アイ・アム・レジェンド


★film rating: B-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ウィルスの蔓延により人類は死滅した。たった1人の男、ロバート・ネヴィル(ウィル・スミス)を残して。ウィルスに感染した人間は理性や言葉を無くし、肉や血を食らい、日光にアレルギー反応を示し、暗闇を好む、夜行性の異形のミュータントと化すのだ。細菌学者でもあるネヴィルは愛犬のシェパードと共に完全防備の自宅でミュータントに見つからないように暮らしていた。昼は他に生き残っている人間がいないかラジオの電波に乗せてメッセージを送り、ミュータントを捕らえては人間に戻すワクチン開発の研究に明け暮れ、夜は外を蠢く異形の者達に怯える毎日を過ごしていた。孤独な彼に救いは現われるのか。


まずは視覚面、無人の廃墟と化したマンハッタンの描写に圧倒されます。道路や建物は朽ち、緑がたくましくのさばり、野生の鹿やライオンがばっこする、野生に飲み込まれた都会。ウィルスで人類の殆どが死滅した後の世界という、似たような設定の『バイオハザートIII』(2007)には無かった壮観な映像です。


次に感心するのは、主人公の孤独を徹底して描いた日常生活場面。ヴィデオレンタル屋や薬局等に衣服を着せたマネキンを配置し、名前を付けて話し掛ける。録画済みだった過去の番組を終始テレビに流す。シェパードに話しかける。全編を殆ど独り芝居で通したウィル・スミスの演技と共に、こういった丁寧な描写は大いに褒められるべきです。特にスミスは、企画から参加していたという力の入れようもあってか、大スターらしい人を魅了する輝きを失うことなく、孤独と必至に闘う1人の人間を入魂の演技で表現していて素晴らしい。演技面では彼の代表作の1つとなりました。


映画の構成は、現在の場面と人類に厄災が訪れる過去の場面を、ロバート・ネヴィルの視点で交互に描くものとなっています。次の展開がどうなるのか目が離せませんし、テンポも良い。これが長編2作目のフランシス・ローレンスの演出は、前作『コンスタンティン』(2005)よりも堂々としています。


脅威として描かれるミュータント登場の場面は、この手の映画に期待する恐怖度としては十分に応えます。3度目の映画になるくらいに魅力的な、リチャード・マシスンの古典SFホラー小説『地球最後の男(『吸血鬼』改題)』に忠実な展開を見せているように思えたのも、原作の細部がとうに記憶の彼方だったからでしょうか。とまれSFホラー大作映画として、久々の快作誕生を予感させました。途中までは。


原作での大きなテーマは、価値観の逆転というものでした。その皮肉・悲劇となる終盤の展開と、題名の意味が最後の1行で分かる捻りが、名作たる由縁です。単なるSFホラーの設定だけではない強烈さは後のSFホラー界への影響が大きく、藤子・F・不二雄の短編漫画『流血鬼』の基となったことにも表われています。


しかしこの映画の製作者たちは、原作に込められたテーマにまで頭が回らなかったようです。ミュータントたちが言葉を喋らない、どうも単に野蛮化しただけに見える描写に一抹の不安はありましたが、それは的中しました。終盤に至って普通のSFアクション・ホラーと化し、それまでの緊張感やドラマツルギーは霧散、結果としてぼやけた、文字通りに「凡庸なハリウッド大作」となってしまいました。”あの”ラストは、現代ハリウッドで描くには勇気がいることなのか。非寛容な世の中だからこそ描きべき場面であり、大いに皮肉の効く、強烈な映画になった可能性もあったのに、製作者やスターたちはそこまで踏み込めませんでした。そんな訳で、映画の題名の意味が解き明かされるラストには、イヤな予感が当たったとの失笑を禁じ得なかったのです。


アイ・アム・レジェンド
I Am Legend

  • 2007年 / アメリカ / カラー / 100分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated PG-13 for intense sequences of sci-fi action and violence.
  • 劇場公開日:2007.12.14.
  • 鑑賞日:2007.12.14./TOHOシネマズ ららぽーと横浜3 ドルビーデジタル上映での上映。公開初日の金曜17時00分からの回、403席の劇場は30人程度の入り。
  • 公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/iamlegend/ ゲーム、「もし貴方が地球最後の人間になったら?・・・」コーナー、スミスも来日したジャパン・プレミア採録、予告編など、内容もりだくさん。