グッドフェローズ


★film rating: A+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ニューヨークの下町で育ったヘンリー・ヒルレイ・リオッタ)は、少年の頃からギャングに憧れていた。成長し、マフィアの一員となった彼は、多忙かつ栄華な日々を過ごすが、よもやの転落が口を開けて待っていたとは。


カッコ良い映画とはこのこと。LDで何度も見返し、DVDも買ってしまったくらいに好きな理由は、ほぼこの一点に尽きます。


ヘンリー・ヒルやその妻や仲間達からの膨大なインタヴューを基にした、ニコラス・ピレッジ著のノンフィクション『ワイズガイズ/わが憧れのマフィア人生』を原作に、マーティン・スコセッシが監督、スコセッシとピレッジが共同で脚色した2時間25分の映画は、20数年間をぶっち切りのスピードで駆け抜けます。冒頭のブラックで恐ろしい車のトランクのエピソードから、ヘンリーのモノローグ「子供の頃からギャングになるのが夢だった(As far back as I can remember I always wanted to be a gangster. )」という台詞が終わるや否やトニー・ベネットが歌う『愚者から富者へ』が流れ、車の走行音と共にエレイン&ソール・バスによるタイトルが右から左へと現れる。全編のスタイルを既にこの冒頭で語ってしまっています。黒い笑い、暴力、ナレーション、ストップモーション、画面に被さるポップミュージック。この映画の主役はレイ・リオッタでもなく、ロバート・デ・ニーロジョー・ペシでもなく、監督のマーティン・スコセッシ自身です。彼の繰り出す巧みな話術と、映像と音楽が絡み合う洪水には、圧倒されます。


コッポラの『ゴッドファーザー』サガは、マフィア幹部の物語を、ニーノ・ロータの悲壮且つ甘味なオーケストラ音楽で、叙情的で荘厳な、ゆったりとしたオペラ調で語っていました。この映画でのコルレオーネ家の描き方が、マフィアのイメージを決定付けたと言っても過言ではありません。その既成概念を打ち壊すべく、全く対照的なスタイルでマフィアを語ったロックな思想の映画が、この『グッドフェローズ』です。毎日あくせく働くマフィアの下っ端の日常を、既成のポップミュージックで、ドライなドキュメントとしてスピード感たっぷりに描いています。そこには明確な物語構成は無く、かといって登場人物の内面を深く掘り下げることもなく、ただただ行動があるのみ。彼らの生活の根幹を成すのはマトモに働くのはバカらしいという思考回路であり、その徹底振りに一般市民の価値観が入り込む余地は殆どありません。こんな別世界を描いた映画が、不謹慎なことに非常に面白いのです。


当然のことながら暴力も彼らにとっては日常茶飯事で、郵便配達夫を脅し上げる為に頭をオーヴンに突っ込ませるなどというのは序の口。いきなり殴り、撃ち、刺す。日常の一部と化した突発的暴力の恐ろしさを体現しているのが、ジョー・ペシ演ずる主人公の幼馴染トミーです。高くしわがれた声で早口に喋るチビでユーモラスなペシが、かっとなると瞬時に手の付けられない凶暴な男に変身します。トミーの特徴がよく出た有名な「You think I'm funny?」の場面がその好例。それが家に帰れば母親に頭が上がらないマザコン男なのが笑えます。母親役に実母をキャスティングしたスコセッシに、いつまでも親離れ出来ないトミーとダブって見えるのも面白い。


恐怖と笑いが一緒くたになったジェットコースター映画を、スコセッシは浮かれること無く確実に進めて行きます。生粋のイタリア系でないヘンリーやジミー(ロバート・デ・ニーロ)は、マフィアの幹部になることが出来ません。イタリア系マフィアの連中と行動を共にしながらも、醒めた目で客観的に語るヘンリーの視線は、監督スコセッシの視線でもあります。極端でありながら人間性が凝縮された生き様を、早書きスケッチしていくのです。


またこの映画、食べている場面がやたらと多い。食事場面の多さでは『2001年宇宙の旅』(1968)に匹敵するか、あるいは凌駕しているのではないでしょうか。宇宙食ばかりだったあちらよりも、イタリアンが頻繁に登場するこちらの方が遥かに美味しそう。とにかく登場人物たちはよく料理をし、食べる。トマトソースのパスタや肉料理が画面狭しと並んでいます。ドンのポーリー(ポール・ソルヴィーノ)は自分の店でソーセージを焼き、男どもはカツレツやミートボールを作り、女たちはキッチンで煮込み料理を作る。刑務所に入れられてもカミソリでニンニクを薄切りするのにこだわり、ソースの中のタマネギの量が多過ぎると文句を言い、自前でこしらえた豪勢な肉・魚料理を平らげます。真っ赤なトマトソースと血が彩るグルメなギャング映画は、これ以外に観たことがありません。


悪事にも料理にも迫るスコセッシは、永遠のキャメラ小僧です。とにかくキャメラを動かしたくて動かしたくて仕方が無い、という風情が伝わってきます。ステディキャムを使った前進移動撮影に、横移動、急激なズームやパンといったテクニックをフル稼働、その一切合財が決まっていて、嬉々としてキャメラの後ろにいる姿が画面から想像出来ます。優秀な撮影監督ミヒャエル・バルハウスの手腕も確かで、レンズの絞りで夜から朝への変化を1ショットで収めたり、映像的にも観るべき点が非常に多い作品です。


常連セルマ・スクーンメイカーの編集テクニックも冴えています。ある人物が延々喋っている場面があるとすると、ショットによっては手が物を持っていたり持っていなかったり。要は前後が繋がっていないのです。これは撮影時のミスではないかと以前から気になっていたのですが、今回DVDで久々に見直したところ、全編にこういったショット繋ぎが散らばっています。どうやらこれは意図的か、さもなければ全く気にしていないのかのどちらかではないか。ショットの前後が繋がっていないことにより時間が飛ばされているように感じられ、同一フレームにて動作の途中が飛ばされるジャンプ・カットと同じような効果があり、スピード感を出しています。


スピードだけじゃぁありません、この映画がカッコ良いのは。映像に絡ませた音楽の使い方も抜群です。例えば前半にあるヘンリーと後の妻カレン(ロレイン・ブラッコ)が初めて2人でディナーを取るくだりでは、映像と音楽がロマンティックに盛り上げます。車を止めた2人が道路を渡り、店の裏側から入り、廊下を通り、顔馴染みと軽く挨拶し、厨房をくぐり抜け、ようやく店のフロアに辿り着く様を、2人の後ろからキャメラが付いて行き、延々移動撮影の1ショットに収めています。このバックに流れるクリスタルズの『ゼン・ヒー・キスド・ミー』と共にカレンの胸の高鳴りを効果的に盛り上げていて、いやはや全く見事なもの。また、これらの場面はどうでしょう。眼光鋭くバーカウンターにたたずむロバート・デ・ニーロキャメラがゆっくりと近づくと同時に、突如流れるクリームの『サンシャイン・ラブ』のイントロにドキリさせられます。大量の死体があちこちで見つかるモンタージュ映像にかぶさるのは、ドラマティックなピアノの旋律で始まるデレク&ドミノスの『いとしのレイラ』後半部分。選曲、タイミング共に決まっています。技巧を凝らした映像と音楽を組み合わせたスタイルが他の監督に与えた影響は大きかったようで、テッド・デミの遺作『ブロウ』(2001)やフェルナンド・メイレレス&カチア・ルンヂの『シティ・オブ・ゴッド』(2002)等でも、その一端が垣間見られます。


この手法が劇中で最高潮に達するのは、終盤の「1980年5月11日 午前6時55分」と題された章。ベースとギターがリズムを刻むハリー・ニルソンの『ジャンプ・イントゥ・ザ・ファイアー』に始まり、ローリング・ストーンズジョージ・ハリソンらの楽曲がひしめき合います。料理をし、外出して悪事を働き、帰宅して料理をし、また外出と、家と外とを何度も行き来しつつ狂騒的なまでに多忙に過ごすヘンリーの重要な1日を、せわしなく動く映像と共に盛り上げます。


狂乱の1日の後、最後の20分は一般的な映画のスピードに落ち着きます。栄光を失ったヘンリーは、詰まらん一般市民として生きていくしかありません。キャメラに向かって拳銃を撃つジョー・ペシの映像が物語る通り、死を宣告されたに等しかった筈。最後を締めるのは、シド・ヴィシャスの『マイ・ウェイ』。フランク・シナトラでないのがこの映画らしい。かくしてロックンロールなマフィア映画は、クールに幕を閉じます。


グッドフェローズ
Goodfellas

  • 1990年/アメリカ/カラー/145分/画面比1.85:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated R
  • 劇場公開日:1990.10.19.
  • 鑑賞日:2004.11.14./自宅にてDVD鑑賞