25時


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

主人公は24時間後に収監を控えた元麻薬ディーラーの男。刑務所で荒くれ男どもに犯される恐怖に怯えながら、親友たち、父親、恋人たちとの別れが近付く。最後の自由を過ごす中、お前を警察に売ったのは恋人だ、という噂が聞こえてくるが。


スパイク・リーの新作は、彼がもはや単に怒れる黒人代表監督ではなくなり、マーティン・スコセッシと並ぶニューヨーク派の実力監督だ、そう言わしめるに相応しい出来映えである。


映画は明確なストーリーがある訳ではなく、主人公の最後の1日を綴っていく。その言動と回想場面を織り交ぜ、心象風景を浮き立たせる作りだ。麻薬ディーラーの主人公は、その職業からして収監されて当然の人間である。しかし演ずるエドワード・ノートンの等身大でいながら力強い演技と、主人公の強く深い悲しみに彩られた後悔の念によって、大いに同情に値する人物として胸に迫ってきた。その一方で、この設定は彼に感情移入できなければ、作品に入り込めない可能性をも示している。


主人公は頭が切れ、要領も良いのに、将来を棒に振り、道を踏み外してしまった。7年もの刑期を当然の報いと思いつつも、彼を止められなかったと実感している周りの人間たちまで描いているのも、この映画の特長だである。バリー・ペッパーフィリップ・シーモア・ホフマン演ずる幼馴染や、ブライアン・コックス演ずる父親らは、全員の素晴らしい演技もさることながら、脇役の範疇を外れない程度の描き込み具合も抜群。主人公のみならず、周りの人物たちの心境にまで踏み込んだ作風は、優れた人間ドラマとして見応えがあり、1人の男がもたらす波紋を描いた群像劇としても見ることができる。


このように原作者デヴィッド・ベニオフ自身による脚本も良く出来ているが、原作には無いという”9.11”を取り込んだリーの慧眼が、この映画を悲しみに染められたマンハッタン物語として仕立て上げ、ひいては同時代性のある喪失感にまで昇華させているのが素晴らしい。実際、テレンス・ブランチャードによる荘厳な弦に彩られた音楽が流れる冒頭のメイン・タイトルや、工事車両が作業を進めるグラウンド・ゼロの現場映像の挿入は、極めて印象的だ。そこにあったはずのもの、あり得たはずのものが無い喪失感は、映画のクライマクスを飾る美しくも悲痛な父と息子の心理へと連なり、観る者に感動を呼び起こさせる。


このように映画は重いテーマを扱っているが、全体としては必ずしも重苦しいタッチではない。「次はどうなるのだろう」と、観客の興味を繋ぎとめるだけの要素がきちんとばらまかれている。それが、「誰が主人公を売ったのか」であり、「フィリップ・シーモア・ホフマン演ずるマジメ高校教師と、彼を誘惑するアナ・パクィン演ずる女生徒の関係の行方は」などである。しかもそのようなサブ・プロットだけでなく、力強い演出でも観客の興味を引っ張るのだ。リズム感とグルーヴに溢れた編集と、意匠を凝らしたキャメラワークや画面の質感、鏡の中の自分に罵倒されるなどというトリッキーな場面を観るにつけ、スパイク・リーが優れたミュージッククリップの監督でもあることを思い出させる。ここには貫禄とノリの良さが同居している。黒人が殆ど出てこない映画であっても、強靭な意見表明をするリーという監督の、強烈な個性が浮かび上がってくるのだ。


9.11以降の映画としても、個性的な監督の映画としても、記憶に留めたい作品である。


「25時」
25th Hour

  • 2002年/アメリカ/カラー/136分/画面比2.35:1
  • 映倫(日本):(指定無し)
  • MPAA(USA):Rated R for strong language and some violence.
  • 劇場公開日:2004.1.24.
  • 鑑賞日:2004.1.30./恵比寿ガーデンシネマ1/ドルビーデジタルでの上映。金曜13時20分からの回、232席の劇場は6割りの入り。
  • 公式サイト:http://www.25thhour.jp/ 映画紹介、予告編、壁紙、マンハッタンを舞台にしたゲームなど。ゲームはちゃんと主人公のワン公が出てくるのが嬉しい。