フロム・ヘル


★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


「地獄より ラスクさんへ
拝啓、ある女から切り取った腎臓の半片を送る。
あんたのために取っておいたものだ。」

(自警委員長ジョージ・ラスク宛に送られた、腎臓入りの箱にしたためられた手紙より)


1888年、8月31日から11月9日までの間に5人の娼婦を惨殺し、ロンドンを恐怖のどん底に突き落とした切り裂きジャック事件。『フロム・ヘル』は、迷宮入りとなったこの事件を扱った、今の所決定版と呼べる作品だ。


アヘン中毒で、事件を透視する能力を持つアバーライン警部(ジョニー・デップ)は、王室の医師ガル卿(イアン・ホルム)の協力を仰ぎながら事件の真相に迫っていく。殺害された娼婦達の仲間であるメアリ・ケリー(ヘザー・グレアム)とアバーラインのプラトニックな恋も描かれるが、これは蛇足というもの。貧民窟に近い下町の売春婦と、中流階級である警官が恋愛関係になるなど現実離れしている気がするし、演出の興味がここに無いのは明白。但しこれがラストに明るさをもたらしているのも事実ではあるが、この作品には陰鬱さがお似合いなので、やはり蛇足と言わざるを得ない。


実はミステリとしても犯人探しに左程重点が置かれていないこの作品、では何がこの作品のテーマなのだろうか。


それは当時のロンドンを重苦しく覆っていた空気感の再現ではないだろうか。騒ぎ立てるマスコミ、豪奢な上流階級、不潔で貧しい下町など、セットも含めて現実味を持たせるべく努力の跡が見えるし、王室、秘密結社フリーメイソンロボトミー手術、と禍々しい道具立てにも事欠かない。”エレファント・マン”ことジョン・メリックのエピソードを挿入することにより、際どいものへの興味本位の市民たちの姿も端的に描写し、事件は世紀末を震撼させた惨殺ショーでもあったと指し示している。


監督は20歳のときに『ポケットいっぱいの涙』(1993)を発表して話題になった、アルバートとアレンのヒューズ兄弟。この双子の監督作品は残念ながら見逃しているのだが、黒人映画の旗手と言われた監督が切り裂きジャックを映画化、と聞いたときには何となく違和感を感じた。ところがこの映画の1ショットすら疎かにしない映像の凝り様を見るにつけ、作品への熱意が感じられた。


映画はアバーライン警部像や恋愛など、現実離れした脚色が施されていて、それがこの映画の脚を引っ張っている感があるのは否めない。原作はアラン・ムーア作、エディ・キャンベル画の同名グラフィック・ノヴェル(未訳)。徹底したリサーチがなされていると評判の原作とはかなり違う映画化のようだが、ヒューズ兄弟の事件そのものや”真相”に対するアプローチは執念と呼べるもの。ここで描かれる闇に葬られた事件の真相自体は目新しくないものの、再現に対するこだわりが見ものとなっている。そのこだわりが、惨たらしく切り刻まれ、臓器を切除され、解体された死体を延々クロースアップにする愚に向かわなかったのは、節度というものだ。


ジョニー・デップの醸し出す倦怠感と対照的に、ハグリッドことロビー・コルトレーン演ずる部下の頼り甲斐が作品に明るさを与え、これは良いコンビ。ヘザー・グレアムはあのラストから逆算すると必要なスターだったのだろう。そう考えるとこれはきちんと考えられたキャスティングだ。


一見すると単なるホラー映画だが、細部に宿った偏執的な描写が見ものの映画である。


フロム・ヘル
From Hell

  • 2001年 / アメリカ / カラー / 124分 / 画面比:2.35:1
  • 映倫(日本):R-15
  • MPAA(USA):Rated R for strong violence/gore, sexuality, language and drug content.
  • 劇場公開日:2002.1.19.
  • 鑑賞日:2002.2.1./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘9/DTS
  • 公開2週目の金曜レイトショー、245席の劇場は5割弱の入り。神奈川県はこの日は映画の日だったのに、少々寂しいかも。
  • パンフレットは500円、期待通りに”切り裂きジャック”事件史実、同事件を扱った映画史、原作のグラフィック・ノヴェルについてなど、解説書として充実しています。20世紀フォックスには、まだまだ500円で頑張ってもらいたいもの。
  • 公式サイト:http://www.foxjapan.com/movies/fromhell/ 「切り裂き伝説」と「作品紹介」に分かれたサイト。前者は事件についての記録や参考文献などで、パンフレットと内容の重複が少ないのが宜しい。後者はパンフレットとの重複が多いです。参考資料にある仁賀克雄著「ロンドンの恐怖/切り裂きジャックとその時代」(早川文庫)は、当時の時代に迫る傑作ノンフィクションとしてお勧めです。