ミュンヘン


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1972年のミュンヘン五輪パレスチナ・ゲリラ「黒い九月」によって、人質となったイスラエル選手団11人全員が殺害された。時のイスラエル首相より極秘指令が下る。報復として、西側諸国に散らばるパレスチナ関係者11人を暗殺せよ、と。諜報機関モサドのメンバーであるアヴナー(エリック・バナ)は、豊富な資金と各分野の専門家4人(ダニエル・クレイグマチュー・カソヴィッツキアラン・ハインズ、ハンス・ジシュラー)を与えられ、1人また1人と暗殺を実行していく。


宇宙戦争』に続く2005年2本目のスピルバーグ作品は、重厚なアクション・スリラーとなった。それも1970年代風の装いが色濃いスリラーだ。舞台が1970年代だからだけではない。これが彼自身の『シンドラーのリスト』(1993)に代表されるシリアス路線の中で、最も成熟した大人の作品となった。


ここには、頑なまでに「映画」を捨てて「記録フィルム」であろうとした『シンドラーのリスト』(1993)や、「映画」と「記録フィルム」の境界が曖昧だった『プライベート・ライアン』(1998)などの迷いはない。頑迷さや迷いを捨てた後にあるのは、如何に「映画」として実話を基にメッセージを伝えるか、という思いである。


何より映画が始まってからの軽い驚きは、近年は「人間の視野角に対して不自然だ」と放棄していた画面比2.35:1のスコープ・サイズを使用していることだろう(久々にスコープ使用だった『マイノリティ・リポート』(2002)も70年代風アクション・スリラー映画として作られたことを考えると、興味深いことだ)。ドキュメンタリでは普通使われない、幅を広くして臨場感を増す為の劇映画ならではのフォーマット使用からは、この実話を基にした映画を「劇映画」として作るのだ、という意気込みが感じられる。


そんな訳で、緊迫感満点の冒頭以降は虚実ない交ぜのスタイルは影を潜め、飽くまでも劇映画のスタイルで通す。それぞれ得意技を持つプロたちが困難な任務を全うしようとするプロットは、娯楽映画として格好の題材だ。実際、サスペンスやスリルの盛り上げに手抜きはない。電話爆弾を仕掛けた後に子供が受話器を取り上げる場面など、胃がきりきり痛むような緊張感を盛り上げる手腕は申し分ないのである。


また緊張感がある場面でいきなり放り込まれる笑うに笑えないギャグと、その直後の突発的人体破壊描写は、底意地悪い鬼畜系スピルバーグならでは。敵側が報復として送り込んできた殺し屋を巡る場面など、その最たるもの。このタッチが衝撃度を増した。


粒子が荒れたやや暗めの画調と、アクションやスリラーの中にドラマ性を織り込むスタイルは、1970年代に作られた気骨のある映画群を想起させる。それだけではなく、当時の映画への目配せも感じられる。例えば、仕掛け爆弾への恐怖に錯乱した主人公が部屋中を破壊して爆弾を探し回る場面なぞ、コッポラの『カンバセーション・・・盗聴・・・』(1973)を思い出させるのだ。


娯楽映画として撮ろうと思えば撮れた題材で、過去の名作へのオマージュを捧げつつも、スピルバーグはこれを痛快な映画としては作らなかった。報復が報復を呼び、誰が敵だか味方だか分からなくなる展開は、暴力の連鎖とそれが巻き起こす惨禍を描き、メッセージは明確だ。報復は何も解決せず、傷口を広げるだけだ、と。スピルバーグは感情を込めても感傷に流されず、持てる技術を駆使して緊張感を途切れさせず、メッセージ性豊かな映画に仕上げた。しかも決して声高でない。だからこそ届く声もあるのだ。


ラストの背景に映し出されるのは、今は無き世界貿易センタービルの映像。この映画が今作られた意味と、スピルバーグの想いが込められている。


ミュンヘン
Munich

  • 2005年 / アメリカ / 164分 / 画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for strong graphic violence, some sexual content, nudity and language.
  • 劇場公開日:2006.2.4.
  • 鑑賞日:2006.2.4./ワーナーマイカルつきみ野7 ドルビーデジタル上映での上映。公開初日土曜17時15分からの回、199席の劇場は6割の入り。
  • 公式サイト:http://munich.jp/ 予告編、エリック・バナ来日会見動画、スタッフ&キャスト紹介など。