ブロークバック・マウンテン


★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1963年のワイオミング州ブロークバック・マウンテン。共にカウボーイのイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)は、数ヶ月間もの間に2人きりで厳しい自然と闘う内に、ある晩、衝動的に関係を持ってしまう。2人は山を降りてからそれぞれ生まれ故郷で結婚し、子供も儲ける。だが結婚生活を窮屈に感じる2人は、数年振りに再会する。


いつか晴れた日に』(1995)や『グリーン・デスティニー』(2000)などを発表した台湾の監督アン・リーによる作品は、美しくも雄大な自然の情景描写を描く一方で、登場人物の恋愛心理をゆったりと細やかに綴る。そのスタイルは1970年代初頭のアメリカン・ニューシネマのよう。そういえば主演男女優の4人全員が裸になるのも、1970年代では珍しくなかったものの最近では珍しい。題材やスタイルこそ違え、スピルバーグの『ミュンヘン』(2005)といい、スティーヴン・ギャガンの『シリアナ』(2005)といい、これといい、1970年代回帰に見える作品が連発されるのは面白い現象である。


20年間にも及ぶ恋愛劇は、「ゲイ・カウボーイ映画」とひと括りに紹介されている場合も多いようだ。これは映画の特異さを強調した言い回しだが、「カウボーイ映画=西部劇」とゲイは、今まで何ら関係が無かったのか。ここでちょっと思い返してみよう。


西部劇だろうが任侠劇だろうが、いわゆる「男らしい」映画に描かれる男性像に、こういうパターンを見かけないだろうか? 妻子や愛する女性を置いて、親友を救うべく窮地に飛び込み、ややもすると殉死する男たち・・・。超暴力的で男性的でマチズモと形容されるサム・ペキンパーの傑作西部劇『ワイルドバンチ』(1969)など、その典型だろう。女性よりも男性を選ぶのがゲイ的であるとするならば、女性への本質的な興味が薄いマチズモとは、ゲイ的な要素も多分に含まれているとも解釈出来よう。


この映画の主人公イニスとジャックは、喋り方も逞しい身体付きも、女々しいどころか、むしろ男らしく描かれる。そしてカウボーイという職業は、男らしい職業の象徴である。ただ、互いに心を許せたのが男だった。男同士だから強い絆を感じられた。つまりこの映画は、西部劇だけではなく「男性映画」に対する批評ともなっているのだ。


イニスは寡黙でぶっきらぼう、カウボーイらしくモゴモゴとした喋り方で、不器用な感情表現をする男。アクション映画のヒーローでもおかしくない。演ずるヒース・レジャーは、その言動に繊細で苦悩に満ちた男の姿を彫り込み、観る者の心に印を刻み込むかのよう。近年観た映画の中でも印象に残る演技だ。


イニスが陰ならばジャックは陽。よく喋る茶目っ気たっぷりのいたずらっ子のようなジャックを、ジェイク・ギレンホールは活き活きと好演する。中年になってからの歳相応の老け演技も良い。結果的にヒース・レジャーの引き立て役となってしまった感はあるが、ギレンホールの才能に疑問は浮かばない。


登場人物そのものが生を受けているかのような演技を目の当たりにすると、イニスとジャックが送る結婚生活の虚無感もひしひしと伝わって来る。片や望まない力仕事の日常を、片や財を成した義父の手伝いで頭が上がらない日常を送る身分となる。青春の1ページとして輝いていた、カウボーイとして生を謳歌していた、あのブロークバック・マウンテンでの日々に、彼らが想いを馳せるのも当然だろう。想いが弾ける2人の再会。だから熱い口付けを交わす2人を観てしまったイニスの妻の苦悩も、こちら側に伝わって来る。イニスの妻を演じていたミシェル・ウィリアムスは生活感が漂うだけでなく、等身大で身近な人物を演じていた。また、ジャックの妻役アン・ハサウェイも今までのお嬢様系イメージを裏切る役どころで、今後が楽しみである。


自分たちがゲイだと知られたら、保守的な町では命も無い。障害が大きいほど苦しみと喜びも大きい。人目を忍んで思うように逢えない2人は、互いに想いを募らせる。


アン・リーの演出は非常に丁寧で、自分の持ち味をよく出している。恋愛映画ならではの苦悩と葛藤もよく描けているが、ゆったりとした時の流れと人物たちの心情の変化を感じさせる演出が素晴らしい。「ゲイの恋愛映画」としてではなく、人の持つ普遍的な感情を描き、観客の心に訴える手腕は賞賛に値する。余計な説明が殆ど無い、飾り気の無いシンプルな作りも映画に合ったもの。時代説明も冒頭の1963年だけで、後は主人公らの老け方や子供たちの成長だけで描写している。こういったスタイルは、小さなテレビ画面で観たら魅力も半減する、劇場用映画ならではのものだ。


未来に生きる者と、過去に生きる者を対比させつつ、その内なる個人の過去を輝かしい理想だったとし、映画は淡く切ない想いと共に幕を閉じる。カウボーイという消え行く職業と男たちの失われた愛を重ねながら、それでも想いと生き方だけは秘密として残る(そう考えると、最後の台詞「I swear...」を「ずっと一緒だよ」としたのは、酷い意訳・誤訳とも考えられる)。『ブロークバック・マウンテン』は観客の心に残る秀作として、これからも語り継がれていくことだろう。


ブロークバック・マウンテン
Brokeback Mountain