ファイナルファンタジー


★film rating: C+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

21世紀、謎の隕石が地球に落下し、中から”ファントム”と呼ばれる大小様々な生物が出現、生命を吸い取り始めた。それらの為に人類は存亡の危機に陥る。ファントムの行為を侵略とみなし、軍事行動による強攻策を唱える将軍(声:ジェームズ・ウッズ)の方針に疑問を抱くのが、シド博士(声:ドナルド・サザーランド)と科学者のアキ(声:ミン=ナ・ウェン)。強攻策は結果的に地球そのものに壊滅的な打撃を与えるのではないか、他に方法があるのではないだろうかと、シドとアキは方策を探るのだが・・・。


北米ではコロンビア映画配給のこの映画、その自由の女神のロゴ・マークが出る前に、上記のような前振りが日本語字幕で出たとき、非常に嫌な予感がした。恐らくは日本版独自の解説文と思われるが、本編が始まる前に説明があるということは、観る側に何ら前提知識が無いと理解し難い映画なのではないか。それは映画として手抜きなのではないか、と危惧した訳。それが予想通りになっていた。


フルCGIによるシリアスなSFファンタシーを目指した野心作。端的に言って、この映画は詰まらない出来だ。大人向けのSFファンタジーを期待していただけに、落胆も大きかった。何よりもこの作品には映画としての楽しさに欠けている。


まず鳴り物入りの映像はどうだろうか。


確かに現在の最先端技術を投入したCGI映像は見ものだ。破壊されたマンハッタンの街並みや廃墟を飛ぶ宇宙船、特異な造形が眼を見張るファントムたちの映像など非常にリアル。さらにアキが夢で見る異世界の一連のシークェンスは、CGIならではのキャメラワークやアングルでダイナミックかつ壮麗。このくだりが劇中最も素晴らしい。


反面、やはり人間の出来はまだまだだと感じた。テクスチャーで細かく細工がきく老人であるシド博士は、時々実写と見紛う出来なのだが、他のキャラクターはのっぺりして、マネキンかはたまた人形か。皮膚感というか実感に乏しい。『ジュラシック・パーク』シリーズなどでもそうなのだが、生物の体臭を感じさせるようになるにはまだまだ技術の向上が必要なようだ。


それにしても、折角精緻に作り上げたCGIから劇的興奮がすっぽり抜け落ちているのはどうしたことだろう。アニメーションならではの飛躍が例の夢のシークェンスだけとは寂しい限り。実写映画のリアリズムに捕らわれ過ぎている。「いや、実写に極限まで近付く為に、敢えてアニメのダイナミズムを捨てたのだ」というのであれば、単に実写を模倣しているだけ。わざわざフルCGIとして作る価値は無い。アニメイション劇映画としての権利を放棄していると言わざるを得ない。これではゲーム会社スクエアの単なる技術力向上の試みであり、それをわざわざ入場料取って観客に見せるべきではないのではないか。


次にドラマとしてはどうだろうか。


基本的に”物語を物語る”語り部としての努力を放棄しているのが致命傷だ。大した物語でもないのに、必要以上に複雑で分かりにくい話法ではどうしようもない。ガイア理論なども盛り込むSF映画は珍しいのでその意欲は買うとして、ついでに科学的考証は余り気にしない内容も良しとしよう。しかしなんでこんなに回りくどく、尚且つ説明不足なのか(脚本は『アポロ13』(1995)や、NHKでも放送されたドラマシリーズ『人類月に立つ』(1998)等のアル・ライナーと、主にB級映画を担当してきたらしいジェフ・ヴィンター)。単に下手糞としか言いようがない。


また、まともに映画化すれば1時間で終わりそうな内容を、1つ1つが長いアクション・シークェンスで繋いでいるので、物語感が著しく希薄且つペースが鈍重だ。最近の悪しきハリウッド大作と何ら変わりない。


回りくどい物語に放り込まれたヒロイン・アキと特殊部隊隊長グレイ(声:アレック・ボールドウィン)との恋愛劇も、中学生向け漫画のようで陳腐。説得力に欠ける代物だ。人物の性格描写もなっていないからドラマも盛り上がらないし、マネキンの恋愛ごっこではこちらのエモーションに触れることもない。メロドラマがクライマクスで重要な役割を果たすはずのプロットなのにこの様では、映画全体が盛り上がらないのも仕方無い。
折角個性的な名優たち(他にヴィング・レイムズ、スティーヴ・ブセミ等)を揃えたのに、希薄なドラマにプラスティックの顔ではどうしようもない。結果的に声優の声は印象的でも、”顔”がまるで記憶に残らないという、奇妙なことになってしまった。


もったいぶった不必要に難解な大人向けSF映画の顔をしているくせに、お粗末な子供向け恋愛劇を足しているのでは、対象観客が一体誰なのやら。阪口博信監督は映画というメディアをまるで分かっていない。次回作があるのであれば、彼自身の映画そのものに対する深い考察が必要なのではないだろうか。


海外での副題『The Spirits Within』が皮肉な、仏作って魂入れずの作品。見せるべき対象の観客を見失い、映画そのものも見失った、自己満足に陥っただけの凡作だ。大きな可能性を秘めていただけに、自らの野心に振り回されただけなのが残念。将来カルト映画になり得る可能性を秘めているのが救いか。


ファイナルファンタジー
Final Fantasy (aka: Final Fantasy: The Spirits Within)

  • 2001年 / 日本、アメリカ / カラー / 106分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):指定無し
  • MPAA(USA):Rated PG-13 for sci-fi action violence.
  • 劇場公開日:2001.9.15.
  • 鑑賞日:2001.9.16./ワーナーマイカルシネマズつきみ野1/ドルビーデジタル
  • 公開2日目、日曜昼の回、315席の劇場はほぼ半分の入り。その内半分が子供だった。
  • プログラムは900円。阪口監督のコメント&インタビュー、スタッフ・インタビューなど。表紙の一部が暗闇で発光します。尚、特別版としてCD-ROM付2,500円のプログラムもあり。900円のものとは全くの別物です。
  • 公式サイト:http://www.ff-movie.net/ 阪口監督のコメント、「ファイナル・ファンタジー」世界歴史年表、CGIアニメ製作解説、予告編等、内容盛りだくさん。デザインも力が入っています。それにしても最近の公式サイトは動画はともかく、劇場で売っているプログラムと内容が重複しているものが多くなってきましたね。ダブらないのは映画評論家の文章ぐらいですが、それも読む価値の無いものも多くありません。こうなると、高い金出してわざわざ紙で買うのもどうか、と思ってきます。劇映画プログラムというのは日本独自のものなので、その内に存在意義も問われるかもしれません。