硫黄島からの手紙


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1945年6月。日本軍の最重要拠点である硫黄島本島に、新たな指揮官である栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が着任する。アメリカ留学の経験がある親米派の栗林は、理不尽な体罰を戒め、合理的な戦略を巡らす進歩派で、当時の軍部では異色の存在だった。彼は海岸でアメリカ軍を迎え撃つ従来の作戦から、島に地下要塞を張り巡らすゲリラ作戦への変更を打ち出す。古参将校達からの反発にあいながらも、栗林指揮の下で準備を進める日本軍。海軍と陸軍の軋轢もある中、やがて圧倒的軍備を持つアメリカ軍が攻撃を開始して来る。


Directed by Clint Eastwood


静かなラストシーンのクレジットで、はっとさせられる。そうだ、これは日本映画では無かった。アメリカ映画だったのだ、と。


クリント・イーストウッド監督の最新作は、冒頭の日本語タイトル『硫黄島からの手紙』から始まって、ほぼ全編日本語の映画。太平洋戦争の激戦地を舞台にした硫黄島2部作の2作目だ。アメリカ軍側から描いた、10月に公開された『父親たちの星条旗』(2006)と対を成す作品でもある。


映画はイーストウッド作品らしく、淡々とした仕上がりだ。下手な感傷や涙を誘う、これ見よがしの演出は無い。ここで描かれるのは人の生き死に、1人1人の感情だ。その死が壮絶であっても、呆気ないものであっても。戦地へ赴く兵士の家族への想いが暖かくとも、敵兵への憎悪が猛り狂っていようとも。冷静に、客観的に描く。


冷静で客観的であっても、登場人物たちに投げかけられる眼(まなこ)の暖かさは変わらず。1人1人に寄り添い、彼らの家族への手紙のナレーションこそあれ、ずかずかと内面には立ち入らない。人物の反応を描けども、それ以上の説明はしない。イーストウッドは登場人物たちに節度ある接し方をしている。近過ぎず、離れ過ぎない姿勢は、登場人物個人個人を尊重するもの。そして観客の解釈に委ねるのは、観客を信じ、その意思を尊重することでもある。イーストウッド作品の持つ高貴さとは、そういったところから来ているのではないだろうか。


冷静な眼(まなこ)は涙に曇っていない。元々気骨の人であるイーストウッドだが、日本兵によるアメリカ兵虐殺だけではなく、アメリカ兵による日本兵虐殺の描写まであろうとは。アメリカ兵によるドイツ兵虐殺があったスピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998)も衝撃的だったが、こちらも冷静な視線だけに強烈。息を呑む集団自決場面も作者の視点で裁くのではなく、あくまでも事件を提示するだけに、より強烈だ。それがかえって観る者に深い悲しみを抱かせる。栗林が戦地から家族への手紙をしたためる場面も感傷的ではないだけに、その愛情深さに心打たれる。


無駄を一切排した演出もイーストウッドらしい。戦地での個々のドラマを描いた本作では、栗林が緻密な作戦を立てて敵を撃退する爽快感や、元オリンピック金メダリストのバロン西(西竹一)中佐(伊原剛志)の活躍なども殆ど無い。いや、栗林も西も、限られた装備の中で才気を巡らして抗戦している様こそあるが、それらを当たり前のように描いていて、武勇伝的にはしていないのだ。また、映画の後半は殆ど戦闘場面になるが、戦争スペクタクルとしては描いていない。さらには、21,000人の死者を出し、生き残りはたった1,000人程度だった日本軍を題材にしているのに、悲壮感さえ無い。また時間の経過や島内での位置関係が分からないことに不満があるが、それもすら無い。極限の状況で描かれる人間模様以外は不必要だと、作者たちは判断したのだろう。


前作『父親たちの星条旗』に比べ、本作の方がより監督の個性が表われているように思えた。時系列を複雑に配置した『星条旗』に対し、『手紙』では回想場面が挿入されても、基本的にはストレートな構成の映画となっている。よって観客の登場人物への感情移入もストレートになる。極論すれば、戦争と国家に力点を置いた巨大な作品が『星条旗』ならば、個を描いている小品が『手紙』。個人の反応を中心テーマにした本作が、いつもの持ち味に近いものと言えよう。


それにしても言語の壁を軽々と飛び越え、当時の日本軍のメンタリティを浮き彫りにし、有名無名の役者たちから好演を引き出すイーストウッドの手さばきは素晴らしい。栗林中将を演じた渡辺謙は、フランクでありながら威厳がある。渡辺は撮影現場でのイーストウッド本人を演技に取り入れたとのこと。この人の持つ軽さと重さは、モーガン・フリーマンに通じるものがある。


映画の実質的な主役は、二宮和也演ずる一平卒の西郷という架空の人物。反抗的で皮肉屋、しかし物事の本質を見極めようとする若者。本作は西郷が語り部となっていると言っても差し支え無いだろう。二宮は西郷役に少々若い気がしたが、イーストウッドは西郷の視点に自分の視点を重ね合わせて演出したのではないだろうか。


こうして『星条旗』と『手紙』の2本を観ると、共通のテーマが見えて来る。戦場での普通の人、無名の兵士から見た戦争と人間がテーマ。それを同じ戦地での、アメリカ軍側からと日本軍側から描いた作品なのだ。


星条旗』では、アメリカ兵たちが童心に戻って戯れる海岸の映像で締めくくっていた。『手紙』では、マイクル・スティーヴンスとクリントの息子カイル・イーストウッドによる、静かで心に響く美しいテーマ音楽が流れる中、人気の無い海岸から擂鉢山を眺めた、実際の硫黄島での映像が映し出される。こうして、野心的な硫黄島プロジェクトは幕を閉じた。しかし61年前に死んだ兵士たちの声無き声は、手紙となって現代に届いたようである。



硫黄島からの手紙
Letters from Iwo Jima