SAYURI


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

貧しい漁村で生まれた少女・千代(大後寿々花)は、9歳で花街の置屋に売られる。花街一の売れっ子芸者・初桃(コン・リー)の執拗ないじめを耐え忍ぶことが出来たのは、会長と呼ばれる紳士(渡辺謙)に声を掛けられ、将来は会長に会う為に芸者になろう、と決意したからだった。やがて成長した千代(チャン・ツィイー)は、一流の芸者・豆葉(ミシェール・ヨー)に見初められ、短期間の厳しい修行の末に芸者「さゆり」となり、華やかな芸者の世界で才能を開花させていくのだった。


第二次大戦前後の花街を舞台にした小説を、ハリウッドが中国映画スターを主役達に起用し、しかも全編台詞は英語で通す。鑑賞前に予期していた違和感も、いざ実際に観てみるとそれほど感じられなかった。そもそも日本人の役、それも主役を中国人が演ずるとは何事ぞや、と目くじら立てる向きもあるかと思うが、ではこういった大作で主役を張れる日本人女優がいるのかというと、中々いないのではないだろうか。その意味でチャン・ツィイーの起用も、義理の姉関係となる先輩役に『グリーン・デスティニー』(2000)でもツィイーと義理の姉妹を演じていたミシェール・ヨーの起用も、映画を観れば正解だったと思える筈だ。


この2人以上に印象深いのが憎まれ役のコン・リーだ。憎たらしいだけでなく華やかさも哀しさも兼ね備え、しかもスケールがある。敵役としてこれ以上のキャスティングは無いだろう。元気な彼女達中国人女優たちの中にあって、置屋の女将役桃井かおりが食えない存在感を発揮していて、いささか臭い演技ではあるものの、強烈な印象という点ではコン・リーと双璧である。また、ヒロインの親友役である工藤夕貴もぴったりの役所を得て活き活きとしていたし、子役の大後寿々花チャン・ツィイーと顔が似ていないものの、心に残る演技で将来が楽しみだ。


こうなると男優陣の方がいささか食われ気味なのは仕方がない。渡辺謙が大物らしい存在感を漂わせているのはさすがだが、これは飽くまでも女優を見る映画なのも確かだ。


映画はセットや衣装が煌びやかで美しく、その一方で美の中に生活感もきちんと醸し出しているのに感心させられる。豪奢な衣装。雨でぬかるんだ道路。どれも様式化されているが、違和感がない。いや、厳密に言えば「違う」ところもあるが、これは白人監督が作ったハリウッド映画の中での御伽噺なのだから、その範疇においてはかなり良く出来ている。優秀な美術スタッフと撮影スタッフの手柄は大きい。ディオン・ビーブの撮影は薄暗い光源を生かした映像で、ここぞというときの色使いも印象的だ。また『シカゴ』(2002)のロブ・マーシャル監督は、舞踊場面も振付家出身らしい視線で描き、映像に収めている。


美しいのは視覚的なものだけではない。ジョン・ウィリアムスによる音楽は、ヨーヨー・マが演奏するチェロのメロディなぞ殆ど中国風だが、マとイツァーク・パールマンのヴァイオリン・ソロは共に美しい。


こういった美を追求した映画は、欧米での「芸者」=「娼婦」とのイメージを払拭しようとしているように思える。オリエンタリズムに流れるだけではなく、「芸者」=「厳しい修行をしたアーティスト」として描こうとの真摯な姿勢は評価出来るものだ。


映画は観ていて飽きることなく、テンポ良く進む。芸者の世界という日本人にも余り馴染みの無い世界を舞台にして、観客の好奇の眼差しで引き付けることに成功している。そこで展開されるある種の権力闘争とシンデレラ物語という、古今東西を問わない普遍的な物語を描くのだから、作品世界は意外に敷居が低い。にも関わらず、芸者の世界もシンデレラ物語も、余り心に響かないのは何故だろうか。両方を描くには時間が足らなかったのか。それとも表面的な美に捕らわれ過ぎて、ヒロインの心の痛みにまで描写が行き届かなかったのか。2時間強の上映時間に収めるのであれば、思い切って「世界」を飽くまでも背景としたラヴ・ストーリーとして描くべきだったのではないか。二兎を追うもの一兎も得ず、との結果になってしまったのは少々残念。


SAYURI
Memoirs of a Geisha