ナイロビの蜂


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

イギリス人外交官ジャスティン・クエイル(レイフ・ファインズ)の妻テッサ(レイチェル・ワイズ)が、ナイロビで殺害された。夫は愛人絡みだと説明されるも納得せずに、事件の真相を探り出そうとする。やがて彼は、事件の背後には現地の貧しい人たちを食い物にしていた、製薬会社絡みの巨大な利権が動いていたことを知る。現地での救援活動に情熱を注いでいた妻は、それを告発しようとしていたのだ。


"everywhere"
映画を観終わって真っ先に浮かんだのは、この言葉だった。


ポリティカル・スリラーとしても観られる映画は、何よりもラブストーリーとして観るべき映画だろう。外交官はケニアに赴任しても、現地のことなど目を向けずに自分の庭いじりに没頭していた。弱者への理解や思いやりに欠け、単なる政府の召使にしか過ぎず、妻のやっていることも知らなかった。妻は地位ある夫に迷惑が掛からないよう、自分のしていたことを内緒にしていたとはいえ。


ジャスティンは事件の真相を求めて、世界各国を周る。それは亡き妻の真実の姿を求める旅でもある。旅の中で、夫は実は自分が妻に理解が無かったことを知り、彼女の考え、彼女の目的が理解出来るようになっていく。夫は、亡き妻が信念の人だと知り、行く先々で妻との美しい思い出が脳裏をよぎる。彼女が空気のように見守ってくれているのを、彼は感じる。彼自身の中で、徐々に何かが変わっていく。


その人を理解することなくして、その人への愛はあり得るのか。目の前の人を救うことなくして、目に見えない大勢の人を救えることが出来るのか。様々な命題を持つ映画は、観る者の心に染み入る。


傑作『シティ・オブ・ゴッド』(2002)のフェルナンド・メイレレスの演出は、全編殆ど手持ち撮影で通し、一種のドキュメンタリのよう。夫と妻の親密な場面など、覗き見しているかのようにさえ思える瞬間がある。粒子が粗く殆どグラグラ揺れている映像なので、見かけは非常に粗っぽいのだが、その実登場人物の描写は非常に丁寧である。映画の前半は回想場面が主体、後半は動き出した主人公を追う。この構成が生きているので、主人公の心の旅が手に取るように分かり易くなっている。スリラーとして観ると緊張感にやや欠けるところもあるのだが、ラブストーリーとしては非常に優秀と言えよう。


レイフ・ファインズはこういった複雑なダメ男を演じると魅力的である。彼のハンサムな外見と、どこか弱々しい雰囲気(それが役によっては退廃的に変化するのだが)は、こういう役にぴったりだ。レイチェル・ワイズは元々贔屓だったが、凛とした彼女にぴったりの役だったのではないだろうか。情熱的で正義に溢れた女性を、とびきり輝かしく、美しく演じていた。主人公の記憶の中で美化されている役どころとは言え。


原題の「The Constant Gardener」は『誠実な庭師』とでも訳そうか。大人しい主人公の趣味はガーデニングで、せっせと庭木に種を撒き、肥料をやり、水をやることだ。自国政府の方針などに何の疑問も意見も持たずに、彼は文字通り国に対して誠実に働いてきた。自国を批判する質問には動揺して上手く答えることすら出来ない(苗字のQuayleは、「おじける」という意味のQuailと似ている)。一方、庭木をすぐに枯らしてしまうという妻は、ケニアという大きな庭で地道に活動していた。やがてその遺志を継ぐことになる夫は、妻の残した資料を元に種を撒き、本当の意味での「継続的で誠実な庭師」になれたのではないか(constantには「継続的」という意味もある)。死の危険と隣り合わせであっても、ひるまずに(Justinは殉教者である聖ユスティノスの名前でもある)。


派手な場面などないが、素晴らしい瞬間が幾つもある作品としてお薦めしたい映画である。


ナイロビの蜂
The Constant Gardener

  • 2005年 / イギリス、ドイツ / 129分 / 画面比1.85:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated R for language, some violent images and sexual content/nudity.
  • 劇場公開日:2006.5.13.
  • 鑑賞日:2006.5.14./ワーナーマイカルつきみ野3 ドルビーデジタル上映での上映。公開2日目の日曜13時00分からの回、168席の劇場は4割の入り。
  • 公式サイト:http://www.nairobi.jp/ 予告編、プロダクション・ノート、江原啓之らの感動コメントなど。