秘密のかけら


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1950年代アメリカ。人気絶頂の漫談コンビ(ケヴィン・ベーコンコリン・ファース)が宿泊するホテルの一室にあるバスタブで、美しいメイド(レイチェル・ブランチャード)の全裸死体が見付かる。コンビにはアリバイがあった為に事件の真相は闇に葬られ、その直後にコンビは解散した。15年後に若いジャーナリスト(アリソン・ローマン)は、ことの真相に迫ろうとする。


シンガーソングライターとしても有名なルパート・ホームズの処女長編(未訳)を元にしたこの映画。『スウィート ヒアアフター』(1997)のアトム・エゴヤンは、観客を迷宮に誘うかのようなお得意のタッチに、ユーモアという新たなスパイスを効かせ、魅力的なミステリ映画に仕上げた。


映画のモチーフは白ウサギを追い掛ける少女の冒険を描いた『不思議の国のアリス』だ。劇中劇としても登場するが、ここで歌われるのがジェファーソン・エアプレインのドラッグ名曲『ホワイト・ラビット』。曲の醸し出す幻惑的なこの場面が、映画を象徴しているかのようだ。本当は20代なのに『マッチスティック・メン』(2003)でも10代の娘役として通用したロリータ顔のアリスン・ローマンを、ヒロインとして起用したことで、益々モチーフが明確になっているように思える。何しろローマンは、本作でも少女時代も演じるのだから。さしずめ、華麗なるショウビズ界版『不思議と官能の国のアリス』とでも言おうか。ヒロインが「私は自分をコントロール出来る」などと言っているのに、すぐに男とも女とも寝てしまうのが可笑しい。すぐに寝てしまって失敗しつつも、ショウビズの森をかき分けながら、真相を追い求めようとする。


この映画では全ての真相が主観的に描かれている。ここでの真相とは人物たちの心理であり、心理とは他者から見て主観的に判断するしかないのだから。真犯人が判明するのとは別に、秘められたる心理が露呈する真のクライマクスとして、終盤に用意されている場面がある。ここが際どいけど可笑しくて悲しくて、秀逸だ。ここでのコリン・ファースケヴィン・ベーコンの演技も、可笑しくも哀しい。


それにしても、この映画のベーコンの演技には惚れ惚れする。この人は今、乗りに乗っていのではないだろうか。高慢な面を持ちつつも、開けっぴろげで自信家のどこか憎めないスターを演じていて、魅力的だ。微妙な表情や仕草が自然と人物に同化しており、観ているだけで楽しい。脇役でも光るタイプの俳優として重宝がられているが、本作のように主役を演じていても自然とこちらの目線が引付けられる。


ベーコンの相方役ファースは、普段はイギリス人らしく内面を隠していて堅苦しいのに、ひとたび仮面が剥がれると凶暴な面も見せる男として演じていて、これも中々上手い。無表情の奥に何か得体の知れないものを隠し持っているのでは、と思わせる個性に合った役どころだ。ベイコンとの相性も宜しく、漫談コンビとして息もぴったりである。


ゴヤンの演出は相変わらずじっくり描くタッチで、軽快なテンポとは無縁。いや、鈍重ではないのだが、それが映画としての幻夢的迷宮を生み出しているのも確かで、観客を選ぶ可能性も高い。それでも、1950年代の華やかりし芸能界の光と影を映し出した手腕は、誰にでも認められよう。



秘密のかけら
Where the Truth Lies