マイ・ボディガード


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

元特殊部隊隊員のクリーシー(デンゼル・ワシントン)は、メキシコ市で富豪の一人娘である9歳のピタ(ダコタ・ファニング)のボディガードを勤めることになった。数々の殺し稼業の過去に苛まれ、クリーシーの心は荒み、酒に溺れる毎日だったが、彼に人間性や希望を取り戻させたのはピタだった。しかし事件は起きた。クリーシーは陰謀の関係者全員を調べ上げ、復讐すべく、行動を開始する。


マット・ディロン主演の同名青春映画にあらず。


安っぽい邦題にケヴィン・コスナー主演のあの作品を重ね合わせ、安っぽい宣伝に単純な感動押し付け映画を想像した観客は、現物との落差にびっくりすることだろう。何せ、悪党を拷問に掛けて別の悪党の名前を吐かせて殺害、その後に次の悪党をまた拷問に・・・と芋づる式に悪党殲滅を遂げていく迫力たっぷりの暴力的な映画になっているのだから。A・J・クィネルのクリーシー・シリーズ第1作『燃える男』2度目の映画化(1987年にスコット・グレン主演で映画化され、日本未公開)は、ハードな復讐劇でありながら、これが情感も損なわれていない上出来の仕上がりである。


有名な原作は未読だが、恐らく映画版は設定だけ借りて大幅に変更していると思われる。脚色を手掛けたのは、『L.A.コンフィデンシャル』(1997)、『ミスティック・リバー』(2003)と、スリラー映画の傑作を担当したブライアン・ヘルゲランド。小説の雰囲気を損なわず映画向けに上手く改変していた名手の手腕は、ここでも健在と見た。


ピタとの交流によってクリーシーが人間性を取り戻していく前半は、時折緊張感を挟みつつも、がっちりとしたドラマとして見応えがある。デンゼル・ワシントンはお腹に贅肉を付け、引退して堕落しきった男の荒れた様を演じ、内面演技でも重量感を見せ付ける。天才子役の名を欲しいままにしているピタ役のダコタ・ファニングは、可愛らしいだけが子役じゃないとばかり、肝っ玉の据わった強い視線と表情が印象的で、ワシントンに負けていない。トニー・スコットの演出も、水泳という競技が2人の間に強い絆を作り上げていく様を時間を掛けてじっくりと描いていて、そこが映画の見せ場の1つともなっている。彼の映画にしては珍しく手応えのある人間ドラマとして評価したい。


役者が充実した映画では、脇役たちも見逃せない。クリーシーの旧友役クリストファー・ウォーケンは年季の入った円熟した演技。顔の皺の1つ1つに人生の酸いも甘いも嗅ぎ分けた男の風情を漂わせていて、ここのところの好調を維持している。後半に登場する連邦捜査官役ジャンカルロ・ジャンニーニも愉快。整形手術で若返ったんだか顔の形が変わったんだか分からなくなったミッキー・ロークまでもが、いかにも一癖ありそうな弁護士役とは面白い。


映画の後半は凄まじい復讐劇となっていく。陽気な音楽に暴力描写、明るく悪党を拷問に掛けるワシントンという、『時計じかけのオレンジ』(1971)を思わせるコントラストの差は迫力があり、また面白い。スコットはありとあらゆる映像テクニックを披露とばかり、画調を壊しにかかっている。粗く色褪せ、光が白く飛んだ手ぶれ映像を頻繁に挿入し、クリーシーの燃えたぎった心情を表現しているかのよう。この技巧は策に溺れた感があり、うるさく感じられた。画が不必要に主張しているのは頂けない。また、リサ・ジェラードの歌声が感動を盛り上げようとする場面で響くのだが、これが安直に聴こえる。兄貴リドリーが『グラディエーター』(2000)、『ブラックホーク・ダウン』(2001)で起用した歌手に責任は無い。ただ、彼女の声は個性が強いので、「またかよ」と思って興醒めしてしまうのだ。


終盤は大仕掛けを披露しつつ、それが上っ面だけのトリックとなっていないのは、意外にも道徳的なテーマのお陰だろう。この脚色は素晴らしい。殺人は何をもって罰するべきかというテーマと、ストイックに描けている主人公の心象が重なり、映画は骨太で真のハードボイルドとして記憶に残る作品となった。安手の感動ではない何かが、ここにはある。


マイ・ボディガード
Man on Fire

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