クイルズ



★film rating: A-
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

猥褻文書頒布によりシャラントン精神病棟に隔離されたサド公爵は、病院内で密かに創作に励んでいた。サドは自らの暴力嗜好を文学に注ぎ込んでも、それを実行に移しはしない。彼にとって、文学とは自らの性だけではなく、生でもあるのだ。洗濯女マドレーヌはサドの手先として原稿をこっそり運び、小説は外界で裏出版されていた。そうとは知らない病院の理事長で、理想主義的な若き神父ド・クルミエは、サドに理解を示そうとしている。その病院に院長として赴任してきたのが、サドの出版物に怒った、時の皇帝ナポレオンI世の命を受けた冷徹なコラール博士。サドと弾圧側との闘いが始まる。


映画はサド公爵を主人公にしているとはいえ、安いエロス路線では全く無く、堂々たる規模のもの。キャスト陣もサド公爵にジェフリー・ラッシュ、マドレーヌにケイト・ウィンスレット、コラール博士にマイケル・ケインと、演技派でがっちり固めている。ラッシュは得意のオーヴァー・アクトで大熱演、他のキャストも見事なもの。但し皆上手いことは上手いが、古典的な舞台劇調、どちらかと言うと濃い芝居をする人たちだ。こってりとしたフォアグラも多過ぎると胃がもたれるというもの。そこでド・クルミエ役に映画的芝居を見せるホアキン・フェニックスを配し、重くなり過ぎないようなさじ加減にしている。『グラディエーター』(2000)の不安と憎悪が入り混じった悪役が素晴らしかったフェニックスが、ここでは世間ずれしていない、悩める神父を好演している。但し自らの闇に気付き、ラストに至っていきなりの濃い演技は問題あり。他の役者の毒気に当てられたのだろうか。


監督は『ライトスタッフ』(1983)でアメリカン・ヒロイズムを追求してから、一転してヨーロッパ的デカダンに転向したフィリップ・カウフマン。『存在の耐えられない軽さ』(1988)『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』(1990)に続いての路線に見える。こだわりのみえる美術や衣装などにその片鱗を見せるが、映画は”弾圧に対する言論の自由”を正面切って描いた作品となっている。


Quillsとは鵞ペンのこと。この映画ではペンを取り上げられたサドが、ありとあらゆる手段を用いて自分の作品を表現しようとする様が描かれている。ラッシュの演技とシンクロして全般にパワフル、時にユーモアも交えての演出は堂に入ったもの。一種のピカレスク・ロマン(悪漢小説)的な面白さもある。特に後半、他の精神病患者の助けを借りて、マドレーヌに口述筆記をさせる場面はテンションを高くさせ、一気にカタストロフに雪崩れ込むくだりが素晴らしい。


ダグ・ライトの脚本(原作舞台も彼によるもの)はがっちり構成され、サドの闘いもさることながら、マドレーヌとド・クルミエの関係も描けている。スティーヴン・ウォーベックの音楽はどろどろ響いて効果音のよう、作品の重厚さに貢献している。


全般的に良く出来た作品だが、スタッフ・キャスト共に熱が入りすぎて、観ているこちらも少々疲れてしまうのも事実。ユーモアはあっても遊びは無い。それでも、よくあるテーマを面白い道具立てで観客の興味を引いて、知的興奮を与えようとする意欲作として強烈な印象を与える。


クイルズ
Quills

  • 2000年/アメリカ、ドイツ/カラー/124分/画面比1.85:1
  • 映倫(日本):R-15
  • MPAA(USA):Rated R for strong sexual content including dialogue, violence and language.
  • 劇場公開日:2001.5.19.
  • 鑑賞日:2001.5.19./日比谷スカラ座2/ドルビーデジタル
  • 公開初日の土曜、夜の回。150席の劇場は3〜4割の入りだった。日中は混雑していたそうだ。
  • プログラムは600円、29ページ。この映画を見たら知りたくなる、サドについての詳細な解説や年表が読み応えあります。
  • 公式サイト:http://www.foxjapan.com/movies/quills/ イントロが終わると、片手に「美徳」、片手に「悪徳」を持ってポーズを取るサドが現れるのがユカイ。「美徳」の画像・音楽も○。「悪徳」はアダルトコンテンツ(笑)なので要注意です。といっても、クイズぐらいしかアダルトなのは無さそうですが・・・。美徳・悪徳に関わらず、開けないページもあったのは、サイトの作りが悪いせいでしょう。