愛のコリーダ2000



★film rating: A
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。


個人的には大島渚とは今一つ相性が悪いのだ。といっても初期の作品はまるで未見で、『戦場のメリークリスマス』(1983)と『マックス・モン・アムール』(1986)しか観ていない。公平を期すために言うならば、両方共TVかビデオでの鑑賞だ。前者は2〜3回観ていて、”戦場のホモセクシュアル”だから何なんだ、ぐらいの印象。後者は妻の浮気相手はチンパンジーだったという内容で、シャーロット・ランプリングリック・ベイカー製作の精巧なゴリラスーツ目当てで観たもの。肝心の作品はテーマであろう”愛の普遍性”が伝わらないものだった。両方共シリアスな顔している割には、肝心の中身にはかなり疑問を持たざるを得ない作品との印象を持ったものだ。


そんな訳で、日本では長らく再上映されていなかった代表作が、ボカシ修正は入ったものの国内初のノーカット版上映ということで、期待と不安を持って観て来た。結論から言うと、これは確かに傑作だった。


昭和初期に起こった「阿部定事件」を基にしたこの作品、不倫相手の愛人を情交の果てに絞殺して性器を切り取った、などと猟奇面でのみしか語られないような事件に材を取りながらも、内容自体は決してスキャンダラスなものでは無い。遊び半分で女中の定(松田英子)と関係を持った料亭の主人で遊び人の吉蔵(藤竜也)が、やがて真剣に彼女を愛し出すと同時に、サドマゾ的な関係へとエスカレートしていく…などと書くと、なんだかもの凄くおどろおどろしい作品を想像しそうだ。でも現物を観てみると軽妙なユーモアを漂わせつつ、極端な形とはいえ純粋に愛し愛される男女の姿が描き出されているのだ。


定の要求に何でも応じる”きっつぁん”の姿は男から見ても惚れ惚れする。この映画で一番光っている、藤竜也一世一代の名演技だ。最初は少々キザに感じられたが、純な感情表現に段々と心動かされるものがあった。対照的に松田英子には綺麗と思いつつも左程魅力を感じなかった。この映画の本当の主役は、定のどんな要求にも応えるきっつぁんなのだ。


映画の半分は2人が泊まる宿部屋に限定されている。終盤にある、散髪した吉蔵が宿に戻る途中で、出兵前の兵隊たちとすれ違う屋外シーンが対照的で効果的だ。戦争の暗い足音に背を向けて現実から逃避する姿が端的に表現されてて、一番印象に残った。


この話題は避けて通れないのだが、ハードコア場面のボカシはやはり不要だと思った。猥褻とか芸術とかいった問題では無く、単に映画のテーマでもあるからだ。殆ど室内劇の映画で繰り返される肉体と肉体のせめぎ合いが、男女の恋愛を映画としては極端化して表現している。そんな中で切断された性器は無修正で、それ以外は修正というのはやはりおかしい。でも数年前だったら、本当に限られた修正のみで上映というのは考えられなかった筈。どうせ成人指定で子供は見られないのだから、修正無しでも良いじゃないか。誰相手の修正なのか。日本で無修正版を見たいならば、北米盤のリージョフリーのDVDでしか見られない、というのも妙な話だ(日本語音声+英語字幕ON/OFF可能版と、英語吹替え版の2種リリースされている)。


表現の好き嫌いは分かれるだろうが、紛れも無く男女の愛の形を濃密に切り取った力作だ。



愛のコリーダ2000
L'Empire Des Sens

  • 1976年 / フランス / カラー / 109分 / 画面比:1.85:1
  • 映倫(日本):R-18
  • MPAA(USA):NC-17
  • 劇場公開日:2000.11.15.
  • 鑑賞日:2001.1.19./シネアミューズエス
  • 当然ながらモノーラルでの上映。金曜夕方の回、129席の劇場は2〜3割の入り。休日は132席のイーストと共に(同じフロアの2巻上映)満席だったらしい。
  • プログラムは1,000円、表紙が真っ黒なスエードという特異な装丁。製作スケジュール、脚本/写真集の猥褻裁判など、当時の状況が分かる意味で簡潔な解説書でもあります。
  • 公式サイト:http://www.aino-corrida.com/ 作品紹介に加え、「定度テスト」などのコーナーが有ります(笑)。