マスター・アンド・コマンダー


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

19世紀初頭、英国軍はナポレオン率いる仏軍に対し海上でも苦戦していた。軍艦サプライズ号の伝説的艦長ジャック・オーブリー(ラッセル・クロウ)は、親友でもある優秀な軍医スティーヴン・マチュリン(ポール・ベタニー)との絆を深めながらも、性能も軍備もサプライズ号を上回る仏軍のアケロン号との追撃戦に執念を燃やす。


史実とかけ離れた「兵力不足の英国海軍が子供を徴兵したことによる悲劇」などという日本での広告・宣伝内容が、そもそも本編とかけ離れていると、原作ファンによるJAROへの提訴となった作品は、緻密な時代考証に支えられているにも関わらず敢えてそれらをくどくど説明していない。それゆえ、虚偽広告内容を物語の前提知識として観た観客に、内容に関する根本からの誤解を与えているとしたら、それこそ悲劇としか言いようがない。


いや実際、『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)、『トゥルーマン・ショー』(1998)などの優れた監督ピーター・ウィアーの演出は、「まずはディテールありき」とばかり、当時の帆船内での生活や海軍の実際の再現にこだわっている。当時の帆船はどのような仕組みで動いていたのか、船員たちは航海中にどのような物を食べていたのか、どのような階級出身者がどのような役割を担っていたのか。それらは画や、さり気無い台詞で分かることではあるが、物語の重要な背景としても機能している。だから、複雑極まりない構造で専門知識も必要だった帆船の操縦を学ぶために、名門貴族階級出身者は幼少の時分から乗り込んで英才教育を受けていたことも、相手が子供でも士官候補生相手には必ず「Mr.」を付けて名前を呼ぶことも、下層階級出身者はやはり肉体労働系の担当となることも、当然のこととして示されるのだ。


さらには画だけではなく全体的な音響設計も非常に細かいところまで神経が行き届き、こういった映像面・音響面での配慮はリアリズムの点で充分効果を上げている。


こういった緻密な世界観は、まずは観客を日常とかけ離れた世界へと連れて行く常套手段ではある。その意味では大成功だろう。リアリズムにこだわった映画には、少年たちが軍艦で実戦に参加することの是非という、近代的通念の入る余地はない。ことの良し悪しではなく、当時の時代を顕微鏡で覗くかのようなことができるのも、この作品の魅力の1つでもあるのだ。こういったアプローチは、アーミッシュの世界や、テレビ中継の為に創造された世界を描いたピーター・ウィアーらしいもの、と言えそうだ。


しかしウィアーの視点は19世紀にばかり向けられている訳ではない。登場人物に対してもしっかりと興味を持っている。部下に対して平等に接する経験豊かな艦長や、戦争に対して皮肉な視線を投げかける医師ら主役を筆頭に、決断力が無い故に万年士官候補生止まりの青年や、いきなり過酷な運命に遭う少年など、脇役に対しても印象的な扱いをしている。


ドラマの核となるラッセル・クロウポール・ベタニーの『ビューティフル・マインド』(2001)コンビは、あちらと違っていかにも長年親しかった者同士の雰囲気が出ており、非常に宜しい感じだ。題材から想像されそうな悪い意味での文芸臭さなど微塵も感じさせない。所々で人間の悪しき面を描きながらも、基本的にはポジティヴな視線を忘れていないのだ。その視線は、博物学者として好奇の目を持つ医師マチュリンの扱い方に集約されている。それでもドラマとしては無用に厚ぼったくは無く、娯楽映画としての範疇に収まるようになっているのだ。


映画はかつての海洋冒険ものの良さを散りばめ、戦闘場面こそ少ないものの、戦記ものとしての面白さも兼ね備えている。序盤の戦闘場面や嵐の場面など、映像と音響は共に第1級で迫力満点だ。ILMによる特撮も現物とCGIの区別がまるで付かず、臨場感に溢れた見事な出来映え。また、中盤におけるアケロン号との狐と狸の化かし合いのような頭脳戦も面白い。


パトリック・オブライエンによる原作シリーズは未読ゆえ、映画との比較は出来ない。それでもウィアーとジョン・コリーの脚色は必ずしも全てが上手いってはいないように思える。アケロン号との戦いがメイン・プロットの筈なのに、アケロン号が姿を消した中盤以降は停滞気味で中だるみる。もう少し刈り込むことも出来たのではないか。ドラマ重視で娯楽軽視の映画ではなく、しかし娯楽活劇としては不必要に野暮ったい展開になってしまう。余りこういったジャンル分けは好きではないが、娯楽映画ともドラマ映画とも付かない、バランスを崩す一歩手前でどっちつかずな作品になりそうな危うさが、この作品にはあるのだ。


そんな訳でまとまりの点ではかなり疑問もあるものの、それでもこの作品には独特の魅力がある。例えば、主役2人でヴァイオリンとチェロを演奏する場面のゆったりとした雰囲気はどうだろう。ガラパゴス諸島でのエピソードにおける、博物学者マチュリンの好奇と歓喜に満ち、観客にほっと一息付かせる美しい場面はどうだろう。これらのくだりにある豊穣さ、つまり友情や自然への憧憬といった心情の描写が、ややいびつならがも心惹かれる映画として印象深いものとしているのだ。それが味わい、というものなのではないか。


ガラパゴス諸島で無事息を吹き返した映画は、クライマクスのアケロン号との大戦闘場面へと雪崩れ込む。牧歌的描写も吹き飛ぶ緊張と迫力。夢のような場面から一転して、厳しく過酷な展開を迎える。しかしクライマクスも終わった最後の最後のオチでさらりと締めるのを見るにつけ、ウィアーのセンスの良さが感じられ、品の良い映画として好印象を残すのだ。


マスター・アンド・コマンダー
Master and Commander: The Far Side of the World

  • 2003年/アメリカ/カラー/138分/画面比2.35:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated PG-13 for intense battle sequences, related images, and brief language.
  • 劇場公開日:2004.2.28.
  • 鑑賞日:2004.2.28./ワーナーマイカルつきみ野6/ドルビーデジタル 公開初日の土曜レイトショー、21時25分からの回、199席の劇場は6割の入り。
  • 公式サイト:http://www.movies.co.jp/masterandcommander/ 映画紹介、壁紙、ピーター・ウィアー来日記者会見など。大作の割に寂しい内容。ストーリー紹介では、まだ「多くの兵士の尊い命が犠牲となり、イギリス軍はその兵力を補うために、幼い少年達までも戦場に送らざるをえなかった。」とあり、単なる脇役の少年士官候補生役マックス・パーキスをフィーチャーしたまま。JARO提訴も効いていないようだ。