21グラム


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


人は死ぬとき、体重が21グラム減るという。21グラムは魂の重さか。


生と死を巡る3人の男女を主軸としたアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督、ギジェルモ・アリアガ脚本の映画は、力強い演出と俳優たちの見事な演技により、ずっしりと見応えのある作品となった。


映画全体は特異な構成となっている。


心臓移植を持つ数学の教授ポール(ショーン・ペン)、平凡で幸せな主婦から一転して奈落の底に突き落とされるクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)、信心深い前科者ジャック(ベニチオ・デル・トロ)の3人が織り成す物語を、一直線に語らず、クライマクスも含めて時制を細かくバラバラに切断し、前後に並び替えている。やがて浮かび上がってくるのは悲しき人間模様。ポールはイギリス人の妻(シャルロット・ゲンズブール)との仲がしっくりしてこないし、クリスティーナはアルコールと麻薬で墜ちていく。ジャックは一瞬の気の緩みが起こした災厄に囚われる。


お互い無関係に生きて来た彼らが関係してくる様子を含めて、こういった物語の全貌が観客に見えてくるのは、映画の最後の最後になってからだ。『メメント』(2000)以降流行っているこの手のパターンだが、只でさえ重層的な物語を一層複雑にするこの構成が効果的かどうかと問われれば、疑問があると答えざるを得ない。何がどうなっているのか知りたい観客側が、分断された物語を自らの脳内で組み立てるというスリリングな作業を行う快感はある。アリアガのによるシャッフルされた物語をイニャリトゥ監督は豪胆なリズムで紡ぎ、観客の興味を引き付けて止まない。


しかしこの構成が物語に奉仕しているかどうかは、やや疑問だ。この構成でないと語れない、などということは無い、斬新でなくとも興味引かれるプロットなので、正攻法の演出でも良かったのではないか。もっとも同じ物語を時間軸に沿った語りにしたならば、脳内パズルという娯楽が無くなる分、より重苦しい映画にはなっただろうが。


全編手持ちキャメラ撮影に、16ミリ撮影かと思わせる色の褪せた粒子の粗い映像、しかもぶつ切り構成という、ノイジーな映画の中でも、俳優たちの見事な演技はそれらに埋没することはない。イニャリトゥ監督は最高のキャストから最高の演技を引き出しました。


ミスティック・リバー』(2003)の記憶も新しいショーン・ペンは、ここでは繊細さと近寄りがたい緊張感の両方を漂わせ、心優しい恋人から身勝手で自暴自棄な男まで、振幅の広い演技を見せてくれる。『ミスティック・リバー』も素晴らしかったが、こちらはさらにその上を行っている。


ナオミ・ワッツは幸福よりも不幸が似合う女優のようだ。幸福な主婦の場面も良いですが、不幸によって堕落した女となっても、その輝きはいささかも薄れるどころか、かえって増す。ペンを相手にした、感情を剥き出しにした激情ほとばしらせる台所の場面など、観ている者に痛みを感じさせる。


ベニチオ・デル・トロはその巨体で背中を丸め、信仰厚き男が鬱屈して神に逆恨みする様子を全く自然に演じ、怒りと失意を滲ませる大熱演だ。


彼ら3人は感情移入を阻みかねない人物を演じているのだが、単なる観客側の好き嫌いを消し飛ばす程の抜群の演技力を見せてくれる。そこに人間の真の感情を感じさせるからなのだ。


全体に重く濃密な、黒いタールにどっぷり漬かったような映画だが、死と再生を描いたラスト・シーンは宗教的な崇高ささえ感じさせ、登場人物の魂も観客の魂も浄化される幕切れとなっていて、作品を締める。


21グラム
21 Grams

  • 2003年/アメリカ/カラー/124分/画面比1.85:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for language, sexuality, some violence and drug use.
  • 劇場公開日:2004.6.5.
  • 鑑賞日:2004.6.10./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘7 ドルビーデジタルでの上映。木曜21時30分からの回、170席の劇場は30人程度の入り。パンク風でチャラい若い男女3人が目の前にいたけど、映画が始まると礼儀正しくおとなしく観始め、その1人は途中から身を乗り出して、最後は感動していた。一見すると派手で無内容な大作しか観なさそうな人でも、そうじゃない。人間外見じゃない、と改めて思った。
  • 公式サイト:http://www.21grams.jp/ デル・トロ、イニャリトゥ監督来日記者会見・舞台挨拶、監督インタヴュー、予告編、壁紙、BBSなど。