笑の大学


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

日本が太平洋戦争へと突き進んでいた昭和15年。言論・思想統制が厳しさを増す中、笑いを懸命に排除しようとする検閲官(役所広司)と、笑いに命を賭ける、劇団「笑の大学」の座付き作家・演出家(稲垣吾郎)の7日間に渡る攻防を描く。


三谷幸喜による脚本・演出による舞台版は大層話題になり、NHK-BSで舞台録画が放送されたのを見逃したときは大変残念に思ったものだった。今度の映画版は、映画用と思われる屋外場面の幾つか以外は殆どが取調室での台詞の応酬となっていて、基本的に舞台版に近い脚本なのだろう。さすがによく練れており、三谷お得意の単語ネタは笑えるし、そう来たかと思わせる知恵比べは可笑しく、終盤に来ての二段構え三段構えの展開も予想外。感傷的なラストも含め、良くも悪くも三谷らしく、細かいところまで神経の行き届いたヴォリュームたっぷりのしっかりした脚本はさすがの出来映えだ。稲垣演ずる作家(戦争中に検閲に抵抗し、太平洋戦争で戦死した菊谷栄がモデルという)に三谷自身がだぶってくるのは当然としても、テーマが明確に打ち出されていて、し少々説教臭いのもこの人らしい。この脚本を得て詰まらない映画にしたら、監督は殆ど犯罪者に近しい存在となっていただろう。


強力な脚本の分、と言っては何だが、テレビ・シリーズ『古畑任三郎』も手掛けた監督・星護は、テレビの監督らしく己が個性を打ち出していない。脚本の良さを出すことに腐心し、逆に自らの色を出すまいとしている。所々でキャメラワークの動きなどで映画らしい躍動感を与えようとはしているが、それも意外な程に効果が上がらず、また、悪い意味での舞台臭も消えていない。


映画は全てセットで、しかも限られた予算の為か、浅草などの屋外場面ではロング・ショットが一切無い作りなので、開放感がまるでない。お陰で屋内と屋外の場面の切り替わりも特に変化が少なく、やや一本調子なのも映画として弱い。役者の演技も大袈裟な舞台もしくはテレビドラマ調で、それ自体は映画の内容からするとそう悪く無い演技アプローチとはいえ、全体に映画という媒体を使いこなしていないのが気になる。レトロ調のプロダクション・デザインや、ポスターなどに「三日目」などと書いて時の移り変わりを映す手法など、常套ではあってもセンスはそう悪くないだけに、余計に惜しまれる。こうしてみると、舞台劇の映画化でテレビ監督の起用という点においては似た企画の『十二人の怒れる男』(1957)は凄い作品だった、と思い知らされる。


それにしても、困った。この映画を観ていてずっとあることが脳裏から離れず、映画に没入することが出来なかったのだ。というのは、役所広司が熱演する検閲官・向坂の向こうに、舞台版で同じ役を演じた西村雅彦が透けて見えたから。いやいや、役所は大熱演で、振幅の激しい役どころを上手く押さえており、ヴェテラン俳優の持ち味を発揮している。難癖/因縁を付けて喜劇台本から笑いを排除しようとする様と、使命に懸命な余りにかえって喜劇作りの片棒を担いでしまう姿に、丁寧に可笑しみを与えている。しかし、一度も笑ったことが無いという役柄で、無理難題をネチネチと粘液質に吹っかけるのは、西村雅彦にこそ似つかわしいのではないか。後半の気持ちの変化、終幕の2回ある変貌振りも、西村だからこそ驚きや意外な感動があった筈。役所では最初から悪そうな冷血漢に見えず、どこか人の良さが垣間見えてしまうのだ。映画が終わるまで、この違和感はついぞ離れることがなかった。


稲垣吾郎も熱演しているが、大画面で役所とタメを張るにはまだまだ線が細い。それ以前に、笑いを取ろうとするのが見え見えな演技アプローチに問題あり、と感じた。


笑の大学

  • 2004年/日本/カラー/121分/画面比1.85:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):(未公開)
  • 劇場公開日:2004.10.30.
  • 鑑賞日:2004.10.30./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘4 ドルビーデジタルでの上映。公開初日の土曜21時30分からの回、175席の劇場は8割の入り。
  • 公式サイト:http://www.warainodaigaku.jp/ 「イントロダクション」では、基となった実話について触れられている。三谷幸喜インタビュー、制作日記、ゲーム、クイズ、グッズ紹介など。