X-メン



★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。

ミュータントが続々誕生する原因不明の事態が世界各国で起こる。急進的なケリー上院議員ブルース・デイヴィソン)は、ミュータント登録法の立案に向けて活動し、法案は可決される。両親を殺され、虐げられてきたミュータントとして人類への積年の怒りを溜め込んできたのが、強力な磁力を操るマグニートーイアン・マッケラン)。彼は子分のミュータントを率いて人類に宣戦布告する。かつてはマグニートーと親友だったが、その過激な思想ゆえ袂を分かったプロフェッサーX(パトリック・スチュワート)は、対照的に人類とミュータントとの共存を探る平和主義者。しかしマグニートーの野望を阻止するために教え子たちで結成しているX-メンを率い、両者の激突が始まる。


アメリカにおいて40年近くもの間連載が続けられてきた怪物コミック『X-メン』。そのTVアニメ版はかつてテレビ東京でも放送されていたので、ご覧になった方もいるだろう。でも日本での知名度なんてたかが知れている。かくいう僕も名前しか知らなかった1人。その映画版には熱狂的ファンから細かい所でクレームが付いたようだが、予備知識が無い僕にとっては、幾つか欠点はあるものの、コミックものの映画としては成功の部類に入ると思えた。


この映画のテーマは単純明快だ。「何故、人と人はいがみ合うのか」。人種を超えた理解と共存はできないのだろうか。それをSFヒーローものの寓話として語っている。


映画は意表を突いて第2次世界大戦中の強制収容所から始まる。引き離された両親はガス室へと連れられ、少年は絶叫しながら取り押さえられる。金網フェンスが凄まじい磁力で引き裂かれ、唖然とするドイツ兵たち。印象的なこの場面から、時代は近未来へ飛ぶ。


X-メンも、悪党グループ「ブラザー・フッド」も、超能力に関しては観ていて楽しい面々だ。


プロフェッサーXは車椅子の身でありながら、強力なテレパシー能力や他人を操る術を持っている。X-メンのリーダー、サイクロプスジェームズ・マースデン)は両目から破壊光線を発するのだが、目が開いていると光線が出るために常にバイサーをする不自由な身。サイクロプスの年上の恋人ジーン・フレイ(ファムケ・ヤンセン)は、テレパシーとテレキネシスを操る。ストーム(ハリー・ベリー)は銀髪の黒人、あらゆる天候を自在に操る。演ずるベリーは秀作アクション『エグゼクティブ・デシジョン』(1996)のスチュワーデス役が素晴らしかったのに、今回はしどころがなくて残念だった。


ブラザー・フッドの中で一番目を引くのは、全身真っ青で鱗に覆われ、蛇の目を持つ美女ミスティーク(レベッカ・ローミン=ステイモス)だろう。狡猾で邪悪な武道家、しかも誰にでも変身できる始末の悪さ。2メートルを優に越す大男セイバートゥース(タイラー・メイン)は、強力な治癒力とカギ爪、怪力とジャンプ力を持ち合わせる。トード(レイ・パーク)はお調子者で薄汚く、ジャンプ力と3メートルもの舌を操る。意外と戦闘能力が高いのもその筈。演ずるパークは『スター・ウォーズ/エピソード1』(1999)でダース・モール役、『スリーピー・ホロウ』(1999)で首無し騎士役として素晴らしい殺陣を見せてくれた武術家なのだ。今回はダース・モールのパロディとして、派手は見栄を切ってくれるのもお楽しみ。


物語の主役は、記憶を消されたウルヴァリンヒュー・ジャックマン)と、孤独な少女ローグ(アンナ・パキン)の2人だ。ウルヴァリンは驚異的な治癒力と、あらゆるものを引き裂く30cmものある爪、その爪と同じ材質である最強の合金で骨格を覆われている。謎の組織による改造手術により現在の姿となり、手術以前の記憶も消されている流浪の男だ。アイデンティティが曖昧、ニヒリスティックで孤独、出し入れ自由な強力な武器を持つウルヴァリンは魅力的である。演ずるジャックマンの若きクリント・イーストウッドに似た容貌も手伝って、こちらの目を釘付けにする。ローグは触れた相手から生命力を吸い取ってしまう呪われた能力を持つティーンエイジャー。『ピアノ・レッスン』(1993)の少女も成長した。他者と触れ合うコミュニケーションが出来ない少女の孤独を感じさせる。
身寄りの無いこの2人が出会い、X-メンに迎え入れられるまでが、この映画で描かれているのだ。


X-メンとブラザー・フッドとの闘いは、最新の特撮を用いてスリリング。映画全体のプロダクション・デザインもシンプルながら意匠を凝らして美しい。監督が『ユージュアル・サスペクツ』(1995)、『ゴールデン・ボーイ』(1998)と地味なスリラー出身のブライアン・シンガーなのが意外で、派手な特撮ばかりで内容空っぽという最悪の事態を回避して及第点だろう。特撮も派手さでは『マトリックス』(1999)などに譲るが、こちらは物語る為に奉仕している。


それでも残念ながら、シンガー作品の前作までにあった匂い立つような”巨大な悪”の影が消えてしまったのは残念だ。手堅くスリリングにまとめているが、こうなると別にシンガーでなくても良かったのではないか。これはそもそもマグニートーの扱いが、可哀相な過去を持つ、観客がつい同情してしまう悪として描いているからだろう。マッケランも『ゴールデン・ボーイ』のナチの残党の老人や、『リチャード三世』(1995)、『ゴッド・アンド・モンスター』(1998)のような、あくどい演技の方が似合っている。それに比べてプロフェッサーX役スチュワートは、カリスマ的魅力を発揮して活き活きしている。


2時間弱の上映時間に収めるために各キャラクターが描き込み不足な点は否めない。それでも、クライマクスに全員揃いのコスチュームで出陣、最近の映画に珍しくチームワークで難局を打開するなど、わくわくさせられる楽しさがある。気になるウルヴァリンの抹消された過去への探索などは、次回までのお楽しみ。シンガーの奮起があるならば、同じスタッフとキャストで次回作が観たくなった。


X-メン
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