めぐりあう時間たち


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1923年、ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』を執筆しながら姉一家来訪のパーティを家政婦たちに用意させる。1949年、平凡な主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)は『ダロウェイ夫人』を読みながら夫の誕生パーティを用意する。2001年、ダロウェイ夫人とあだ名される編集者クラリッサ(メリル・ストリープ)は、エイズで死にゆく友人である作家(エド・ハリス)の受賞パーティを準備する。


マイクル・カニングハムのベストセラー小説を映画化した作品は3つの時代を行きながら、3人の女性の1日を描いている。


冒頭で3つの時代に生きる3人の女性を手際良く紹介し、タイトルバックで彼女たちの1日の始まりを1ショットずつ交互に点描していく編集からしてテンポも快調、これはいい映画になるぞと思わせる。各人の朝の目覚めと、花を用意する映像からしてミニマルな映画であることは明白。そこに音楽を当てはめるとしたらミニマル音楽の大家フィリップ・グラスだろう、というのは安易な発想かも知れない。しかし繰り返し繰り返されるグラスらしい小刻みな弦とピアノの旋律がリズミカルな映像に合わせられたとき、そこにはエモーショナルな相乗効果がもたらされているのだ。


映画は「人は何故生きるのか」という人生そのものに対する疑問をテーマとし、その根底にある死をも描いている。各挿話で語られる物語は直接的あるいは間接的に死を扱っているが、主人公達の生と死に対するリアクション(つまりは人生の選択)が多様な為に、しつこく感じられない。言わずもがな、そのリアクションを表現する3人の女優たちの演技が、映画の見ものとなる。


一番目を引くのはウルフ役ニコール・キッドマンだろう。付け鼻メイクに濃い茶色の髪でまるで別人の外見もさることながら、がに股歩きにかすれた低い声によって、分かっていてもキッドマン本人に見えない化けっぷり。しかもこのところすっかり演技に目覚めた彼女らしく、作り込んだ外見と殆ど無表情で押し通す演技の水面下で、神経を病んでいる作家の孤独な生への渇望を浮き彫りにしている。キッドマンの静かなパワーが、映画の陰の主役としての存在感を印象付ける。


メリル・ストリープは相変わらず上手い。この人すっかりご無沙汰だったが、いつ観ても上手い。上手いのだけれど、いつものメリル・ストリープには違いない。共演のエド・ハリスは大熱演のときのエド・ハリスで、カミソリのように鋭い言葉を投げ掛けるシニカルな男を思いっきり重苦しく表現している。しかし彼の台詞に映画のテーマがそのまま表現されているので、映画を読み解くテクストとしての価値はある。
ハリスのかつての恋人役ジェフ・ダニエルズやストリープの娘役クレア・デインズなど、この2001年のパートは役者も豪華だ。


この映画の主役は実はジュリアン・ムーアだ。妊娠した彼女の死への想いは何が原因だったのか、劇中では明確に描かれる訳ではない。しかし戦争帰りの純朴で優しい夫(ミスター・セロファンジョン・C・ライリー)と幼い息子がいる平凡な幸せを送っている筈の彼女は、1人泣くしかない程に追い詰められているのだ。それが理想の妻を演じることに疲れた為なのか、妊娠期の不安定さ故なのか。その説明がされていないので、彼女の行動を単なる身勝手と決め付けると作品本来の姿さえ見失ってしまう危険さえある。ジュリアン・ムーアの精神不安定な役どころと聞くと、またかと思う方もいるかも知れない。しかしこの非常に難しい役どころを、ムーアは観客に印象付けることに成功している。やや熱演が鼻に付くときもあるが、観客が感情移入するかどうかというレヴェルを越えた説得力のある演技を見せてくれる。


映画は各人の生き様を1日に凝縮して、各々の精神の解放を描く。レズビアニズムや生と死への渇望など様々な要素や人生模様を、無駄の無い的確な演出は浮かび上がらせている。佳作『リトル・ダンサー』の監督スティーヴン・ダルドリーの演出はあざとくなく、これが監督第2作目と思えぬ手馴れたもの。映像的にも優れている箇所もあり、例えば死を考えた妊婦が横たわったベッドごと水に覆われていくショットは、羊水に包まれた胎児を思い起こさせ、尚且つその場面に生と死をシンクロさせたものに仕立てている。映像作家としても冴えているのだ。また前作に引き続き個人の解放を立て続けに扱っているとはいえ、触れると壊れそうになる繊細な感情もしっかり描き、しかも品がある。全く端正な手法はまるで美しいモザイク模様のよう。しかしその端正さがあだとなって、こちらの心の奥底まで痛烈に響くまでは到らなかった。特に主人公達が皆泣くのは、いくらミニマルでもかえって効果を半減させているのではないだろうか。涙は抑制して使う方が効くのである。


映画はやがて各人の人生を結び付け始める。この終盤は凡庸なスリラーよりもスリリング。そして苦味を伴う解放の顛末と、そこに仄かに現れる一筋の光明を見出すにあたって、観客は自分の人生にも思いを馳せることだろう。


めぐりあう時間たち
The Hours

  • 2002年 / アメリカ / カラー / 113分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):指定無し
  • MPAA(USA):Rated PG-13 for mature thematic elements, some disturbing images and brief language.
  • 劇場公開日:2003.5.17.
  • 鑑賞日時:2003.5.17.
  • 劇場:ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘2 ドルビーデジタルでの上映。公開初日の土曜レイトショー、280席の劇場は8割の入り。この映画は劇場に関係無く、2度目の鑑賞は1度目の半券を持っていくと1,000円で観られる特典があるので、有効活用すると宜しい。
  • パンフレットは700円。ヴァージニア・ウルフに関する解説や劇中の時代年表、詳細なプロダクション・ノートやセンスのある表紙デザインなど、配給会社アスミックらしい丁寧な作り。
  • 公式サイト:http://www.jikantachi.com/ グラスの音楽が流れるサイト。スタッフ&キャスト、ヴァージニア・ウルフ紹介、予告編、壁紙、衣装及びプロダクション・デザイン用スケッチなど。登場人物の人気投票が面白く、5月26日現在ではローラが一番だった。