A.I.



★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

地球温暖化による海面の上昇により、主要都市が水没した未来。そこではロボットが人間社会に入り込み、あらゆるサービスを提供していた。治療不可能な病気の為に冷凍催眠している幼い息子を持つ夫婦の元に、感情をインプットされた史上初の少年ロボット、デヴィッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)がやって来る。最初はデヴィッドを受け入れられないモニカ(フランシス・オコナー)は、ぎこちなくではあるものの、やがて新しい息子を受け入れていくようになる。しかし奇跡的に本物の息子が息を吹き返し、息子とデヴィッドの間にいざこざが頻発するようになる。モニカに捨てられたデヴィッドは、相棒の熊ロボットのテディと、道中一緒になった合法的な売春ロボットのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)と共に、”人間になって母に愛されたい”との願いを叶えるべく、苦難の旅を始める。


スタンリー・キューブリック meets スティーヴン・スピルバーグ」。この映画の印象を一言で現すとこうなるだろうか。事前に予想されたスピルバーグらしい単純な感動娯楽路線ではなく、昨今のハリウッドSF大作らしからぬ出来映えに少々驚かされる。


プロットの根幹をなすのは『ピノキオ』。御存知の通り、木彫り人形の少年が苦難の旅を経て、最後に人間の少年になる物語だ。そこに『オズの魔法使い』等のファンタシーが散りばめられているのがスピルバーグらしい。


この映画は全体で4部に分かれている。


最初は殆ど夫婦の家の中での室内ドラマ。モニカとデヴィッドの心理が中心だ。いかにも未来SFらしい描写は極力廃し、観客に心理描写に集中させているのが意外だった。ドラマをじっくり描く為に、要所で挿入される特撮ショットがショッキングな効果を上げている。スピルバーグはモニカ役フランシス・オコナーからきめ細かい演技を引き出すのに成功している。”人間ドラマに深みが無い”とは、スピルバーグに対する批判としてよく出るし、僕もそれに同意する場合も多い。しかし役者からリラックスした力を引き出すことにかけては、現代の監督の中でも一流ではないだろうか。今回はそれが良く出ていると思う。


次なる展開はデヴィッドと旅の仲間との冒険。ジュード・ロウのキマった演技が、如何にもユーモラスで楽しい。未来都市のビジュアルは今となっては特に目を引くものではないけれども、序盤は室内ドラマで押し切っているので、異様な景観を捉えたロングショットが効果的に使われている。ILMの特撮は特に壮大な終盤の風景に力量を発揮。特撮と分かっていてもそう見えない出来映え、これはかなり凄い。


外の世界に出て、デヴィッドらはピノキオを人間にした妖精を探し歩く。「自分がモニカに愛されないのはロボットだからだ。人間の子供になれば愛される筈」と思い込んでいる、一途なデヴィッドの心情が痛ましく切ない。この映画は紛れも無くオズメントの演技力で引っ張られている。序盤の感情の無い不気味ささえ漂う仕草から、母への愛情がインプットされてからの演技。ずっと沈んでいた表情の『シックス・センス』(1999)」の時よりも、子供らしい喜怒哀楽を手にとるようにリアルに表現していて、全く素晴らしい。この映画は彼なくしては完成しなかっただだろう。


第2部での展開はご都合主義も目立ち、必ずしも物語がスムーズに進行しない。また折角のジゴロ・ジョーの存在が上手くプロットに絡まないのが惜しい。様々な要素を盛り込んだ意欲的な脚本だが、推敲の必要性を感じた。滑らかな曲線を構成することに失敗しても、全体に力の入った脚本はこの後に大胆な展開を用意して、この構成は悪くない。これはスピルバーグの『ピノキオ』であり、『2001年宇宙の旅』(1968)だと解釈した。


映画の要所には、キューブリックスピルバーグに乗り移ったのではないか、と思われるところがある。画面の構図・色彩・キャメラの動きや、ジョン・ウィリアムズの音楽も、キューブリックが好んでいたリゲッティ風現代音楽の顔を覗かせる。いつものスピルバーグならば派手なサスペンス・アクションにしたであろう場面も、あっさりしている。その場その場のサスペンスより、デヴィッド少年の旅全体を叙事詩的に描こうとした結果だろう。キューブリックを意識し過ぎたせいか、娯楽路線の時に見せる伸び伸びした演出は全体に影を潜めてしまった。かと言ってシリアス路線の時の、力み掛かった演出で貫いている訳でもない。かえって新鮮さを感じた。


この映画のラスト、デヴィッドの願いが叶い、ハッピーエンドだったと僕は思った。しかし非常にペシミスティックで考えさせられるのも事実。そこにこの作品の狙いがある。


キューブリックと言えば、冷徹な神の視点で人間どもを顕微鏡で覗く、どちらかというとペシミスティックなドラマを作った監督だ。対するスピルバーグは正反対。登場人物に感情移入し、観客の共感を呼ぶ、楽天的な監督と一般的に言われている。ここで宇宙船内の描写を加えた『未知との遭遇 特別篇』(1980)のラストを思い出してみよう。主人公は現実世界の全てを捨てて、恐らくは二度と地球に戻らないであろう巨大な都市宇宙船へと乗り込んでいく。結果、彼は圧倒的な科学力の前で怯え、自分の選択を後悔するしかなかったのだ。ペシミズム以外の何ものでもない。そのペシミスティックな持ち味が出たのがこの『A.I.』と言える。この映画は、キューブリックスピルバーグの似た資質が合わさった、正真正銘の合作ではないだろうか。


この映画にはいびつな部分があるものの、愛すること、愛されること、時間、生と死等、人が生きる上での根幹に疑問を投げ掛け、不安にさせ、考えさせられる。スピルバーグ自身の回答は、画面に目を凝らせば見つかるかも知れない。しかし観客個人の答えは自分で探すしかない。



A.I.
Artificial Intelligence: A.I.

  • 2001年 / アメリカ / カラー / 146分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):指定無し
  • MPAA(USA):Rated PG-13 for some sexual content and violent images.
  • 劇場公開日:2001.6.30.
  • 鑑賞日:2001.6.23./ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘1/SDDS
  • 公開1週間前の先行レイトショー、452席の劇場は満席。当日は2館で合計4回の上映が行われたが、どれもチケットは完売だったそうだ。
  • プログラムは800円、B4版のオールカラー。粗筋紹介は殆ど無く、キューブリックが企画を立てた頃から完成までを記述してある、詳細なプロダクション・ノートの質・量は、最近のプログラムの中でも圧巻でした。
  • 公式サイト
  • Webマーケティング関連:この映画は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』をも凌ぐ大規模なWebキャンペーンが行われています。劇場予告編は3種類あり、その2番目のスタッフ・クレジットを観た時、”ロボット・セラピスト ジャニン・サラ(Sentient Machine Therapist:Jeanine Salla)、て何だろう”と思ったものでした。これが謎に満ちたキャンペーンへの手掛かりだとは、その時点で全く知りませんでした。”Jeanine Salla”を検索エンジンに掛けた人がいたらしく、検索結果を見ていくと、ロボットと人間が同居している未来の各サイト(殆ど英語、一部日本語もあり)へと繋がっていくことが分かったのです。サイトにある手掛かりによって、電話やFAX、Eメールを送ると、それぞれに返事が来るという仕掛け。それらがさらなる謎を呼び、サイトにあった殺人事件の真犯人を、各人が推理しながら捜し歩いていくことになるのです。いや、最後に真犯人が分かるのかどうか、結末が単なる犯人探しで終わるのかさえ分からない全貌。まるで『ツイン・ピークス』のような凝ったwebゲーム(?)の様相を呈しています。但し、このキャンペーン(?)の内容と、映画本編とは直接関係は無さそう。世界が同じということのようです。映画本編は舞台の時代を特定していませんが、サイトは2026年から22世紀へと、時代が多岐に渡っています。
    • 概要説明:http://www.eiga.com/special/ai/index.shtml エイガ.ドット.コム「ネットを席巻する怪情報。壮大な謎解きの向こうにあるものは?」未来のサイトへのリンクもあります。
    • 攻略サイト「映画「A.I.」WebGAME攻略情報 Part?」:http://yamap2001.tripod.co.jp/ 個人で運営しているかなりの労作。日本語版です。情報も募集しているので、時間と推理力、ついでに英語力もある人は、推理結果を連絡してあげるのも一興でしょう。ここを読むだけでもなかなか面白かったです。