ひかりのまち
★film rating: B+
※A、B、Cの3段階を、さらにそれぞれ+、non、-で評価しています。
イギリス映画には、市井の人々を描いた実に生活感豊かな作品が多い。コメディである『フル・モンティ』(1997)もそうだったではないか。 毎年新作を発表しているイギリスの新鋭、マイケル・ウィンターボトムの『ひかりのまち』も、ロンドンに住むある一家の姿をリアルに描いている。
ここに登場する家族は皆心に寂しさを抱えている人ばかり。最低野郎と離婚した長女は夜な夜な男を引き釣り込み、その息子は母親に余り構ってもらえない。次女は伝言ダイヤルで恋人探し、三女は出産間近なのに夫が相談も無く仕事を辞めたことを知る。末っ子の長男は家出をして音信不通、年老いた父親は毎日何をするでもなく、母親はそんな夫に愛想を尽かし口やかましい。
過去のウィンターボトム作品は『日陰のふたり』(1996)と『アイ ウォント ユー』(1998)の2本しか観ていないが、両方共に重苦しい作品だった。今回は人生のどん底ではないまでも、皆微妙に不幸の積み重ねで生きているような人達ばかり。でも上記2本のウィンターボトム作品とは違うのは、一種漂う爽やかさ。全編手持ちの16mmキャメラ撮影、台詞は同録、全てロケ、エキストラ無しというフットワークの軽さが影響しているのだろうか。活き活きとしたロンドンの情景を切り取ると同じに、市井の人々も皆親近感を持って描かれている。今までと違い、監督がキャラクターに近付いているのだ。
このような製作形態なのでドキュメンタリ・タッチかと思いきやさにあらず。夜の都市をスローモーションやコマ落としで捉えた邦題通りの”ひかりのまち”と化した情景は全く美しい。その情景がマイケル・ナイマンの音楽とシンクロすると、画面と音が走り出す。特に後半の花火大会のスペクタクル。ナイマンの曲はいつもより気持ち体温が高め、それが人物を過保護でなく、さりげなく優しく包み込んでくれる。
それでも最初の3、40分、僕は余り作品に入り込めなかった。この映画にはプロットと呼べるものはない。登場人物たちの3日間を描いた、ただそれだけの内容だ。画素が粗い画面を通して描かれる群像劇が、単なるエピソードにさえなっていない、日常光景の羅列にしか見えなかったのだ。でも、等身大の登場人物たちの人となりが分かるに従って、その羅列が次第に吸引力を帯びてくるから不思議である。小さな事件や偶然がつらなった後、ラストにはそことなく希望の光が。確かに原題通りに”Wonderland”の物語なのだ。
ラスト、無事この世に生れた赤子アリスに向かって、父親が言う台詞「Alice・・・Welcome to Wonderland」(字幕では「アリス・・・不思議の国の」と意味不明の)が印象的だ。
ひかりのまち
Wonderland