つかわしいか、などという楽しみもあることでしょう。


好きな曲や知っている曲こそあれど、僕自身はディランの熱心なファンではありません。詩や音楽で多大な影響を与えたポップカルチャーの偶像である、との程度の認識です。彼の名前や、『Like a Rolling Stone』、『Knockin' on Heaven's Door』、『I Want You』などは、耳にしたことのある人も多いでしょう。それでも、ディランのファンでない僕でもこの映画が印象に残ったのは、社会の中で生きる個人について映画が描いているように思えたからです。


人はそれぞれ、相手や周囲に期待される自分を演じているのではないか。そういった枠組みを意識・無意識に作り上げて社会生活を営む人が殆どの中、ディランのように自らに求められる期待の像を次々と破壊し、あるいは期待される責任から逃げ続けている人間は、文字通り現代の放浪者、アウトローではないか。


アルチュールと名乗る青年は、青年を拉致して「なぜフォークをやめたのか」と尋問するスーツ姿の青年たちに対し、煙に巻くような返答しかしません。フォークで名声を得たジュードは、バンドを引き連れて大音量でロックをがなり立て、非難を浴びます。映画スターのロビーは結婚生活を破綻させていきます。


人がアウトローに憧れるのは、皆、社会的な法規だけではなく、期待される枠組みに自らを当てはめていていて、それに疲れているからです。ディランが法の枠外という意味ではなく、一般的な社会の枠組みから外れている点でアウトローだとすると、だから魅力的なのではないか。リチャード・ギアが演じるビリー・ザ・キッドは、ディランが出演し、音楽も担当したサム・ペキンパー監督の西部劇『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(1973)に単純に重ね合わせているだけではないのでしょう(面白いことに、同作で主人公の無法者ビリーを演じていたクリス・クリストファースンが、本作のナレイターを担当しています)。


この映画は、ディランその人を描くだけではなく、人がなぜディランに憧れるのか、そして人がなぜアウトローに憧れるのか、それらの本質を捉えているように思えました。


アイム・ノット・ゼア
I'm Not There.

  • 2007年 / アメリカ、ドイツ / カラー、モノクロ / 135分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for language, some sexuality and nudity.
  • 劇場公開日:2008.4.26.
  • 鑑賞日:2007.4.27./TOHOシネマズ ららぽーと横浜4 ドルビーデジタル上映での上映。公開2日目の日曜15時15分からの回、113席の劇場は4割程度の入り。
  • 公式サイト:http://www.imnotthere.jp/ 予告編、キャスト&スタッフ紹介、ボブ・ディラン略歴及び代表アルバム紹介、ディラン・クイズなど。