ダ・ヴィンチ・コード


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ルーヴル美術館館長が殺害された。犯行現場に残されたダイイング・メッセージの暗号から、宗教象徴学の権威ラングドン教授(トム・ハンクス)が呼び出される。が、呼び出したファーシュ警部(ジャン・レノ)は、ラングドンこそが犯人だと睨んでいた。現場に現れた政府の暗号解読官ソフィー(オドレイ・トトゥ)の行動によって窮地を脱したラングドンであったが、それは警察に追われる身となったことを意味する。ラングドンとソフィーは暗号解読と事件の裏に隠された謎を突き止めようとするが、やがて2人の前にキリスト教にまつわる大きな秘密が姿を現す。


ダン・ブラウンの原作は記号や暗号や薀蓄が散りばめられたもので、大変面白く読めた。そこで語られる宗教的な謎や解説こそが1番の面白さ、楽しさではあったものの、それも飽くまでもフィクションとしてのもの。強引な解釈だなと思わせつつも、息をも付かせぬテンポで最後まで一気に読ませるタイプの本である。


今やハリウッドで優等生的な(やや面白みに欠ける)大作を撮り続けるロン・ハワード監督による映画版も、出来映えは予想の範疇に留まるものの、これはこれで読み捨て小説同様に観ている間は面白く、そして後には何も残らない。


映画版に密かな期待としてあるならば、登場人物までもが単なる記号でしかなかった原作を、演技派スターたちが如何に味付けしてくれるか、ということ。しかしながら台詞の殆どが説明ばかりのラングドン教授では、トム・ハンクスも単なるお飾りのよう。雰囲気だけはあるが、ラングドンがどのような性格なのか、最後までついぞ分からない。ラスト近くの道徳訓じみた台詞回しではさすがと思わせるものの、ハンクスも飽くまでも観客に対する案内人。ラングドン教授は無味乾燥な造形に留まっている。


オドレイ・トトゥも、ハリウッド映画に出た途端に詰まらなくなるジャン・レノも、さして印象に残らないのはこれまた予想通り。ここは白子の殺人者である怪僧という美味しい役のポール・ベタニーと、ラングドンの旧友で聖杯伝説に取り付かれた大富豪役イアン・マッケランを誉めよう。特にマッケランは狡猾で皮肉屋のイギリス人役を嬉々として演じていて、捻りの効いた人間像を魅力的に演じている。この映画で唯一血肉のある人間だ。


原作に忠実な映画は、長大な小説を2時間半にまとめた点で評価出来よう。しかし次から次へと出現する謎とその解明ばかり、急急急ばかりで緩急の無さ、強引な解釈と、原作の持つ欠点もそのままになっている。説明不足も目立つので、原作を先に読んでいるか、ある程度の予備知識が無いと、ただ単に字幕を追うのみとなりかねない。それでも強引なところはさっさか飛ばす賢明さも、製作者たちは持ち合わせていたようだ。『最後の晩餐』のマリア云々のところなど、絵も余り見せずにそういうものだと片付けている。


見ものはルーヴルやテンプル教会、ウェストミンスター寺院といった本物の歴史的建造物でのロケで(但しウェストミンスター内部は別の場所)、これが大作らしい重厚さを作品に与えている。サルヴァトーレ・トティノの映像は、常套手段ではあるものの、陰影を付けた照明で建築物を立体的に捉えているし、最近にしては珍しく感心したハンス・ジマーの音楽も、印象に残るメロディは無いものの、控え目な縁の下の力持ちとして作品を支えている。


ロン・ハワードらしい特撮の使い方の上手さは、全編随所に出ていた。回想場面や解説場面等で多用される技術は飽くまでも物語上の必然性であり、壮大な合戦場面でさえ、それ自体が大きな見せ場とはなっていずに、解説を観客の目を楽しませる手段でしかない。『ビューティフル・マインド』同様のアプローチとは言え、こういったところでのお金の使い方に、ハリウッドの底力を感じてしまった。


ダ・ヴィンチ・コード
The Da Vinci Code