サウンド・オブ・サンダー


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

舞台は2055年のシカゴ。タイムサファリ社は太古へのタイムトラベルによる恐竜狩りを売りにしている企業である。サファリ社に勤務するトラヴィス・ライヤー博士(エドワード・バーンズ)は、ガイドとして顧客らと共に過去に行く日々を過ごしていた。が、ある日を境に現在の環境が大きく変化してしまう。巨大な植物が大都市に根を張り、様々なモンスターが出現して人々を襲い出したのだ。原因はタイムトラベルにあると睨んだライヤーとレンド博士(キャスリン・マコーマック)は、必死になって過去を修復しようとする。


レイ・ブラッドベリの名作短編『雷のような音』は、基本的にワン・アイディアの小説だった。題名の意味は最後のオチで明らかになるが、今度の映画版はタイムトラベルによる恐竜狩りと、些細なアクシデントが歴史を大きく変えてしまうというアイディアだけ借り、オチも含めて全く別の話に仕立てている。よって映画を観ても、題名の意味は最後まで分からない。気になる方は原作本を読んでみよう(ハヤカワ文庫『太陽の黄金の林檎』又は新潮文庫『恐竜物語』収録)。


冒頭にある恐竜狩りの場面に登場するティラノサウルスのCGが、今から10年以上も前の『ジュラシック・パーク』(1993)よりも不出来なのが、この映画のポジションを如実に表している。未来都市の情景も、人物との背景合成がかなり粗い。物語は行き当たりばったりのご都合主義的な展開。そう、いわゆるB級娯楽映画だ。


これがブラッドベリ原作の映画として観るならば、マジメな原作ファンは怒るかも知れない。ハリウッド大作ばかり観慣れている人ならば、特撮や物語に呆れ返ることだろう。しかし最初から比較的低予算の娯楽SF/スリラー映画として観るならば、これが結構面白いのだ。


監督は『カプリコン・1』(1977)、『アウトランド』(1981)、『2010年』(1984)など、好調な時期は大作映画を監督していたピーター・ハイアムズ。1970〜80年代では脚本家としても注目されていた人だったのに、最近ではヴァン・ダムの『タイムコップ』(1994)や、シュワルツェネッガーの『エンド・オブ・デイズ』(1999)での代打など、すっかり雇われ監督となってしまった。が、場面場面を面白く撮る技術は衰えていない。どぎつい描写無しにその場その場のスリルをきちんと盛り上げて観客の興味を引く演出は、職人監督と呼ぶに相応しいものだ。脚本からして一昔前の映画(これも1970年代回帰の作品か???)のようだが、演出そのもは内容にあったもの。クライマクスも中々手に汗握らせるし、己の仕事をきっちりとこなしている。


ハイアムズは撮影監督も兼任していて、その映像も彼らしい。『レリック』(1997)でも披露した、暗闇を暗闇としてフィルムに収めるこだわりや、アクション場面での移動撮影など、やっとるなとニヤリとさせられる。そういえば舞台がまたしてもシカゴなのも、彼らしいこだわりだ。


近未来関係のデザインは、『2010年』以降の助っ人シド・ミードが手掛けている。車両デザインなど結構楽しませてくれるし、1つ1つのデザイン・コンセプトが明確なのはさすが。モンスター系は元スタン・ウィンストン・スタジオのマーク・”クラッシュ”・マクリーリーが担当。『ジュラシック・パーク』の恐竜デザインを手掛けていたゆえの起用なのだろうか。マンドリルコモドドラゴンが合体したようなモンスターがユニークだ。


空間にドローイング・ペンを使って説明する場面や、恐竜狩りを録画した立体映像を皆で囲んで観る場面など、SFならではの小道具の使い方も楽しい。こういったSFマインドをくすぐる細かい工夫が嬉しいのだ。


こういう作りだから、B級映画の常としてマジメにヒーローやヒロインを演じているエドワード・バーンズやキャスリン・マコーマックらの陰は薄くなる。むしろタイムサファリ社社長を演ずるベン・キングズリーの、ノリの良い如何にもな強欲社長振りの方が楽しい。


「スポタ」という名称を必ず自作に登場させる監督をちゃんと分かっている字幕担当者、林完治にも功労賞を差し上げよう。「スポタ」はハイアムズ夫人の旧姓なのである。


サウンド・オブ・サンダー
A Sound of Thunder