戦場のピアニスト


★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


ナチス占領下のワルシャワを奇跡的に生き延びたユダヤ人ピアニストの映画は、奇をてらったことも無く、1つ1つの場面を虚飾無しに演出されている。それが声高でないが故、観る者の心に訴えるのだ。最後に主人公に向けられる喝采は、戦争では生き残ることが勝利である、というメッセージが込められている。


ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン自身の手による原作は読んでいないので分からないが、映画は誰に肩入れするでもなく、冷静で客観的な視点で物語を進めていく。彼が取った行動は、ナチと戦うでもなく、ただ逃がれ、隠れ、食べ物をもらい、生き長らえるのみ。前半は普通に台詞のあった映画も、後半のひとり隠れ家を転々とする辺りから極端に台詞が無くなり、淡々と映像で語るようになる。それは映画そのものだけではなく、主人公自身が歴史の1ページを客観的に観ている姿と重なる。


ピアニストを演じるエイドリアン・ブロディはその落ち着いた物腰と静謐な眼差しで、映画の語り部たる生き証人としての説得力を持っている。目鼻立ちが大きい顔の作りも役柄にあっていて、これはキャスティングの妙。特に窓からワルシャワ蜂起を見つめる場面などが印象に残るのは、その眼差しのためだ。殆ど演技をしていないのではないかと思わせる表情と動作で、主人公の奥に秘めた心情を繊細に表現している。どこが演技の見所というのではなく、その静かな存在が映画の求心力ともなっていて、ただ全体的に素晴らしい。


主人公はかの地の強制収容所の実態や、家族がどうなっているのか、世界情勢がどうなっているのかなどの、自分の身の回り以外の状況を把握していない。彼にできるのは想像し、祈ることだけだったことだろう。その想像力を働かせなくてはならないのは主人公だけではない。ユダヤ人社会の内情などといった興味深い史実を誇張無しに描く映像を観ながら、主人公が何を感じているのか、何を思っているのか、映画全体が観客の想像に委ねられている。死と隣り合わせの恐怖に満ちた日常描写こそあれ、劇的な場面も殆ど無く、何ら押し付けがましいところはないのだから。


映画は感傷を切り捨てる一方で、人物の奥に秘めた情熱を描くことは忘れていない。隔離された部屋で主人公が想像上のピアノ演奏をする場面や、廃墟の中、ドイツ軍将校の前でショパンを演奏をする場面が白眉だ。どちらも静かな場面ゆえ、根底に流れている感情が痛いほど伝わって来る。特に後者では静かな熱狂とでも呼ぶべき情熱を、ピアノを愛する2人の魂の開放を、調律の狂ったピアノの調べに乗せていて圧倒される。


こういった監督ロマン・ポランスキーの姿勢は注目すべきものだ。彼はよく知られているように、子供時代にポーランドでの反ユダヤ政策を体験し、母親を収容所で亡くしている。その彼がヒステリックに反ナチ映画を撮ったのではなく、戦争には単純な正義や悪など無い混沌としたものだと、成熟を越えた境地で静かに綴っている。主人公を助けるのは非ユダヤ人のポーランド人だけではなく、ユダヤ人を痛めつけるユダヤ人や、ドイツ人将校といった人物なのだ。シンプルな描写の積み重ねでも内容は含蓄に富み、しかもポランスキーは題材を観客の前に提示するのみで、誰かを断罪する訳でもない。それがラストに至って主人公だけが生き残ったという冷厳な事実と感動を、観客の奥深い感情で実感させるのだ。


戦場のピアニスト
The Pianist

  • 2002年 / イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ポーランド / カラー / 148分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):指定無し
  • MPAA(USA):Rated R for violence and brief strong language.
  • 劇場公開日:2003.2.15.
  • 鑑賞日時:2003.2.16.
  • 劇場:ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘1 DTSでの上映。公開2日目の日曜初回である11時20分からの回、453席の劇場はチケット完売。
  • パンフレットは700円。シュピルマンの実の息子で、日本の大学で教鞭に立つクリストファー・スピルマン(英語読みのようだ)による序文、エイドリアン・ブロディへのインタヴュー、第二次大戦のポーランドの歴史・シュピルマン・ドイツ将校ホーゼンフェルトについて、音楽評論家黒田恭一による楽曲解説、ポランスキーへのインタヴューなど、読み応えはかなりある。写真もふんだんに1ページいっぱいに使い、読んでも眺めても宜しい。値段分の元は取れる。
  • 公式サイト:http://www.pianist-movie.jp/pianist/ 内容は殆どパンフレットと同じ。英語音声・字幕無しだが、カンヌ映画祭でのポランスキーやブロディらの記者会見映像など。