パール・ハーバー



★film rating: C-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


映画を観ていて色々考えさせられる時がある。人物の感情や、物語の根底に流れているものから作者の意図を読み取り、それに日常としての自己を重ね合わせることにより、様々な解釈が生まれたり。


映画をテクストとしての啓蒙、あるいは映画から哲学等が生まれ、観客との幸福な邂逅があったとするならば、それを単なる「幸運」と呼ぶ以上の体験となり得る。社会、人間、科学、信仰、環境問題、戦争、歴史から、哲学的思考へと展開されたならば、実際の人生において非常に有意義と言えよう。


そこまでではなくとも、誠実な作品ならば観客に何かエモーションを起こすものである。

例えば、ある人物の行動が画面に描かれたとする。台詞や説明ナレーションなどは一切無くとも、俳優の表情・仕草等の演技や、小道具や衣装の用い方、撮影技術で繊細にすくい取る術を持った監督ならば、観客に人物の心理は伝わるものなのだ。


何故この映画のレビューでこんなことを書くかというと、映画鑑賞中にちょいと哲学をしてしまったから。


「何故、俺はこの劇場にこの映画を観に来ているのだろう? 何故、こんな映画の為に人生の貴重な3時間を無駄にしているのだろう?」。


いつ終わらんとも延々と続く展開に、鑑賞中に腕時計を覗き込もうとする意思を押さえ込むのがやっと。控え目に言っても時間の浪費だった。


この映画を観て得られるものは何一つ無く、残るのは千円以上出して入場料払ったことに無いする空しさのみ。3時間もの間、エモーションをかき立てられることはついぞなかった。


御存知の通り、1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃を材に取ったこの映画、ベン・アフレックジョシュ・ハートネットパイロットに、ケイト・ベッキンセールの看護婦が絡む三角関係を描いたもの。世間で”反日的ではないか”と評判だが、実際の映画はそうではない。噴飯ものの日本軍の描写だけではなく、米軍についても相当おかしなところがあるのだ。単に歴史や過去の人々に対する尊敬の念が欠落しているだけに過ぎないのである。


現実に観客がスクリーンで見せ付けられるのは、出来の悪いメロドラマに魅力の無い登場人物、下手糞な演出に、派手なだけで40分持たそうとする眠気を誘われる退屈な真珠湾攻撃シーンだけ。結局、歴史映画以前に娯楽映画として失敗しているのである。


何の脈略も無い御都合主義のストーリー展開と、無きに等しい意味不明のプロット(そもそも恋愛ドラマと真珠湾攻撃が何も絡まないのだから恐れ入る)、超訳も真っ青の台詞を書いた脚本家のランドール・ウォレス。ぞんざいな演出でも派手に爆発ブチかましていれば観客は満足するし、ついでに涙も流してくれるさ、と傲慢しきっている監督マイケル・ベイ。製作に口を出す実質上の責任者であるやり過ぎ大好き製作者ジェリー・ブラッカイマー。この3人は今後まだ映画製作を続けるつもりならば大作禁止、低予算作品からやり直して、映画の基本を学ぶべきだ。


本当は、今後100年間は撮影所に出入り禁止にすべきだと思う。


パール・ハーバー
Pearl Harbor