パッション


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ユダの裏切りによって逮捕されたキリスト(ジム・カヴィーゼル)は、鞭打たれ、十字架を背負い、磔の刑へと向かって行く。聖母マリアマヤ・モルゲンステルン)、マグダラのマリアモニカ・ベルッチ)らに見守られながら。


恥ずかしながら原題の「Passion」を「情熱」だと思っていたのだが、実際は「受難」という意味とのこと。熱心な保守右派カトリック教徒でもあるメル・ギブソンが、監督のみならず脚本(ベネディクト・フィツジェラルドと共同)まで手掛けた作品は、かなりの熱と力のこもった出来映えだ。いや、ギブソンだけでなく、スタッフとキャストの熱意が伝わってくる大力作である。


映画はゲツセマネの祈りとユダの裏切りから始まる。キリストは自分が逮捕されることを察知し、恐怖におののき、打ち震える。「人間」キリストらしさを前面に出そうという意図は、最初から打ち出される。この後の展開、つまりキリストへの極刑を求めるユダヤ人大祭司からの告発を受け、ローマ軍総督のピラトが処刑をするか否か迷い、鞭打たれ、処刑が決まり、十字架を背負って道を行き、磔にされるまでの最後の半日が、克明に描かれる。これは今までにない、ユニークな試だろう。


2時間強の上映時間の内、およそ半分が、キリストへの数々の残酷な仕打ちに時間を割いている。引っ掛かる鉤付きの鞭で打たれて血や肉が飛び散り、イバラの冠が頭皮に刺さり、磔の場面では手の平に釘が打たれ、曲げている腕を無理やり伸ばして肩が外れる音がし、とその執拗なまでの描写は強烈で、特撮や音響効果による現実感が凄まじい。その合間に、キリストや2人のマリアを含む周辺人物の回想場面が挿入される。苛烈な刑罰場面だけでも観客にかなりの衝撃を与えるというのに、挿入される情感豊かな場面でさらに観客の感情を揺さぶろうとする。そのタイミングや場面転換は高度な演出やキャメラワーク(キャレブ・デシャネルの陰影に富んだ撮影は見事)、ジョン・デブニーの野蛮でありながら清らかな音楽などに支えられ、メル・ギブソンの演出は正攻法であると同時に、技巧も優れている。


精緻で凄惨な描写も含め、リアリズムで通そうとする姿勢が、この映画を一際独特のものにしている。登場人物の使用する言語は英語ではなく、当時の原語であるアラム語ラテン語であり、要所のみ英語字幕を付けるこだわりよう。まるで史実に近い映像化のような錯覚さえ起こさせる。いや実際、僕が観た回はキリスト教信者が多かった模様で、僕の席の左右それぞれに夫婦が座っていたのだが、どちらも信者だったらしい。鞭打ち場面からすすり泣き状態になっていた。やはり熱心な信者が観ると違うのだろうか。僕個人の宗教的バックグラウンドはと言うと、キリスト系の幼稚園に行き、アニメや本で聖書のエピソードを見聞きし、毎週、幼稚園の上にある教会に通い、礼拝していたくらい。キリスト教の素養に関してはこの程度しかない者にとっても、映画の持つ信仰のパワーには圧倒された。


しかし、挿話や処刑のくだりも含めて、最近の研究による「史実」とはいささか違うという声は無視できない。


例えば十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうくだりでは、一緒に処刑される2人の罪人は横木だけ背負っているのに対し、何故かキリストのみ十字架を背負っている。垂直の木は最初から地面に立てられていて、2人の罪人同様に横木のみ背負わされていた可能性が高いのにも関わらず。磔にされるときも手の平に釘が打たれる。しかし実際に手の平に打たれると自重で裂けて身体がずりさがってしまうので、手首より肘寄りの部分に打たないと駄目とか。脚に釘打つ場面も同様に、史実と違う可能性が高い。また、ピラトはキリスト処刑に及び腰の人間味溢れる人物と描かれているが、残虐無慈悲な暴君だったという記録だとか。


このように史実とはかけ離れている可能性が高いにも関わらず、敢えて馴染みのあるイメージを塗して映像化したところに、メル・ギブソンの本心があるように思えてしまう。つまりこの映画は史実とか真実とかではなく、古くからある宗教画イメージを根っこにした、メル・ギブソン個人の心の中にあるキリストの磔刑を描いたものなのではないだろうか。だから処刑の様が最近の研究とは違い、ヘブライ人であったキリストが白人として描かれているのも当然だろう。キリストの処刑を叫ぶ(但し字幕は付いていない)ユダヤの群集に奇形顔の役者を配したのも、何らかの意図が込められたものと解釈できよう。


いや、史実とは違っていても、込められた真実が描けていれば、という意見もあろう。確かに、キリストの寛大さ、心の深さ、聖母マリアの息子への慈愛に満ちた眼差しなど、心揺さぶられる瞬間も少なくなく、映画としてはかなり立派な出来だとは思う。しかし、要所で目に付く偏った視点が作家としての目を曇らせているにも関わらず、この映画を真実として語る製作姿勢には疑問を持たざるを得ない。果たして「真実」という言葉はかくも軽々しく使って良いものなのか。映画に圧倒はされたものの、観ている間は最後まで違和感を拭えなかった。


パッション
The Passion of the Christ

  • 2004年/アメリカ/カラー/127分/画面比2.35:1
  • 映倫(日本):PG-12指定
  • MPAA(USA):Rated R for sequences of graphic violence.
  • 劇場公開日:2004.5.1.
  • 鑑賞日:2004.5.21./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘3 ドルビーデジタルでの上映。平日金曜13時35分からの回、237席の劇場は40人程度の入り。この時間帯でこの入りは多いほう、と思っていたら、どうやらキリスト教信者らしき人が多かった模様。
  • 公式サイト:http://www.herald.co.jp/official/passion/index.shtml ありきたりにパンフレットとダブっているページはともかく、「パッション 鑑賞前にコレだけは押さえておこう!」が面白い。「名画で綴る最後の12時間」(引用元の本が面白そうなんだよなぁ)など、興味深いコンテンツが色々。配給元が日本ヘラルドなので「一語一映 翻訳舞台裏を読む」もある。特に今回は特殊な映画なので、字幕翻訳者の苦労が色々と書かれていて面白い。