トゥモロー・ワールド


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

新生児が誕生しなくなってから18年が経過した2027年の地球。ゆるやかな滅亡に向かう世界は、人心は、荒廃していた。イギリスは強権国家に統治され、都市部ではテロが頻発し、不法移民への弾圧が日常と化している。エネルギー省の役人セオ(クライヴ・オーウェン)は、20年前に別れた妻ジュリアン(ジュリアン・ムーア)と再会する。彼女は反政府組織FISHのリーダーで、重要なお願いがあると言うのだ。それは、キーという少女(クレア=ホープ・アシュリー)を、あるところまで送り届けてもらいたいというものだった。


紫をまとった笛吹きは曲を奏で
聖歌隊は穏やかに歌う
古来の言葉で書かれた3つの子守唄を
真紅王の宮殿のために


アルフォンソ・キュアロンの新作『トゥモロー・ワールド』は、クリムゾンとフロイドとストーンズとディープ・パープルとショスタコーヴィッチとジョン・タヴナーが混在した映画である。先に書いた訳詞は、キング・クリムゾンによる名曲『クリムゾン・キングの宮殿』からのもの。場面はセオが従兄弟である大臣宅を訪れるところで、大臣は美術館であるバターシー元発電所に住んでいる。そう、ピンク・フロイドのアルバム『アニマルズ』のジャケットで有名な。この場面、ご丁寧にもジャケット同様に、工場上空をピンクの巨大豚風船が浮かんでいるのだ。


挿入歌の殆どは、1960年代後半から1971年代前半のもので占められている。当時のロックはカウンターカルチャーの象徴。だから劇中でマイクル・ケイン演ずるセオの年上の友人が、ジョン・レノンが老人になったらこうなるのでは、といった風貌である。彼はどうやらイラク戦争を取材したこともある元写真家らしく、今では森の中のトレーラーハウスに住み、マリワナを栽培して不法移民収容所の看守に売っている。さしずめ遅れて来たヒッピーといったところか。となればエンド・タイトルにレノンの『ブリング・オン・ザ・ルーシー』が流れるのも、後でよくよく考えれば納得がいくというものだ。


権力に反抗するパワーは、主人公にも秘められている。セオはかつて活動家だったが、ジュリアンとの間に出来た子供を病気で亡くし、失意から変転。今では国家権力側に就いている。その彼が無自覚に再変化し、最後は英雄となっていく、サスペンス溢れるロードムービー。大雑把に言えば、そんな内容だろうか。お陰でP・D・ジェイムズの原作からは、かなりかけ離れてしまったようだ。


アルフォンソ・キュアロンには、母国メキシコで撮った前々作『天国の口、終わりの楽園。』(2001)という青(性)春ロードムービーの傑作があった。若者2人が年上の女性と一緒に旅する様を綴ったもので、現実のメキシコの描写が挿入されるドキュメンタリ・タッチの作品だ。その映画と、前作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004)の高度な特撮技術を合わせたのが、本作とも言える。


全編手持ちキャメラで、しかも長回し撮影で通した映像は、冒頭のテロ場面から迫力満点。都市の持つ爆発しそうな荒々しさや、寒々しさ、恐ろしさや緊迫感が直接的に伝わって来る。極一部を除いて殆ど全てが主人公の視点で描かれている為、説明不足な部分もある。でもそれは意図的なもの。主観で描くことによって炙り出される焦燥感や恐怖がよく出ているのだ。一般市民でもあるセオを演ずるクライヴ・オーウェンは、全編出ずっぱりでも臭くない抑え目の熱演が素晴らしい。だから心ならずも英雄になるのが抵抗無く観ていられる。


クライマックス。移民居住区で繰り広げられる軍隊対テロ組織の市街戦は、数分に渡る延々たる長回し撮影で物凄い臨場感。弾丸が飛び交い、人々が倒れ、建物が爆発する。右往左往する主人と共に、観客を戦場の只中に放り込む。そんな最中、銃を手にすることない主人公の姿に、真の英雄的行為とは、という作者たちの願いや思いが重ねられている。


ジュリアン・ムーアは出番が少ないながらも存在感があり、彼女の起用理由がよく分かる。良心を象徴する飄々としたマイクル・ケインも素晴らしい。重苦しい映画の中で、彼が暖かな光となっている。


このように誉められる点も多いのだが、作品自体は手放しで賞賛は出来ない。1つまたは2つの命の為に、大勢の人々が死ぬのを眺めるのは楽しいものではなく、また疑念さえ抱かせる。つまり、命の重さに区別はあるのか、と。これは『プライベート・ライアン』(1998)を観た時と同じ感想だ。


トゥモロー・ワールド』は大きな欠点も目に付く作品である。重苦しく暗い内容ゆえ、最近の近未来SFはディストピアものばかりだ、と嘆息つく人もいるだろう。しかしながらSFの形を借りた現代の寓話として見応えのある、一見の価値のある力作となっている。



トゥモロー・ワールド
Children of Men

  • 2006年 / イギリス、アメリカ / カラー / 109分 / 画面比1.85:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated R for strong violence, language, some drug use and brief nudity.
  • 劇場公開日:2006.11.18.
  • 鑑賞日:2006.11.23./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘9 ドルビーデジタル上映での上映。勤労感謝の祝日木曜14時30分からの回、240席の劇場は4割程度の入り。
  • 公式サイト:http://www.tomorrow-world.com/ 予告篇、スタッフ&キャスト紹介、プロダクション・ノート、サントラ試聴など(もちろん、クリムゾン、ディープ・パープルも聴ける)