華氏911
★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。
2000年アメリカ大統領選挙。フロリダでのゴア/ブッシュ対決はブッシュがありとあらゆるコネ/手段を使い、当選。2002年「9.11」。「9.11」を契機にアメリカ軍を中心とした多国籍軍が行った2003年のイラク侵攻は、ジョージ・W・ブッシュ大統領とその取り巻き閣僚・企業の私腹を肥やすものだったと告発する、話題のドキュメンタリ映画。
前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)で日本にも顔が知られるようになったマイケル・ムーアの新作は、いやはや、パワフルで強いメッセージ性を持つ映画だ。そのメッセージは極めて明快である。ブッシュをホワイトハウスから追い出せ。9.11.の報復をするならば、イラクではなくアルカイダだ、と。
本国アメリカ同様に日本でもかなり賛否両論に分かれているこの映画、特に日本での批判的論調に多いものとして、「客観性に欠けたドキュメンタリ」「新事実なぞ無い作品」の2つを挙げる向きが多いようである。ふむふむ。それではこの作品の意義から考えなくてはいけないようだ。
まず、報道とドキュメンタリとは違うのではないか、ということ。
報道とは事実に即した情報としての公正さが求められるもの。しかしドキュメンタリとは、取材対象に記者が向き合うことにより、形成された意見が表現されるものではないだろうか。取材を終えて、最終的に1時間なり2時間なりにまとめる際、どの素材を残すか、どの素材を削ぎ落とすか判断するのは記者である。その判断こそが意見なのだ。だから記者の意見/メッセージとして形成されたのがドキュメンタリと考えるのが自然であろう。
こうしてみると、2時間もの上映時間を反ブッシュ一色に染め上げたこの長編映画は、まごう事なきドキュメンタリであると言える。
また、細かい間違いをあげつらう向きもいる。敢えて言うならば、例え細かい間違いがあるからと言ってこの作品の価値が下がる訳ではないだろう。木を見て森を見ずではないけれども、映画で描かれた通り、かねてからイラク攻撃を狙っていたホワイトハウスの姿勢や、9.11テロとフセイン政権は殆ど関係が無いとの事実は、明らかになりつつあるのだから(ところで日本版『ニューズウィーク』の翻訳記事で、記者が幾つもの事実誤認を挙げていたが、これは後にムーアの反論により指摘自体が間違いであったと記者が認めていた。日本版が出る前の時点で決着が着いていたのに、何でまたその記事をでかでかと翻訳記事を載せたのやら。何か恣意的なものを感じる)。
新事実なぞ無いから駄目な作品だ、という意見も的外れだ。FOXニューズやCNNに代表されるように、アメリカ国内では正義を行うアメリカ万歳との偏向報道ばかりがされていた。これは日本も含めて海外で報道されていた事実(例えば多国籍軍の攻撃によって多数のイラク市民が犠牲になったことなど)を知らされていなかった、アメリカ国民向けの映画なのだから。
映画の力によって、最終的には国民の半分しか登録していないと言われる選挙人登録者を増やし、反ブッシュ票によって大統領を追い落とそう、とする野望を持つ映画は、つまるところこうして海外から観るのとアメリカ国内で観るのとでは、おのずと意味合いが違ってくるのだ。これがこの映画を海外で観る場合の前提知識となる。これを知らずして観るのと観ないのとでは、全く評価が変わってくる恐れがある。
となるとこの映画を外国人としてどう観たら良いのか、という話になってくる。
単純な面白さでは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』の方が勝るだろう。何故アメリカでは銃犯罪が多いのか?と素朴な疑問から始まった映画は、アメリカ人の心理にまで踏み込む意外な展開を見せてくれた。しかし今回の映画は、ブッシュが如何にアホでマヌケで無能で危険かを知らしめるメッセージがありきなので、意外性には乏しく感じる。
それでもここには優れたドキュメンタリならではの瞬間が幾つもある。特に後半の主役となるライラ・リプスコムという主婦の場面がそうだ。彼女は黒人の夫と住む白人中年女性で、熱心な愛国者でもある。家族の男達は一家代々軍に仕えており、だから彼女も軍に入って国の為に成すことを露ほども疑っていなかった。イラク侵攻にも賛成していた彼女は、自分の息子の1人がイラク戦争にて命を落とすと、見方を変えざるをえない。戦死直前に息子が書いた手紙でこの戦争の実態と、戦争に行くというは殺し殺されるものなのだと知るのだ。悲しみと怒りに染まった彼女が、今まで思ってもいなかったことに正面から向き合うことになり、ワシントンD.C.にて自らが対峙すべき場所を見つけるくだりは圧巻だ。ここは忘れえぬ場面となった。
見るからにユーモラスな風体である自らの姿をさらす場面を減らし、笑いを取るのはブッシュに譲ったムーアの姿勢に、真剣な思いを見て取ることができる。それだけにムーアの放つ強いメッセージ性には圧倒される。しかしながら堅苦しく無い娯楽映画として楽しめるのは、ユーモアを織り込んだ巧みな構成と編集、ナレイションによるところが大きい。畳み掛けるような情報の波に押し流されなければ、観客はスリリングな映画的体験の恩恵を受けられるだろう。見かけはアホでマヌケなブルーカラーな男の試合巧者振りは、毎度のことながら侮れない。
『ボウリング』同様に、政府が民衆の恐怖心を煽っているとする点でこの2作は根底で繋がっており、まさしく「今のアメリカ」を描いた兄弟映画と呼べる。何よりも映画の力(ちから)を信じた大力作に仕上がっている、必見の作品だ。