ディパーテッド


★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ボストンで我が物顔に君臨するコステロジャック・ニコルソン)は、警察やFBIが付け狙う犯罪組織のボスだ。マサチューセッツ州警警官のビリー(レオナルド・ディカプリオ)は、コステロを標的とした極秘捜査班に抜擢され、警官としての身分を隠してコステロの元へ潜入する。一方、幼少時からコステロに目を掛けられて来たコリン(マット・デイモン)は、コステロとの繋がりを隠して州警へと潜入する。互いに同じ警官学校を卒業し、極限られた者しか正体を知らない2人は、スパイとして緊張の二重生活を送ることとなる。しかし警察と組織は共に内通者の存在を知り、2人はそれぞれ窮地へと追い詰められて行く。


departed:過ぎ去った、過去の、故人、死者(Exceed 英和辞典より)


ローリング・ストーンズの『ギミー・シェルター』が鳴り響く中、ジャック・ニコルソンが自分のモノローグと共にシルエットで歩いて行く様を描いた横移動撮影の冒頭から、映画はマーティン・スコセッシ色に染め上げられている。スコセッシはストーンズが本当に好きだなぁ、そもそもこの曲は『グッドフェローズ』(1990)、『カジノ』(1995)でも派手に使っていたのに。そういや編集中の新作はストーンズのライヴ・ドキュメンタリ映画だっけ、などとニヤニヤしてしまう。


そう、これは香港ノワールの大ヒット作『インファナル・アフェア』(2002)のリメイク。本作の脚本家ウィリアム・モナハンは、オリジナル版を観ずに英訳された脚本を基に書いたそうだが、終盤を除いて殆ど同じ展開を見せてくれる。これがリメイクではなくオリジナルだったら良いのに、と思わせるくらいに面白い。ストーリー重視派でないスコセージにとって本作は全くの雇われ監督だが、らしくない矢継ぎ早の展開以外は己の個性を前面に出したものとなっている。よってあちらにあった哀愁や、エンディングの主題歌に表れるようにどこか演歌調の雰囲気はまるで無い。オリジナルが演歌もしくは歌謡曲ならば、こちらは文字通りロックのリズム。『グッドフェローズ』、『カジノ』のスタイルを成熟させたものとなっている。既成ロック(ピンク・フロイドの名曲『コンフォタブリー・ナム』を、ヴァン・モリソンロジャー・ウォーターズザ・バンド演奏版で!)と口汚過ぎるのが可笑しい台詞の洪水。移動するキャメラと小気味良い編集。血と暴力。オリジナル版が内容を詰め込み過ぎで後半失速気味だったのに対し、リメイク版は自信と緊張に満ちて最後まで突っ走る。


それでも幾つかの欠点は目に付く。取引しようとする組織側と、現場を監視し、証拠を掴んでから踏み込もうとする警察側を交互に描いたくだりなど、近年稀に見る屈指のスパイ場面に仕上がっていたオリジナル版に比べ、本作は特に段取りに工夫がされている訳で無いのが物足りない。娯楽映画の王道を撮れないスコセッシの個性が、弱点として出ている。また、組織の構成員が少なく、規模がやけに小さく見えるのも気になる。


映画はスリリングな展開を見せるが、人物描写も重視しているのは監督の個性が良い意味で出た結果だ。ビリーは忌まわしい血縁を忘れる為に警官となったのに、身分を偽って犯罪組織の構成員として日々を過ごさなければならない。良心を持つ人物がほぼ皆無な映画の中で、悶え苦しむ彼は人間の善性の象徴だ。レオナルド・ディカプリオはスコセッシと組んだ『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)や『アビエイター』(2004)に比べて格段に良い。オリジナル版のトニー・レオンの色気や哀しみこそ無いものの、哀しみとはまだ余裕があるから出るもの。本作はビリーを徹底的に追い詰め、哀しみすら与えていない。ディカプリオは切迫感に疲弊し、憔悴する役をこなし、映画の盛り上げに貢献している。


一方、州議会議事堂のドームが見える高級アパートを借りるコリンは、良心の呵責も無く野望に満ちた出世の道を突き進もうとする。珍しく憎まれ役のマット・デイモンは悪の匂いをかすかに漂わせて秀逸。周りが派手な演技を見せようが、ぶれずにひたすら抑えたアプローチを取り、それが映画の中で個性となって際立っている。


オリジナル版でアンソニー・ウォンが好演していた潜入捜査を知る唯一の人物の警部は、マーティン・シーンマーク・ウォールバーグの2人に分けられている。この分割がリメイク版ならではの展開に必要となるのはお楽しみとして、知的で冷静で控え目なマーティン・シーンよりも、若くひたすら口汚いマーク・ウォールバーグの印象の方が強い。どこか正体不明で面白い儲け役ではあるものの、これが代表作となる可能性さえある。


本作の目玉と宣伝されているのは、巨悪を演じるジャック・ニコルソン。ふてぶてしく貫禄満点な大芝居は、一歩間違うと大袈裟な怪演となる危険すらはらんでいる。強烈ではあるものの、正直に言って映画の中でやや浮き気味に感じられた。狂気と恐怖に満ちていても、どこか現実離れすらしている。登場人物たちは基本的にリアリズムで描かれているのに、コステロだけは純粋な悪の存在、文字通りに悪の化身となっている。この点において、ニコルソンの演技は映画のバランスを崩しかねない、危ういものとなっている。


オリジナル版を褒め称える人にとってこのリメイク版が納得行かない理由として、オリジナル版のテーマである「無間道(いつ終わることの無い地獄)」がすっぽり抜け落ちている点を挙げている人がいるようだ。それは当然だろう。リメイク版は違うテーマを幾つも扱っているのだから。プロットこそ同じであれ、全く別の映画と捉えるべきだ。


テーマの1つは、アメリカ白人の中で低く見られてきたアイリッシュの心情を描いたこと。これはアメリカ映画ならでは。舞台をアイリッシュの多いボストンに設定したのもこの為だ。下層階級の怒りが映画の底辺に流れているのである。もう1つは、裏切りにつぐ裏切りにより、良心を無くした人間たちを描いたこと。ハワード・ショアマカロニ・ウェスタン調ギター曲を中心にしたのは、正義の死んだ世界で自らの本能で行動する男たち描いたマカロニ・ウェスタンと同じ匂いを嗅ぎ取ったからなのではないか。そして1番の違いは、良心の無い世界で生きる絶望感、祈り、贖罪、そしてほのかな救済を描いていること。ビリーを時に天使、時にキリストに重ね合わせる演出は、スコセッシらしい解釈となっている。ビリーに対する悪の存在としてのコステロと考えると、現実離れした悪を演じたジャック・ニコルソンの意義はなるほど大きい、とも考えられる。


マーティン・スコセッシにとっては、自らの得意分野ではないハリウッドの主流娯楽スリラーで、久々に会心作を放ったのは皮肉なこと。おびただしい血と死屍累々たる展開は観る人間を選ぶが、『ディパーテッド』は重量級の苦い娯楽映画として、衝撃的な程に面白い出来となっている。


血の滴るこってりとしたステーキを召し上がれ。但し、胃もたれにはご用心を。


ディパーテッド
The Departed

  • 2006年 / アメリカ / カラー / 152分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):R-15指定
  • MPAA(USA):Rated R for strong brutal violence, pervasive language, some strong sexual content and drug material.
  • 劇場公開日:2007.1.20.
  • 鑑賞日:2007.1.20./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘5 dts上映の公開初日土曜21時10分からの回、2館上映の内小さめの165席の劇場はほぼ満席。
  • 公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/thedeparted/ キャスト&スタッフ紹介、予告編、フォトギャラリー、壁紙、スコセッシ&レオ来日記者会見採録など、内容もりだくさん。