ブラックホーク・ダウン


★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

1993年、アフリカにあるソマリアは内乱状態にあった。独裁者アイディード将軍は国連の救援物資を略奪したり、飢饉を利用して横暴の限りを尽くしていた。その独裁者の側近2名を逮捕すべく、米軍はレンジャー部隊とデルタ・フォース部隊から成る100名の混成チームを、モガディシュ市街地のビルに送り込む。わずか30分から1時間で終了する簡単な作戦だった筈が、軍用ヘリ・ブラックホークが撃墜されたことから事態は一変。部隊は怒りに燃える何千もの一般市民と独裁政権民兵に囲まれ、15時間に及ぶ死闘を繰り広げることになる。


結果的に米軍側19名、ソマリア側は1,000名もの犠牲者が出た実話を、『グラディエーター』(2000)『ハンニバル(2001)』のイギリス人監督リドリー・スコットが演出。しかし製作ジェリー・ブラッカイマー、主演ジョシュ・ハートネット、歴戦のベテラン役がトム・サイズモア、音楽ハンス・ジマーと言えば、悪い冗談としか思えない『パール・ハーバー』(2001)を嫌でも思い出す。しかしそこは豪腕スコット、異色の戦争映画として力作に仕上げている。


つい最近、ブッシュ大統領がテロ国家として名指しした国の中にこのソマリアも含まれていた、などとタイムリーな作品のため、アメリカでは大ヒットした作品でもある。


この映画、何が今までの戦争映画と違うかと言うと、いわゆる”物語”というものを放棄しているのが最大の特長だ。映画が始まって約30分はジョシュ・ハートネットユアン・マクレガー演ずる人物の簡単な紹介があり、観客に彼らの活躍を期待させる。ヘリコプター部隊出撃シーンの映像美たるや高揚感満点、コッポラの『地獄の黙示録』(1979)もかくやの素晴らしい出来栄えだ。しかし耐え難い程の緊張を伴って作戦が始まり、1つの事故から歯車が狂い始めると、映画は終幕まで銃声と爆発音、怒号と血糊で埋め尽くされる。男たちの顔は血と砂埃と黒煙にまみれて見分けが付かなくなり、序盤の人物紹介も左程意味を成さなくなるのだ。


これはスコットの狙いだろう。どんな人間でも、戦争という殺し合いの場に放り込まれたら個性の意味は薄められ、またそれまでの人生は簡単に破壊されるものだ、と。さらには、重装備の米軍が犠牲者を増やしていく展開を見るにつけ、巨大で堅牢なシステムの崩壊する様を目にするようだった。米軍基地からわずか3マイルの場所で作戦を実行したにも関わらず、救援作戦が手間取ったことにも衝撃を受ける。次々に人を注ぎ込んでも打つ手打つ手が裏目に出て、血だるま式に犠牲が増えていくのだ。


実際、映画の中での映像と音響の設計は完璧と言って良く、一たび戦闘が始まると劇場内は戦場へと変貌する。米軍兵士たちにも観客にも、一般市民と軍服を着ていない民兵との見分けが付かなくなるのだ。只々己の身を守る為に、武器を持って襲い来るアフリカ人たちを殺し、恐怖と緊張の中で生き延びようとする米兵たちの様子が、徹底して描かれている。市内の米軍兵士たちは戦況が分からない、自分たちと散らばった味方との位置関係も分からない、そんな混乱の中に取り残された。リドリー・スコットの演出はその渦中に観客を引きずり込むだけでなく、戦況を観客に理解させるという矛盾をクリアする離れ業を成し遂げていて、これは凄い力量だ。その演出を支えた撮影監督スラヴォミル・イジャック、編集者ピエトロ・スカリア率いるスタッフも非常に優秀だ。


但しこの映画に対する批判として、ソマリア側が人間として描かれていない、ソマリア人たちは殺しても殺しても襲い来るゾンビのようになっている、という批判を無視する訳にはいかない。マーク・ボウデンの原作ノンフィクションでは、米軍側の情報量が圧倒的に多くとも、ソマリア側の怒りも描かれていて、作者の視点は客観的だった。しかし映画ではソマリア側の描写はばっさり削除されており、米軍側偏重である。また、米軍側の「生死を問わず1人も残して撤退するな」という幾度となく交わされる熱い台詞は、兵士たちへの尊敬の念に満ちているし、ラストに挙げられる死んだ米兵たちの実名に対し、ソマリア人死者たちは数字でしかない。皮肉なことにこの落差が戦争や他国への軍事介入の意味、米国の独善性をも印象付けていて、作品を強烈なものとしている。『トップガン』(1986)『クリムゾン・タイド』(1995)『ザ・ロック』(1996)等の軍隊ものを好んで映画化しているジェリー・ブラッカイマーの趣味が出ているのだ。それでも単純な右翼主義に傾倒しなかったのは、戦争をリアリズムで描くというリドリー・スコットの強靭な意志によるものだろう。但しこういった見方は、当事者であるアメリカ人たち以外の視点かも知れない。


そんな中で時折挿入される、米兵が見たソマリア側の描写も印象的だ。例えば米兵に射殺された民兵の父親に抱きつく幼い息子の様子や、死んだ子供を抱きかかえる父親の映像、あるいは泣き叫びながら落ちているライフルに飛びつき、その途端に米兵に射殺される女性の映像など、ソマリア市民の死が目に焼き付く。声高でなく、戦闘の流れの中としてさらりと描かれているだけに、より印象的なのだ。残された者は恐らく憎しみを持ってアメリカに眼を向けるだろう。暴力が憎しみを呼び、その憎しみが暴力を呼ぶ。しかしそういった意味を、アメリカ人観客たちがすくい取ったかどうか。それは甚だ疑問だ。


出来が良いだけに、見方によっては危険な映画とも言える。それでも、現代の戦争について観客1人1人が考察する機会を持てるという意味で、これは必見の映画だ。


ブラックホーク・ダウン
Black Hawk Down