コールド マウンテン


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

南北戦争の最中、南軍に従軍した農夫インマン(ジュード・ロウ)は、たった一度だけ口づけを交わしたエイダ(ニコール・キッドマン)に会う為に軍を脱走し、故郷のコールド・マウンテンを目指す。一方のエイダは過酷な環境の中、ルビー(レネー・ゼルウィガー)と共に家を守り、インマンを待ち続ける。


If you are fighting, stop fighting.


虐殺を扇情的に煽る異様な空気が蔓延しつつある現実世界で、このような台詞を登場人物に言わせる勇気を持った製作者たちに、まずは敬意を表したいと思う。これは明確に反戦メッセージが込められた映画なのだ。


映画は序盤に壮大なピーターズバーグの戦闘場面を用意していて、強力な出だしとなっている。北軍は南軍基地の地下に大量の爆薬を仕掛け、大爆発を起こさせる。さらに追い討ちを掛けるべく攻め入った北軍は、そこに出来た巨大なクレーターに自らはまってしまい、数千人が寿司づめで身動きが取れなくなってしまう。ぎゅうぎゅうに押し込まれた北軍に、生き残った南軍が反撃する。銃剣を投げ込み、鉄砲や大砲を容赦無く撃ち込み、自ら素手で殴り込みに行き、ぬかるんだ泥沼と化した穴で地獄絵図が展開される。最近の(そう、『プライベート・ライアン』(1998)以降と言われる)戦争映画に比べると、特殊メイクを使ったグラフィック残酷描写こそ無いけれど、戦争の無慈悲さが伝わって来る場面だ。時間にしてもそう長くないのに、主人公が自ら戦争との関りを捨て、恋人の元に帰ろうとするのも無理からぬことと納得させられる出来映え。そして脱走兵は、捕まえられると再度前線に送られるか、その場で処刑されるかのどちらかしかないのである。


この映画で描かれる軍、兵士、そして後方支援を行う筈の義勇軍らは、全て人間性を捨てた冷酷非情な悪として描かれている。主人公を追う味方である筈の南軍。病気の赤子を守ろうとする母親からも略奪しようとする北軍。顔なじみであろうと、母親の前で若い脱走兵を平然と殺す義勇軍。彼らは人間性を失った殺人者に他ならない。主人公も含めて脱走兵のみに人間性が与えられているのと対照的だ。これは極端ながらも反戦思想に裏打ちされた人物設定として観てよいだろう。


しかし主人公のインマンも、単に善性に溢れた若者ではない。敵兵を殺した血塗られた手を持つ、自らの喪失と変化を意識している男なのだ。恋人と数年振りに会えたとしても、余りに変わってしまった自分を、彼女が受け止めてくれるのだろうか、自分と分かってくれるのだろうか、と恐れる男なのである。演ずるジュード・ロウは相変わらず美しいものの、苦悩を押さえ込み、抑制した演技がかえって感動的だ。今まではやや線が細く、大作の主役というよりも脇できらり光る役者との印象だったが、今回はニコール・キッドマンと共に2人で主役だからか、荷が重いという印象は受けなかった。


インマンが行くところ、国土を覆い尽くす戦乱の暗い雲の下から逃れられないのだが、彼が道中会う連中がやたら豪華で、フィリップ・シーモア・ホフマンの胡散臭い牧師に始まり、ジェナ・マローンジョヴァンニ・リビシナタリー・ポートマンと、有名どころの役者たちが出番は少なくともぞろぞろ出てくるのも見所。そういった、『オデュッセイア』を彷彿とさせるロード・ムーヴィー的な興味も尽きないが(実際、『オデュッセイア』同様に、誘惑する女たちも出てくる)、南北戦争なのに全編ルーマニアで作られた映画は、その原始の光景を陰影に富んだ映像として捉えたジョン・シールの撮影も絶品なのである。


一方、故郷でインマンを待ち続けるエイダは、牧師である父を亡くし、自活する術を持ち合わせていないために、生きていくのもやっと。裁縫やピアノ演奏は出来ても、畑を耕し、屋根を修理し、鶏をさばくことすら出来ないのだ。見かねた隣人は流れ者女ルビー(レネー・ゼルウィガー)を送り込み、ルビーはエイダに生き抜く術を教えることになる。


前半における世間知らずな箱入り娘を演ずるニコール・キッドマンは、さすがに年齢的に無理が出てきている。それでも逞しくなっていく後半は彼女の演技力が存分に発揮されて、実年齢も気にならなくなってきているように思えた。その野良仕事をしてもなお美しいニコール・キッドマンに対し、いかにも野暮ったい娘として登場するレネー・ゼルウィガーは映画にユーモアを与えていて、一服の清涼剤として機能している。父親(ブレンダン・グリーソン好演)との関係などドラマ的な見せ場もあり、儲け役と言えよう。


アンソニー・ミンゲラの脚本と演出は正々堂々と格調高く、また『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)同様に過去と現在を交錯させ、インマンとエイダをカットバックで描くなど、凝ったスタイルで物語を綴る。しかし、戦争のカギ爪から逃れようとしても、故郷すら殺伐とした過酷な世界となってしまう悲劇が強烈な為に、メイン・プロットである美男美女のドラマティックなラヴ・ストーリーとしての印象が薄まってしまったのは、製作者側の誤算かも知れない。映画の前半は2人の互いへの想いが強調されているのに、中盤でそれが薄まってしまうからだろうか。とは言えくどいのも逆効果だし、そこいら辺のさじ加減が難しいのだとは分かっているのだけれど。


ミンゲラ作品の常連ガブリエル・ヤーレの音楽は相変わらず美しい。しかしそれ以上に感心したのが数々の歌曲。当時の歌も多く使われているらしいが、エルヴィス・コステロやスティングが提供したアリソン・クラウスによる歌も負けずに宜しい。これら歌曲が映画全体にぬくもりを持って寄り添っていて、聴き所となっている。サントラCD売上の為の商魂丸出しな挿入歌は遠慮したいが、こういうのは大歓迎だ。


コールドマウンテン
Cold Mountain