フライトプラン


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

飛行機設計士のカイル(ジョディ・フォスター)は、娘ジュリア(マーリーン・ローストン)と共に、自分が設計した最新大型旅客機に乗る。カイルは愛する夫を突然失い、悲しみの淵に立たされていたのだ。棺に収めた夫の遺体と共の帰国途上、一眠りすると突然ジュリアが居なくなっていた。機内で必死に娘を探し回るカイル。だがジュリアを目撃した者も居ないし、彼女の登場記録も無くなっていたばかりか、ジュリアの死亡記録まであるという。高所での巨大な密室の中、全てはカイルの妄想なのか。


ジョディ・フォスターは、主役を張るときはもはやこういった役しか出来ないのか。強い母性を露わにし、頑強な頭脳としなやかな肉体で苦難を打破する。近年の脇役映画では、『ロング・エンゲージメント』(2004)や『インサイド・マン』(2006)での助演で、中々面白い役どころを演じていた。でも主役だとスリラーの似合う、精神的に強いバネを感じさせる役に固定されているような気がする。そんなことを思いながら画面を眺めていた。


いやいや、誤解無いように申しておくと、ジョディは大好きなスターである。小柄な身体から発散されるエネルギーに目は釘付けになるし、ぴりぴりと緊張感のある肌合いと、どこか精神的な脆さ(『羊たちの沈黙』(1991)を思い出してみて頂きたい)も持ち合わせているのが、スリラーに相応しい。実際、この映画は彼女無しに成立しなかった作品であろう。


本編の正味1時間半という、最近の大作にしては好ましい上映時間とテンポのあるスリラーは、軟弱で空疎な脚本のせいで、娯楽映画としての合格点ぎりぎりの出来とも言える。無駄を削ぎ落とした展開は評価出来るし、ロベルト・シュヴェンケの演出も精一杯頑張っている。でも求心力のあるジョディが居なかったとすると、恐らく目も当てられない惨状と化していたに違いない。


前半のやつれて精神的に不安定なヒロインを、殆どノーメイクで大画面にさらす意気。半狂乱状態をジョディはすっぴんで演じていて、観ていてつらくなるくらい。かさかさに乾燥して疲れた肌がリアリティを持っている。さすがのジョディも容色衰えたか。


ところが後半、事件の真相を知った彼女が反撃を開始し始めると、やはりすっぴんのままなのに、凛々しく、美しくなってくる。狂おしい戦士の持つ美と、強い母性の持つ美を同時に体現出来る大スターは、この世代では彼女くらいしかいないのではないか。内面から表われる美を表現出来る彼女は全く素晴らしい。


それにしても。


強靭なジョディに対抗するにしては、敵の弱体振りが気になる。これは『パニック・ルーム』(2002)でも同じだった。彼女と拮抗する戦いを見せてくれる敵役を設定するのであれば、生半可な敵の設定と役者では務まらないのは明白。この場合の敵とは、劇中の敵だけではなく、軟弱な脚本をも指したい。説明不足とか理屈に合わない箇所があるとかではなく、面白い設定にあぐらをかいて小粒な「真相」しか生み出せなかった脚本家の知恵不足、想像力不足を嘆きたい。


結果『フライトプラン』は、上映時間中はそこそこ楽しめるものの、鑑賞後は物足りなく感じる映画となっている。


フライトプラン
Flightplan