血と骨


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1920年代に済州島朝鮮人集落から大阪に渡り、強靭な肉体と凶暴な性格から、ヤクザからも「怪物」と恐れられた男・金俊平(ビートたけし)の苛烈な人生を描く。


ヤン・ソギルのベストセラー小説を、自らも在日朝鮮人でもある崔洋一が映画化した作品は、期待に違わず骨太で、血潮が渦巻く作品となっている。それと予想外に間口が広い、見やすい映画になっていた。これは、俊平が主役のピカレスク・ロマン(悪漢小説)として成立しているからだろう。


ふらりと居なくなり、久々に帰って来るといきなり妻(鈴木京香)を犯し、娘や息子に暴力を働き、自宅を破壊し、創業した蒲鉾屋を薄給で労働者をこき使って儲け、高利貸しに職を鞍替えしてヤクザまがいの取立て行い、若い愛人を連れ込んで自宅に住まわせ、彼女が病に倒れると新たに子連れの愛人を住まわせ、自分の子供を何人も生ませる。儲けた金には決して自分で手を付けず他人にも触れさせず、蛆がわく肉を食べるなどして極貧生活を営む。渡航船からの大阪湾が近づく眺めに希望の胸を膨らませた金少年が、何故こうなったのか。彼が暴君たることに間違いは無くとも、何が俊平をそのような行動に駆り立てるのか、映画はその一切を描いていない。それが欠点になっていないのは、崔洋一の演出とたけしの演技が、感情に流されず、誰にも同情せず、しかしドライではなく全体に人間味を塗して説得力に富んでいるからだろう。


この男(ヤン・ソギルの父がモデルだという)の魅力は、昔いた頑固オヤジの猛烈版という懐古趣味だけではない。己の欲望に徹底して忠実な生き様は、それ以外の要素を一切削ぎ落とした純粋無垢な人間の業そのものとも言える。粗野・粗暴な振る舞いの一方で、祭りの中で豚を屠殺し、皆に肉を切り分ける場面での自信と温和さが入り混じった表情や、病に倒れた愛人をたらいで洗ってあげる場面の細やかさなどは、忘れがたい場面となっている。


俊平の住んでいる世界は、関西弁と韓国語が飛び交う下町の一角にある。彼はその狭い世界で主として君臨し、最期まで好き勝手に生きる。歳を取り、脳梗塞に倒れて半身が不自由になっても、彼の言動は変わることはない。不自由な身体の老人が親族から見放され、周りの人間から仕返しを受けても、こちらに哀れみの同情の念さえ抱かせないというのは凄い。行動が徹頭徹尾、一貫しているからである。こうなると逆説的に俊平の言動が痛快にさえ思えてくる。


映画が描けているのは主人公だけではない。主人公の生き別れた息子役として前半に顔を出すオダギリジョーは、刹那的に生き急いだヤクザな若者として、出番が少ないにも関わらず、強い印象を残す。また、男性派タッチの映画でありながら周りの女性たちもしっかりと描けており、演ずる女優たちも輝いている。夫の酷い仕打ちにも、凛とした佇まいを崩さない妻役の鈴木京香。最初は打算で近付いて来たであろうけど、ある意味対等に付き合っていた愛人役・中村優子計算高い子連れ愛人役の濱田マリ。特に濱田マリは、モダンチョキチョキズや『あしたまにあ〜な』などの、今までのイメージを覆す役を見事に成り切っていて、仰天してしまう。


もっとも、長大な原作を強引に2時間半以内に収めたため、説明不足の箇所が目立つのも確か。力強い映画としてまとめ上げてしまった崔の豪腕には観るべきものがあるものの、それでもこの映画は、本来もう少し長くあるべきではなかったのか、という疑念は上映時間の最後まで晴れない。


映画のラストは、リドリー・スコット監督の『1492コロンブス』(1992)と同じ趣向だ。剽窃がそれほど気にならないのは、必然と思われる演出だからだろう。理想や希望に満ちて俊平はやって来た筈なのに、果たして彼にとって人生は思い描いた通りだったのか。そういった辺りも説明することなく観客の想像に任せ、深い余韻を残して映画は幕を閉じる。


血と骨

  • 2004年/日本/カラー/140分/画面比1.85:1
  • 映倫(日本):R-15指定
  • MPAA(USA):(未公開)
  • 劇場公開日:2004.11.6.
  • 鑑賞日:2004.11.6./ワーナーマイカルシネマズつきみ野7 ドルビーデジタルでの上映。公開初日の土曜10時10分からの回、199席の劇場は3割の入り。
  • 公式サイト:http://www.chitohone.jp/ スタッフによるプロダクション・ノートや撮影日誌、予告編など。