シンデレラマン


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1930年代、大恐慌下のアメリカ。プロボクサーのジム・ブラドック(ラッセル・クロウ)は不運に泣かされ資格を剥奪される。右手を骨折しているのでリング復帰もままならず、電気を止められ、子供のミルク代や薬代も無い極貧の中で、家族の為に港の荷降ろしなどをして必死に日銭を稼ぐ毎日を過ごす。そんな彼に転機が訪れる。直前でキャンセルした挑戦者に代わって、急遽リングに立つことになったのだ。アメリカン・ドリームの実話もの。


ロン・ハワード監督らしい、良く出来た優等生映画である。つまりは、家族愛や信念といった古き良きアメリカの伝統的価値観を織り込みながら、破綻無く作られているということだ。逆に言えば冒険心の無い、新鮮味の無い映画とも言える。だが演出と主役陣の演技によって、詰まらなさを超えたものがある映画になっているのだ。


ハワードの本領は実は大作映画ではなく、家族を描いたときに発揮されると思っている僕にとって、この映画はまさに家族を描いた良質の父性映画そのものに思えた。『バックドラフト』(1991)、『遥かなる大地へ』(1992)、『アポロ13』(1995)などといった盛り上がりに欠ける大作映画よりも、『バックマン家の人々』(1989)というスティーヴ・マーティン演ずる父であり息子でもある男を主人公にした悲喜こもごもなコメディ映画が、今まではハワードの最高作ではなかっただろうか。でもこちらの『シンデレラマン』も、甲乙付けがたい出来なのだ。


ブラドックが妻、幼い息子と娘らと心を通わせる場面を散りばめ、この映画は「父性」そのものこそを主役に据えている。全体に抑えた地味な色調の中、それこそ派手な場面こそ少ないものの、ハワードの丁寧な演出で、映画を飽きさせないものとしている。中々泣かせる場面もあちこちにあるのだが、実はそれらは後半よりも前半に集中している。余りにお金に困ってしまい、ブラドックはかつて自分が所属していたボクシングクラブのお偉方が集まる事務所に行き、プライドなどかなぐり捨てて帽子を差し出して小金をせびり、自分でも思わず涙を流してしまう場面など、特に胸を打つものとなっている。


ひたすら耐え忍ぶ前半があるので、観客はアメリカン・ドリームに向けて驀進する主人公の姿を素直に応援してしまう。ハワードは『レイジング・ブル』(1980)などのボクシング映画を勉強したのだろう。ブラドックがパンチを浴びるショットなど、効果音も伴って自分が打ち込まれているような迫力。ボクシング場面は主人公の痛みさえも感じさせ、秀逸な出来になっている。強敵と闘うクライマクスなど、思わず肩や拳に力が入ってしまう臨場感だ。


主人公はアイルランド系・・・ということで、実はこの映画は自身もアイルランド系であるハワードの、『バックドラフト』『遥かなる大地へ』に連なる映画だ。貧困の中でも家族との絆を見失わずに夢を掴んだ偉大なる父祖に捧げた作品は、主人公同様に強く、優しく、誇り高い。その誇りは、アメリカ白人社会の最下層階級であるアイリッシュの誇りでもあるのだ。


偉大なる父性を演じたラッセル・クロウは、強さも弱さも持ち合わせた人間的な理想的な父親像を演じていて、映画の求心力となっている。特に2枚目でもないこの人の、観客の心と視線を引き付けて放さない力は本当に大したものだ。ブラドックのヤリ手マネジャーを演ずるポール・ジアマッティも素晴らしい。外見と中身の落差も人間味たっぷりに演じている。この2人は呼吸もぴったりで、上手さは予想されたものの、そういった予想の範疇を超えた演技を見せてくれる。だからブラドックの妻役レネー・ゼルウィガーが想定内の演技しか見せてくれないので、詰まらなく見えてしまう。


地味ながらもアイリッシュの風情を漂わせたトマス・ニューマンの音楽も、さりげなく映画を支えている点で注目しよう。


良質なハリウッド正統派映画の佳作として、お薦めしたい出来映えである。


シンデレラマン
Cinderella Man