V フォー・ヴェンデッタ


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

独裁者サトラー(ジョン・ハート)によって統治され、全体主義国家となっている近未来のイギリス。テレビ局に勤務するイヴィー(ナタリー・ポートマン)は、夜道を歩いているときに自警団にレイプされそうになる。その窮地を救ったのはガイ・フォークスの白塗り仮面に黒い帽子、黒マントの全身黒装束の男。瞬時に自警団を倒した彼は、V(ヒューゴ・ウィーヴィング)と名乗るアナーキストだった。彼は手始めに中央刑事裁判所を爆破し、独裁国家に挑戦状を叩き付ける。

1605年に起きた火薬陰謀事件の首謀者だったガイ・フォークスは、英語の「guy」(「男、奴」の意)の語源だそう。処刑されたフォークスは、スコットランドでは自由を求めて戦った戦士の象徴でもあるようだ。


アラン・ムーアデヴィッド・ロイドのグラフィック・ノヴェルを原作とした映画は、アンディ&ラリー・ワチャウスキー兄弟の脚色によるもの。既に他メディアで指摘されているように、ここには兄弟の『マトリックス』の原型が見て取れるのが興味深い。黒ずくめの服装。メンターの登場で価値観が揺すぶられ、苦難を通じて生まれ変わる主人公。隅々まで監視の目が行き届いている世界で、反抗を試みる主人公たち。なるほど、これを自分たちなりに消化して、ああいう風になるのか。


兄弟のお蔵入りとなっていたキャリア初期の脚本を、9.11.後のアメリカに同時代性をみて製作された映画は、脚本に若干の手直しがされたとか。それでもほぼ原作をなぞった中盤までの展開は好調だ。Vが活躍し、イヴィーが少しずつ変化している様は、これが長編デヴューというジェイムズ・マクティーグの落ち着いた正攻法タッチと、軽過ぎず重過ぎずのテンポ、小気味良いアクションや爆破場面もあって、かなり面白く観られる。『1984』(1984)で独裁国家に圧制される主人公を演じていたジョン・ハートが、今度は圧制する側の独裁者役というのも微苦笑を誘う。テロリスト礼讃の過激な作品と受け取られかねないし、イギリスが舞台なので心情的に分かりにくい部分もあるが、観客に問う映画という意味で、まずは観て良い出来だろう。


他の宗教や同性愛を国家の統制の元で排除・弾圧する姿は、現代アメリカの皮肉なパロディだ。国民に愛国心や奉仕を強要する国家像と、メディアによって撒き散らされる国家に都合の良い情報を安易に受け入れる国民像を観ていて、背筋が寒くなってきた。何故って、今の日本に重なる部分もあるから。現実の保守派が目指しているのは、こういう国家なのだろうか、と。


そんな風に興味深く観ている内に映画が後半に差し掛かると、どうにも雲行きが怪しくなってくる。特にヒーロー・アクションものとして観た場合、終盤になるとVの陰が薄くなるのは問題。国家の主役は民衆であるという主題だとすると、それも理解出来る。しかしそれまでの皮肉に満ちた設定と、ヒーローを作者個人の怒りの象徴であるとした筈が、民衆を安易に信用した感動映画になってしまい、主題がすり替えられてしまった。原作ラストの重要な展開が映画でばっさり削除された為にアラン・ムーアがクレジットを拒否したのも、容易に想像が付く。肝心な主題を変更するのであれば、9.11.後のアメリカが念頭にあるのであれば、思い切って舞台をアメリカにして物語も大幅に改変しても良かったのではないだろうか。過激なテロ礼讃映画との前評判だったのに、いざ実際に観てみるとそうでもなかったのは、こういったところにある。


ヒューゴ・ウィーヴィングは最初から最後まで正体不明、顔も不明の狂人とヒーローの境界線が怪しい男を熱演していて良かったし、ナタリー・ポートマンも久々に良いと思った。やはりジョージ・ルーカスの演技指導って、なっていなかったのだな。


Vフォー・ヴェンデッタ
V for Vendetta

  • 2005年 / イギリス、ドイツ / 132分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for strong violence and some language.
  • 劇場公開日:2006.4.22.
  • 鑑賞日:2006.5.4./ワーナーマイカル新百合ヶ丘2 ドルビーデジタル上映での上映。ゴールデンウィーク只中の木曜12時20分からの回、280席の劇場は6割の入り。
  • 公式サイト:http://v-for-vendetta.jp/ 予告篇、スタッフ&キャストのインタヴュー、壁紙、ストーリーボード集、スタッフ&キャストの来日会見採録など、コンテンツ盛りだくさん。