リトル・ミス・サンシャイン


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

アリゾナ州に居を構えるフーヴァー一家は問題だらけだった。父親のリチャード(グレッグ・キニア)は、「勝ち組」になる独自の能力開発システムを振りかざす。15歳の長男ドウェイン(ポール・ダノ)は家族に心を閉ざし、一言も口を利かずに筆談のみでコミュニケーションを取っている。牛乳瓶底メガネで太めな9歳のオリーヴ(アビゲイル・プレスリン)は、美少女コンテスト優勝を夢見る。オリーヴを可愛がるグランパ(アラン・アーキン)はヘロイン中毒で、ドウェインに「とにかく数多くの女とヤれ」とけしかける。加えて恋人にふられたて自殺未遂を起こしたゲイの伯父フランク(スティーヴ・カレル)まで転がり込み、母親シェリル(トニ・コレット)のストレスは溜まるばかり。そんなある日、オリーヴの許に美少女コンテスト、リトル・ミス・サンシャイン出場の知らせが届く。旅費を捻出出来ない一家は、オンボロの黄色いフォルクス・ワーゲン・バスに乗って、開催地カリフォルニアを目指すことになった。


様々な問題を抱えた一家が、旅をする内にお互いの問題をさらけ出していくものの、絆を深めていく様を描くロード・ムーヴィー。昨今の世を賑わす「勝ち組」「負け組(「負け犬」という言葉もありますな)」などという言葉を使うのが馬鹿らしくなるくらい、ここにはいわゆる「負け組」に対する暖かな目線がある。人生の勝ち負けなどより家族や人と人の絆が大事だよ、というテーマはありきたりなものの、結論を提示するまでが面白く、可笑しく、切ない。マイケル・アーントの脚本は、1人1人にまつわる道中のエピソードを順番に見せていくいわゆる串団子式。個々の登場人物やエピソードが面白い為に、単純な構成もさほど気にならない。むしろ素直に構成された脚本だから素朴な味わいが出たとも言える。これが初長編監督作品となるジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス夫妻も、短編作家としてのキャリアを生かし、個々のエピソードを充実させている。例えばオリーヴが落胆したドウェインを無言で抱きしめる場面なども、可笑しくて優しくて心に残る。


コメディとしてもドラマとしても優れた場面は、他に幾つもある。中でもバスを使った場面は映像的にも印象的だ。余りにオンボロなので発進のときは家族総出でバスを押さなくてはならない。走り出したら1人ずつ飛び乗り、先に飛び乗った家族に引き上げられる。劇中で幾つか用意されているこの状況が、各人のエピソードの繋ぎとして効果的なだけではなく、その前のエピソードと意味を重ね合わせているのが良い。またコメディとドラマの融合という点では、笑いと感動が一緒くたになったクライマクスが最骨頂だろう。


登場人物の描き込みが深いのは脚本だけではなく、あまりにぴったりな配役にもよる。「勝ち組」を標榜しているのに実際は負け組だなんて、今のハリウッドではグレッグ・キニアのほかに考えられない。まだ若いのに生活感漂わせて不幸が染みついている母親に、トニ・コレット以外の誰が出来よう。アラン・アーキン、口がやたらめったら悪い祖父に何て似つかわしいのだろう。軽い驚きはスティーヴ・カレル。『40歳の童貞男』(2005)などのコメディと違って、繊細で暖かな文学研究者を神妙に演じている。このような独立系低予算映画でも名のある配役が出来るのも、ハリウッドの奥深さ、役者の層の厚さによるものだ。


現代アメリカの病理を交えながらも、決して皮肉にならず、登場人物に笑いと声援を送る。世間的には負け犬だって?良いじゃないか。そう語りかけているように思えた映画を観ていて、「寛容」という言葉が思い浮かんだ。


血のりや爆発、派手な特撮に食傷気味の向きは、こういった愛すべき小さな作品など如何だろうか。


リトル・ミス・サンシャイン
Little Miss Sunshine

  • 2006年 / アメリカ / カラー / 100分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for language, some sex and drug content.
  • 劇場公開日:2006.12.23.
  • 鑑賞日:2007.1.13./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘6 ドルビーデジタル上映での上映。土曜21時40分からのレイトショー、170席の劇場は30人程度の入り。
  • 公式サイト:http://movies.foxjapan.com/lms/ スタッフ&キャスト紹介、予告編(iPod用もあり)、スクリーンセーバー、壁紙など。調子の良い映画のテーマ曲と黄色を基調としたデザインが楽しく、映画の雰囲気が伝わってくる。