宇宙戦争


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

突如、地底から3本足の巨大機械が次々と出現し、人々を殺戮し始めた。ニュー・ジャージーに住む労働者レイ(トム・クルーズ)は、反抗期の息子(ジャスティン・チャトウィン)と幼い娘(ダコタ・ファニング)を連れ、世界規模の惨禍の中を逃げ回る。


早撮りスピルバーグ作品の中でも、突貫作業が垣間見える映画。それは大味大作映画御用達のデイヴィッド・ケップの脚本によって、如実に現れていまる(ジョシュ・フリードマンと共同)。ケップは、『ジュラシック・パーク』(1993)、『ミッション:インポッシブル』(1996)、『スネーク・アイズ』(1998)、『パニック・ルーム』(2002)と、大味で面白みの無い脚本を書く人。なのに、何故かハリウッドでは重宝されているのが誠に不思議だ。今回のように急な企画の場合でも、対応して書ける速さを持っているからかも知れない。


H・G・ウェルズの原作はヴィクトリア朝のイギリスを舞台にしていたが、この映画は現代のアメリ東海岸に変更している。主人公のインテリ男の目を通して描かれていた惨状を、肉体労働者の視点に。主人公は妻と2人暮らしでしたが、それを離婚した妻から週末に2人の子供を預けられた設定に。このような変更はあるものの、多少派手にした結末を含めて、大筋は原作をなぞったものになっている。それでも予想通りに原作の持つ風刺は損なわれいるし、そもそも火星からの侵略を変更した設定が相当に粗っぽい。太古の昔から地底にウォーマシンを隠していたというけれど、どうして今まで見付からなかったのか。そんなに大昔から地下で地球侵略を狙っていたのに、何で自分たちの弱点対策をしていなかったのか。あんなに各地が破壊されていたのに、何故ボストンは攻撃を免れていたのか。このような疑問が次々と浮かぶものの、そんなことはお構いなしに映画は進んで行く。


出来損ない脚本映画の原動力は、スピルバーグの小憎らしいまでに完成されたサスペンス演出だ。暗雲と落雷で不安の足音をひたひたと聴かせる辺りから、既に観客はかの娯楽派監督の手中にある。その真骨頂は、町の地下からウォーマシンが登場するくだりに現われている。地響きで不安をかき鳴らし、地割れと建物倒壊のスペクタクルの後に、巨大なウォーマシン出現というさらなるスペクタクルで緊張と迫力を盛り上げ、ウォーマシンから発せられる光線が人々を殺戮しまくる恐怖で、観る者の神経をぎりぎりと締め付ける。ここは『ジュラシック・パーク』のT-レックス登場場面に匹敵する出来映え。後半にある、隠れ家である廃屋を異星人の探査機が嗅ぎ回る場面のじりじりとした緊張感は、同じく『ジュラシック・パーク』のキッチン・シークェンスを彷彿とさせる。映画の主役はトム・クルーズではなく、明らかに大スター監督だ。


もっとも、過去の作品が重なって見えてしまうように、演出技法上の新しさは見当たらない。ある意味、職人監督に徹しているかのようにさえ思えてしまう。それでも実験精神を忘れない若さは健在。走行する自動車の中・外を、ぐるぐるキャメラが回って1ショットに捉えたりするのを観ると、ブライアン・デ・パルマや近年のロバート・ゼメキスもかくやという、派手なキャメラ・ワークが微笑ましい。いつまでもキャメラや映像に夢中になっている、永遠の映画青年が透けて見える様がスピルバーグらしいのだ。ゆったりした序盤から、ひとたびウォーマシンが登場するや映画は終始アップテンポで進み、SFスリラーとして息つく暇も無い。もっとも超大作としての製作規模と違い、『インデペンデンス・デイ』(1996)のような大スケール戦争スペクタクルを期待すると、肩透かしを食らう。飽くまでも主人公の視点から描かれているので、地球規模の壊滅が身の回りの描写に限定されている、言わば小さい映画になっているのだから。画面も1:2.35のスコープでなく、1:1.85のワイドなので、尚更スケールが小さく感じられる。


あちこちの媒体で触れられているように、これは9.11.をかなり意識した映画だ。惨劇の渦中から逃れてきたクルーズの顔が、灰で真っ白になっている様。行方不明人のおびただしい顔写真が貼られている様。それだけではなく、この映画では「死」を象徴的に描こうという試みが目立っている。森の中、犠牲者たちの衣服がはらはらと舞い落ちてくる森の場面や、数々の死体が流れてくる河の場面など、美しくも印象的な映像が描き出されている。


ここまであらゆ技法を駆使されると、主演である大スター、トム・クルーズの印象が薄くなってしまうのも仕方が無いだろう。自分勝手で家族を省みなかったダメ父親という、新境地を開拓しようとする意気込みは買えるのに。いや主人公だけでなく人間ドラマもそつなく描かれているし、幼い娘役ダコタ・ファニングも相変わらず上手い。が、いかんせん映画の興味は、ウォーマシンによる破壊と殺戮にあるので、彼らの影が薄くなるのはやむを得ない。


死と破壊のイメージで全編に渡って塗り尽くされてくると、異星人がおぞましい原作のイメージと違って妙に可愛らしいとかの欠点に目が行ってしまう。1953版『宇宙戦争』の方が異星人は怖かった。特撮技術の低さを逆手に取って、一瞬しか見せない恐怖演出が効いていたあちらに比べ、こちらはCGI技術に溺れたのだろうか。どうせならば、より凶悪で冷酷な宇宙人を徹底して描き、原作にあった軍艦とウォーマシンの戦闘なども描き、『プライベート・ライアン』(1998)で開花した、スピルバーグの破壊願望を満たしてくれれば良かったのに。そういった不満はあるものの、突出した演出技法と特撮が楽しめる作品には違いない。娯楽SFスリラーに徹した潔さは、近年のメッセージ性がやや鼻に付くスピルバーグ作品としても異色。おまけに初期作品の勢いを髣髴とさせるときている。但し、それ以上のものを望むと、失望する可能性も高いだろう。


宇宙戦争
War of the Worlds