デイ・アフター・トゥモロー


★film rating: B
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

地球温暖化による異常気象が猛威を振るう。ソフトボール大の雹(ひょう)が東京に降り注ぎ、街を引きちぎる強力な竜巻がL.A.を襲い、巨大な津波がニューヨークを飲み込む。北半球は氷河期となった。凍りついたマンハッタンに閉じ込められた息子(ジェイク・ギレンホール)を救いに、気象学者の父親(デニス・クエイド)は仲間たちと向かう。


大きいことは良いことだとばかり、巨大円盤登場の『インデペンデンス・デイ』(1996)や、巨大イグアナと化したゴジラを出した『GODZILLA/ゴジラ』(1998)の監督・脚本家ローランド・エメリッヒは、今度は逃げ場の無い異常気象を題材に選んだ。なまくらな人間ドラマと大味な演出は相変わらずだが、高度な特撮による災害描写をこれでもかと序盤から叩き付け、観客を飽きさせない定番の技は、今回も有効と出たようだ。


前半の見せ場はLAを襲う巨大竜巻の描写だ。田舎を舞台にした『ツイスター』(1996)と違い、こちらは大都会で同時に幾つもの竜巻が暴れ回る。看板をなぎ払い、車を投げ飛ばし、高層ビルに凶暴な爪痕を残す。中盤には津波襲来の場面も用意していて、巨大津波の映像は『ディープ・インパクト』(1998)にもあったので新味には乏しいものの、こちらの迫力も中々のもの。このように畳み掛けるように災害場面を並べていく前半は快調だが、映画の後半にはこういったスケールの大きい災害描写が無いので、尻すぼみになっていく印象を与えるのは否めない。終盤には2〜3秒で人間も凍ってしまう超低温の寒波の襲来をこさえ、物が凍りつく様子をCGIによる特撮だけでなく音響効果でもって表現し、緊迫感を与えているのに成功はしているものの、世界的規模の大風呂敷広げた映画の筈なのに、こぢんまりとした映画となってしまった。この予兆は既に前半にもあり、例えばチャイナタウンと見まごう東京の場面なぞ、狭いセットだけでロングショットによる破壊描写が無かったりで、世界規模の物語なのに意外とスケールが感じられないのだ。またドラマ部分もエメリッヒ作品らしい群像劇ではなく、親子の物語に収斂されていくのも、よりスケール感の小ささを感じさせるのである。


さらにはこの映画はスケール感だけでなく、過去のエメリッヒ作品にあった娯楽性も薄らいでしまっている。宇宙人や怪獣相手ならともかく、自然の災害となると人智では太刀打ちできないからでだろうか。知能指数は低く、意味無くスケールが大きく、根拠無しに能天気な作風をどことなく気に入っていたぼくとしては、そういった辺りも残念に感じられた。この作品同様に、エメリッヒの盟友ディーン・デヴリンが製作に参加しなかった『パトリオット』(2000)もそうだった。思えばエメリッヒの資質と思われた娯楽要素というのは、デヴリンのものだったのかも知れない。


冗談きついのは、アメリカ合衆国国民がメキシコ国境を越境してメキシコに逃げ込むくだり。こういった辺りは皮肉たっぷりで面白い趣向だ。


全体には凡庸な箇所が目立つものの、これだけ恐ろしい災害を迫力たっぷりに見せられたら、嫌でも環境保護に関心がいくのも当然というもの。その意味では成功しているし、出来映えは平凡でも、大作映画らしく大画面で観る価値はある。


デイ・アフター・トゥモロー
The Day After Tomorrow